おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

441_こっちに3

以下は、個人的な主観にもとづく仮説や感想なので、お許し願います。

前々回( 439_こっちに2 )の補足になります。

あそこで、悲しみ、哀しみ、つらさ、とした意味合いについてです(否定的(ネガティブ)な言葉になりますがお許し願います)。

白馬の王子様。

女性の理想として、よく例えられる表現ですね。

見目麗しい、ハンサムでカッコいい男性が、いつかは私(女性)を迎えに来てくれる(イケメンは軽薄(チャラい)や即席(インスタント)な響きがあるのでここでは使わない)。

私は、こうした考えは、何も女性だけに限らないと考えています。

女性と同じように、男性もまた理想像を描いている。

それは、多分、大和撫子(やまとなでしこ)。

大和撫子やまとなでしこ~日本女性の清楚で芯の強い美しさをたたえていう語。なでしことも言う。

です。

結婚適齢期をはじめとして、男性はこうした女性を伴侶(パートナー)として、得たいと渇望している。

しかし、恋人にしろ、伴侶にしろ、現実はなかなかうまくいかない。

人間は容貌のそれなりの影響があるとはいえ、その魅力は簡単には決まらない。

容貌の足りない分(?)も、人柄でかなり補うことは可能。

例えば、笑顔。

人間の笑顔とは不思議なもので、相手をなごませる、警戒心を解く、妙(たえ)なる力を持っている。

本来は、内面からの想いを伴った心からの笑顔が理想だが、無理矢理にでも笑顔をつくるよう心がけると、内面がついてくる場合もそれなりにある。

自分が笑顔をつくれば、少なくとも相手方には、(よほど引きつっていたり、冷たい裏のあるものでない限りは)悪い印象は与えない。

いくら、美男美女でも、ムスッとした仏頂面(ぶっちょうづら)をしていたり、怒りや冷笑の表情をしていたら、いい印象は抱きにくい。

といった具合に、容貌の足りない分(?)は、性格や立ち居振舞いで補えば、それなりに魅力的になることができます。

つまり、人間は、その容貌と内面両面とこれを秘めた内側から醸(かも)し出される雰囲気(今で言えば、オーラといったどころですかね)によって、総合的な魅力が決まると言える訳です。

大和撫子は、日本人女性として、こうした人間の魅力をそなえた典型的な女性像として、男性から慕われているのでしょう。

何せ、女性は子供を産むのだから、すべての始まり、家庭で言えば太陽のような役割がありますからね。

そして、清楚とは。

清楚~せいそ~飾り気がなく、清らかでさっぱりしているさま。

なので、これは過度な服装や宝飾品の贅沢をしないことを意味していますね。

芯の強いとは、(神様の分け命を本体とする肉体人間として)五欲をはじめとする欲望に耽ることなく、節度を保ちながら、苦難に立ち向かえる心を持っている意味合いですね。

伴侶とともに、家庭をしっかり支え、世代を引き継いで行くという。

家だけではなく、人類を引き継いで行くという意味合いで。

男性としては、こうした大和撫子と恋愛をしたい、家庭を築いていきたいと強く望んでいる。

男性は無意識にこの理想を心に描いていると思うんですよね。

しかし、現実は・・・。

容貌はともかく、性格面でも、かなり落胆させられることがあるのではないですかね。

女性の実像が、この大和撫子像から外れれば外れるほど、男性の理想は打ち砕かれることになるからです。

ましてや、特定の女性を体目当てだけに狩ることだけが目的の男性やオラオラ系(?)の男性に、通過されてしまっただけでなく、面接官よろしくお高くとまって特権階級であるかのごとく男性を見下ろしたらどうでしょうか。

男性の抱いていた大和撫子への淡い期待は、打ち砕かれてしまうのではないですかね。

女性が白馬の王子様をひそかに待ち焦がれているように、男性も大和撫子をひそかに待ち焦がれている。

大和撫子とは言わない。せめてそれなりの人柄をそなえた女性にいつかは巡り会える、そんな女性が自分を待っていてくれる。

不倫の横行や旦那デスノートまでをも含めた昨今の女性の有り様は、こうした男性の淡い期待を、傷つけ、打ち砕くには、十分過ぎたような気がするんですよ。

ハートカフェなどでは、ただ女性が欲しければ、風俗ですませればいいかのようなコメントを書いている人がいましたが、本当は違うのではないですか。

本当は、大和撫子のような恋人が欲しい、伴侶が欲しい。

これが本音なのではないですか。

そうした女性と人生をともに歩んで行きたい。

紆余曲折を経ても、そんな女性と人生を歩んで行きたい。

しかし、それは叶わない。

いや、叶えるのが、超難しい。

男性として、この世に生を受けても、こうした夢は、叶えられそうにない。

もちろん、性欲が満たせないのもかなりつらいとは思いますが、本質的には、こうした理想像が叶えられない、理想像がズタズタにされてしまうこと・・・。

これが、前々回( 439_こっちに2 )、悲しい、哀しい、つらい、と書いた意味合いです。

お人によっては、ただのマザコンだと言うかもしれない。

しかし、そうじゃないんですよ。

私達は神様の分け命を本体としている。

ということは、互いに愛し合い、慈しみ合い、協力し合っていくことが、本来なんです。

肉体を得て、自己保存の本能や生殖の本能を与えらために、わかなくされてしまっていても、あるべき本来の姿は、神様の子供としての姿なんです。

だから私は、動物行動や遺伝子を盾にとって、肉体人間の本来の姿である、神様の分け命、神様の子供としての本質を歪めようとする話が大嫌いなんです。

男女ともにそうですが、お釈迦さんの布教の時代にあったように、人としてより良く生きよう、気高くあろうとする気構えがないと、やはりどうにもならないのかもしれません。

現代で言えば、やはり、霊性を開発していくしかないように思います。

否定的な話で、大変失礼致しました。

何とぞ、ご容赦のほど、お願い申し上げます。

~~~~~

・見目麗しい~みめうるわしい~顔立ちが美しい。美貌である。

・ハンサム~男性の顔立ちの整っているさま。また、その人。美男子。

・渇望~かつぼう~のどがかわいて水を求めるように、切実に願い望むこと。熱望。切望。
(用例)自由を渇望する。

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①追記: 2021/07/21 03:12
②追記: 2021/07/21 03:17
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

440_変化?

以前( 428_法悟28-27-2 )、S さん( スリランカ仏教界のアルボムッレ・スマナサーラ長老 )の原始仏教経典の法句経(ダンマパダ)のお話で、「現象の世界にいる限り、グッドタイミングは絶対にあり得ない、というのがブッダ(お釈迦さんのこと)の教え」だ、というのは、今一つピンとこない、よくわからない、と書きました。

ただ、肉体人間としては、その肉体的水準や、知的な水準は常に変わり続けているように思います。

確かに、肉体をまとっている以上、永遠はなさそうだ、と感じられます。

変わって欲しくはないのに、変化していく。

幼少期や成長期は、変化・成長に期待が胸膨らませて(?)も、二十歳過ぎてからは・・・。(*)

例えば、知的な水準について。

自分の昔のブログ(といってもたかだか 1 年ちょっとしかブログ歴はないですけど)を見返したら、何か今と違うな、と思うものがあったからです。

もちろん、基本的な考え方や思考が明らかに変わった訳ではありません。

そうではなくて、今、この内容を書こうとしても書けるかな?のように感じる文章があったからです(とはいえ、皆さんの水準にはまだまだほど遠い状態ですけど)。

普通なら、今までに生きてきて、その人その人なりに積み重ねられた一定の知的な水準は維持・継承され、だんだんにその水準は上がっていくものだと、考えますよね。

つまり、知的な水準は蓄積・向上して、漸次進化していくはずのものだ、と。

でも、もしかしたら、必ずしもそうではない場合もあるのかもしれない、と。

これには、2 つあるように思います。

第 1 は肉体的なことで、肉体人間としては変化していくのと同様に、自分を構成する細胞の一つ一つをはじめとする、あらゆる素材が変化した、または入れ替わったことに伴い、思考力が変わったということの可能性。

つまり、肉体の各部分の新陳代謝(しんちんたいしゃ)と人間としての生命体の維持活動が、思考力に影響を及ぼした可能性です。

第 2 は、外部要因的なもので、基本的には、人間が知的な面で漸次進化するものだとしても、場合によっては、何かポッと出というか、ひらめき、あるいは、守護霊さんのお力添えがあって、文章を書かせて頂いたものがあったのかもしれない、という可能性。

自分としては、第 2 のような気がします(わずか 1 年あまりで、総合的に退化したようには考えたくないので)。

たまたま、自分は人格・霊格的に分不相応にも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をご紹介させていているので、もしかしたら、ほんのご褒美(ほうび)に守護霊さんのお力添えを頂いて、書かせてもらえたものがあったのかもしれない、と。

最近、前の文章を見返してみて、ふと思った感想です。

逆に言うと、あまりにも、真善美に悖る想いと行いの業想念、例えば、憎い、欲しい、妬(ねた)ましい、などなどを抱き過ぎていると、幽界(想いの世界)の生物のような好ましくない思念にとり憑(つ)かれたり、影響されたり、という可能性も出て来るように思います。

たとえ、過去世の因縁によるものであったとしても。

なので。

世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をお願い致します。

まあ。

肉体人間の状態は、肉体状態(第 1 の要因)にしろ、精神状態(第 2 の要因)にしろ、悟りを得ることができない以上は、定点観測的(?)に見た恒久不変なものではなさそうなので、とにかく、その時々の最善(ベスト)を尽くしておけ、ということなのかもしれません。

そうしておいてこそ、肉体的にも、精神的にも、その努力の跡としての功績(?)は維持されて、なおかつ、引き継がれ、後々にもつながる、と。

そんな気がします。

~~~~~

(*)学生時代、体育会系の先生が、(肉体)人間の成長のピークは、二十歳だと言っていたのを覚えています。

不老長寿や、アンチエイジングや若返り法もあるのかもしれませんが、基本はこんな感じでしょうか。

ちなみに、私は幼少時から女性について感じていたことなのですが。

女性は、確かに二十歳前後に、言い様のない不思議な魅力と美しさをそなえているように見えました。

しかし、ちょっと尖(とが)っているというか、ゴツゴツしている(?)というか、わずかに粗削(あらけず)りで、三十代前半位になって、ようやく角がとれて、一番落ち着いて、バランスがとれているように見えた記憶があります。

今は、ハートカフェなどでコメントする方々は、三十代前半以降の女性には超絶厳しく、あれやこれやと言っていますが、私の感覚が変なんですかね。

いまだに、よくわかりません。

・漸次~ぜんじ~だんだん。次第に。
(用例)漸次、快方に向かう。

・新陳代謝~しんちんたいしゃ~①生物学用語~生物が生命維持のために必要なものを取り入れ、体内で不必要になったものを体外に排出すること。代謝。物質代謝。物質交代。
②古いものが新しいものと入れかわること。
(用例)指導部の新陳代謝がすすむ。
ここでは、①の意。

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追記: 2021/07/24 23:50 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。

439_こっちに2

以下は個人的な勝手な考えや感想なので、お許し願います。

女性。

その本質はあくまでも受け身で、大切にされたいと願っているようだ。

しかも、大抵の場合、社会的権力や腕力では男性に敵(かな)わないから、わが身大事を第一に、用意周到で徹底的な自己保身をはかりながら、様々な言動を駆使する。

脈アリなんて思わせぶりなことなんかしないで、好意を寄せた男性には、堂々と告白すればいいのに、そうはしない。

挙げ句の果ては、好き避けなんかしてしまうから、一般的な男性には、ますます好意がわからないことになる。

結果、原則として、特定の女性獲得目的に先鋭化した男性やオラオラ系(?)の男性でないと、なかなか、ズケズケとは接近できない。

こうした男性達やある程度女性心理の読みに長(た)けた男性でないと、その心理は、まず、わからない。

だから、いろいろな女性獲得のための指南をしている人がいるのでしょう。

そして、心理面でも、体裁でも、あくまでも傷つくのは男性の役回りで、私達は大事にしておいてね、という感じです。

ただ、悲しいかな、大半の男性はこうした女性心理に疎いし、かといって、お付き合いや結婚はしたいし、と悩み、苦しんでいるのかもしれない。

あくまでも傷つくのは男性の役目なのよ、男性としては、顔で笑って、心で泣いて、ってとこですか・・・。

ハートカフェなどで、もう女性はいいや、という感じの人でも、本当は違うような気がするんですよ。

あまりにも、選択の特権があるかのようにワガママにしてきたことや、他の真っ正直に告白した以外の特定の男性達やオラオラ系の男性達に先を越されて、通過されてしまった女性達を見るつけ、傷ついた、というか悲しい気持ちの裏返しが、ああした表現になってしまっているんじゃないのかな。

耐えなければならないとしても、やっぱり、なんか哀しいですよね。つらいものがある。

過去世からの因縁因果のなせる業だとしても、やっぱり、ちょっと・・・。

なので、こうした観点からも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして頂けませんかねえ。

哀しみやつらさを、すべて祈りと感謝行に昇華させる。

真善美に悖る想いと行いの業想念を避けて、神様(み仏)の心に帰一する。

そうして頂けると、ありがたいなあ、と個人的に切望しております。

失礼致しました。

~~~~~

・昇華~しょうか~情念などが純化され高尚なものに高められること。

・情念~じょうねん~理性などでは抑え難い、愛憎などの強い感情。

・帰一~きいつ~いくつかに分かれているものが、最後は一つになること。
(用例)一つの原因に帰一する。

438_想いと記号2

前々回( 436_想いと記号 )、言葉や数字が、(肉体を含めた)人間の意思疎通の手段として用いられるものであることに触れました。

言葉や数字には、意思が伝達できるように概念が込めれている訳ですよね。

つまり、突き詰めると人間のその概念に対する理解の有り様という、人間の想いが込められていることになります。

そこで、これらの意思疎通の道具として用いられる言葉や数字が、あらかじめ神様からそのご意思を託されているものか、または、それほど神様のご意思が託されていなくても、(肉体を含めた)人間の慣用によって想いが集積してこもり、それが力を持つことで、何らかの作用をもたらす力を得たもの(迷信など)かの 2 つに大別しましたが、現在進行形で言葉や数字が発する時はどうなのかに、触れなかったので、補足します。

上記の 2 つの場合のように、あらかじめ意味づけられた力が込められていれば、もちろん、その力は発揮されるのでしょう。

その場合でも、新たに想いを描いた新語でも、それなりの力があるのか、が問題になりますね。

これは、力の強弱には著しい差異があるとは言え、それなりに力がある、作用がある、と考えられます。

やはり、肉体人間の元は、本体は神様の分け命(分霊)ですから、その言葉には、新語でも力がある、または、既存の言葉でも神様のご意志や習慣に加えて力が加わると考えられます。

ただし、これはその肉体人間の浄(きよ)まり具合に左右されると考えられます。

その肉体人間が浄まっていて、悟りを得ていたような場合には、肉体身を持ちながら、神様のみ心である、想いや行いをあらわす、つまり、真善美に悖らない、神様にふさわしい想いと行いを、自由無碍(じゆうむげ)、自由自在にあらわせる、行えるものと思われます。

ただ、これは現代ではまず望めないので、理想的な形ではあります。

悟りを得ていないのに、それも、ほど遠いような場合でも、それなりの力がある場合には、幽界の生物の応援のような何らかの外的な力が加担したものくらいでしょうか。

そんな風に考えられます。

以上、前々回の補足です。

~~~~~

・無碍~むげ~さえぎるもののないこと。じゃまなものや障害のないこと。また、そのさま。
(用例)融通無碍。

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①追記: 2021/07/18 22:08
②追記: 2021/07/18 23:03
③追記: 2021/07/19 00:57
④追記: 2021/07/19 01:13
⑤追記: 2021/07/19 05:39
⑥追記: 2021/07/19 14:14
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題および内容を加筆・訂正しました。

437_こっちに

以下は、あくまでも個人的な主観にもとづいた感想なので、そのようにご了承頂きたくお願い申し上げます。

恋愛ネタのマミ先生。

実に面白い。

唯物論者みたいなので、時折、それなりのあまり好ましくない言葉は出てくる(それでも嫌悪感や悪意は感じない)。

しかし、それを除くと、頭の回転の速さ、かなりの滑舌のよさ、チームでやっているのか、構成や BGM の取り合わせも、本当によくできている。

たいした人です。

女性のしたたかさ、本音と建前の超絶落差のあり方、その本音を隠す用意周到さ、狡猾な計算も余すところなく教えてくれる。

ただ、蛙(かえる)化現象(*)の理解だけはちょっと違うと思うけど・・・。

で。

そうやって、首尾よくお目当ての女性とお付き合いなり、何なりできたとしても・・・。

多分、普通の男性には、わからないことばかりだから、新規に学習(?)することがほとんどになると思われる。

しかし。

確かに、女性を獲得して、人生をそれなりにともに歩んでいくにしても、あそこまで手間隙かける(学習する(?))根気が続きますかね。

さらには、意義がありますかね。

普通の女性心理に疎(うと)い男性では、ちょっとしたミスをしただけでも、即失敗につながりかねない場合がある。

女性は本当に扱いにくいですからね(ごめんなさい)。

それでも、くじけずに、女性にたどり着けた男性だけが、お付き合いなり何なりにありつけるのか・・・。

しかも、ほとんどの人は他心通をそなえないから、その女性はどんな恋愛遍歴を経てきたのか、またその性癖がまずわからない。

めでたく、お付き合いなり何なりにたどり着けても、その先は破局も十二分にあり得る。

そして、唯物論で思考判断して行動する限り、過去世の因縁により、ある程度定まった先行きを修正することは難しい。

だったら、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして、後はすべてを自然の成り行きにお任せしておく方が、楽なんじゃないのかな。

祈りは功徳(くどく)にもなるし、自らの因縁因果を良くすることにもなるし。

何か、ハートカフェなどを見た後では、因縁の深い女性が世の中には多い気がして、わざわざ手間隙かけるのが、面倒くさいというか、気が向かないんですよね(自分には縁がないので実行しませんが)。

回り道のようではあるし、派手さはないし、恋愛のドキドキ感もないかもしれない。

しかし、上記のように想いを乱さなくても済む(=因縁因果に好影響)し、功徳にもなるから、祈りと感謝行の方がかえって楽(?)だし、いいように思うんですけどね。

何か、とても面白いお話なんだけど、ああめんど・・・、と。

何とか、祈りと感謝行にしてもらえませんかねえ・・・。

~~~~~

(*)蛙化現象~女性が男性に片思いをしていて、思いが通じて両想いになったとたんに、女性の恋愛感情(?)が冷めてしまう現象のこと。

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①追記: 2021/07/17 07:55
②追記: 2021/07/19 14:10
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。

436_想いと記号

前回( 435_まだまだ )、言霊について触れたけど、これは日本語特有のものなのか、そうでないのか、外国語ではどうなのか、と考えたら、何だか根が深い問題になりそうなので、到底、自分の手に追えそうもありません。

なので、ど素人の感想文だけを書かせて頂きます。

一つの概念や想いを、日本語なり他の言語であらわす、文字として、あるいは、音声としてあらわす訳ですね。

ある占星術師の方のお話によると、日本語の方が、母音を基底としている言語(英語などは子音を基底としているらしい)なので、自然と相通じやすい特別さを備えているから、動植物を含めた自然との調和や共生を考えると、重要な意味があるそうです。

ロシア人ユーチューバーの女性が、ある日本映画(小津安次郎監督 秋刀魚(さんま)の味)を見た時に、言葉はまったくわからないけど日本語が美しい音楽のように聞こえてとても幸せだったと言われていました(ユーチューブの日本語の魔法 日本語デビュー!美しい日本語は世界一難しい言語だ! AliciaFord さん に出ています)。

しかし、言語に限らず、西洋には数秘術があるから、やはり、これも数字という言葉とは異なる一種の記号に意味を見いだす、持たせることができることを意味していますね。

ということは、言語も数字も、人間が意思疎通のために作り出したものであり、意味を持たせた記号と言える訳です。

つまり、人間は意思疎通のために、言語や数字という記号を編み出した、と。

突き詰めて言うと、言語や数字という記号に、想いを宿らせている訳です。

人々の霊性がきわめて高く、かつ、悟りを開いたような状態ならば、他心通も当然に備えるから、何も言葉や数字の記号にあらわさなくても、想いだけで、つまり、想っただけて相手方に通じるから、あえて言葉や数字を使わなくても済みますよね。

しかし、古代はわかりませんが、それ以降の私達にはこれは望めませんし、到底、一般的とは言えないので、やはり、想いを伝える、そして、多くの人々で共有して、時代を引き継いで普遍化していくためにも、記号化は必然の成り行きだったのでしょうね。

まあ、昨今のカタカナ語の連発からすると、意味を込めやすい日本語(もちろん、常用されてきた漢字にも意味が十二分に付着しているものと思われる。とはいえ、そもそも、漢字それ自体にも元々意味があるのかもしれないし)で、あからさまにすると都合が悪い場合、あるいは意味が限定されてしまうことを恐れ、真新しいわけのわからない和製英語にもならないような言葉を無理矢理当てることによって、意味を薄めたり、流れを作ろう、商売に乗せようという意図が働いているんでしょうね。

話がそれました。

つまり、記号としての言語や数字は、(肉体)人間の想いを具現化した手段として用いられてきたもの、となりますね。

ただ、同じその記号としての言語や数字の中でも、想いを込めやすいものと、そうでないのものがある、となっている訳です。

これは、数秘術を見るとよくわかるんじゃないですか。

特定の数字にかなりの意味を持たせているし、何らかの(肉体)人間の願望達成のために、活用しようともしている。

で、特定の言葉や数字に、神様が意味をあらかじめ持たせたものなのか、それとも、肉体人間の想いが習慣化して折り重なったために想いが言葉や数字に意味が宿ってもたらされたものなのかが、次に問題になりますね。

これ、多分、両方じゃないのかなあ。

もちろん、神様のご意志は絶対的で、あらかじめ託されたものはあるのでしょうけど、後天的(?)に肉体人間の刻んだ歴史によって意味や力を持たされてきたものが、それなりに、多少はある、と。

例えば、時には当たってしまう迷信とかは、おそらく、肉体人間の想いが習慣化して折り重なったために、一つの力を得ているのかも知れないと。

だから、方位方角や、いろいろなものが、帰納的に構築されてきたんじゃないですかね。

そして、集積された想いの壁、特にあまり好ましくない想いの壁に対する対処法として考えられるのは、これをどう破るか、なんですけど、やっぱり、世界平和の祈りをするしか、想いを破る、あるいは中和して、緩和させることぐらいしか、やりようがないんじゃないのかなあ。

逆に言うと、物でも何でも、肉体人間の方から良い想いを投げかける、良い(想いのこもった)言葉をかけると、自らの周辺も良くなっていくのかもしれないですよね。

妙好人の人達ならば、常に、南無阿弥陀仏の祈り言葉で仏様(神様)と一緒だから、紆余曲折を経ながらも、周囲が光明化されていくというように(世界平和の祈りも同様です)。

素人的には、こんな風に考えます。

失礼致しました。

435_まだまだ

言葉遣(づか)い。

否定的(ネガティブ)な言葉。

バカ、アホ・・・などの言葉を使わない方が好ましい、というか、望ましいことを、以前書いたことがあります( 120_言葉、122_また など)。

自分には、ほとんど霊感らしきものはないので、ブログで、今でいう霊性(スピリチュアル)のお話をされている記事は、新鮮に感じるものもあります。

例えば、男女の交接とエネルギー交換の話などです。

へえー、そうなのか、そういうものなのか、愛情の交歓には、霊的な側面からも大事な意義があるんだな、と読める点もあったのですが。

しかし。

バカ。

低能。

バーカ。

せっかく、いい内容を書いていているのに、唯物論者の人に多くあるような、こんな悪い言葉を当たり前のように使っている(ちなみに、この人は女性)。

ごく自然な感じで。

バーカなんて、まるで子供みたいじゃないですか。

これでは、内容を相殺しても余りある言葉遣いです。

せっかくのお諭(さと)しが台無し。

いくら襟(えり)を正して話し方(書き方)を戻しても、数ヶ所にある言葉の悪い響きは残ったままです。

普通の人にはない、人間の持つ特別なエネルギーを感知できるのに、こうした言葉の持つ悪い響き(波動になるのかな?)がわからないのかな。(*)

ガックリです。

スピリチュアルといい、特別な能力を持ちながら、霊性がまだまだな人がいるんですね。

それなりの能力があっても、人格、霊格はまた別の場合があるんだなと、改めて思い知らされた記事でした。

~~~~~

・交歓~こうかん~互いに打ち解けて楽しむこと。

・交接~こうせつ~①性交。交合。セックス。
②交際。
ここでは、①の意。

(*)楽しい・・・といった肯定的な言葉と、苦しい・・・といった否定的な言葉を書き出して、比較対照するとわかりますが、読むだけでも感じが違います。

アホ、バカ、クズ・・・こうした言葉を聞いたり見たりしていると、酔(よ)うというか、気持ちが悪くなるというか、辛(つら)くなってくる。

私のように霊感がほとんどない人間でさえ、こう感じるんです。

やはり、言葉には、響き、というか、何らかの力が宿っていると思わざるを得ません。

これが言霊なのですかね。

「はじめに言葉ありき」と新約聖書ヨハネ福音書にもあるし(これを誤訳だと言う人もいるけれど・・・)。

・言霊~ことだま~言葉を神霊視した言い方で、言葉の持つ不思議な霊力。
(用例)言霊信仰。

・神霊~しんれい~①神のみたま。
②霊妙な徳。
ここでは、①の意。

・御霊~みたま~霊(たま。神や死者の霊魂)の敬称。