最近、男女のことを書いたりしたんで、現時点での状況を参考にと、インターネットを見たんだけど、相も変わらず、だね。
何がって、横文字の氾濫がさ。(*1)
クライシス、コミット・・・、こんなもん、危機、重大な局面と、かかわりを持つ、関係する、でいいじゃねえか。
十分だろ。
何で大したことないのに、いちいち言い換えるんだよ。
その言い換える意義を、きちんと注釈をつけて、あらかじめ説明しなさいよ。
私どもの調査と認識では、コレコレ、どうしても従来の言葉を置き換えるべき、重大な背景や意味付けが生じたと理解しております。
よって、やむを得ず、今まで慣用していた言葉の使用を取り止め、廃棄?し、新しいものと差し替えました、ご理解、ご了承下さいってね。
まあ、内容からして、10 代、20 代の若者以外?は読まないから切り捨てているのかい?
そうじゃねえな。
何も今に限らず、前からあったことだからな。
前々から一度、こうしたことをする人達に、俺は尋ねてみたかったんだ。
なぜ、こんな置き換えをするんだい?
ノリがいいからかい?
カッコいいからかい?
時代の最先端を先取りしている気でもするのかい?
ホントにわかんねーな。
キチンと意味の通る日本語が既にあったんだよ。
それを無視して抹消するかのように、新たなカタカナ語を敢えて使うんだよね?
せめて、使わなくなる言葉さんに、心の中だけでもいいから、仁義を通しなさいよ。(*2)
私は、斯く斯く然々(かくかくしかじか)(*3)のやむを得ぬ、退(の)っ引きならない(*4)理由があり、あなたを敢えて使いません。
以後、使うつもりもないので宜しく、とね。
ただし、その退っ引きならない理由が、実は、読者の理解力を深め、教養を涵養(*5)し、有益な知識を得ることに、何一つ資さないものであり、あなたに対する不当な扱いをすることを、ここに深くお詫び申し上げます、と。
夏目漱石さんが、もし生きていたら、どんな風に思うかきいてみたいよ。
果たして礼賛するか、はたまた、置き換えの濫用(*6)を戒めるか、この現況をどうお考えになるのか、を。
実は、かつて俺は、この横文字濫用風潮に仮説を考えたことがある。
日本は、ここ千数百年来、抑圧的な社会で、封建的な名残もかなりあった。
意味がハッキリしていても、この封建的抑圧的色合いを、何となく感じさせるのが嫌で、コレを解体して崩したい、逃れたいのではないか、と。
つまり、何とかこの牢固(*7)としたしがらみを取っ払いたい、抑圧臭、封建臭を感じさせないように、まったく新たな言葉を充(あ)てることで、その時代の若者が受け入れやすい流行の前兆現象として取り入れよう、と。
もちろん、これはかなり無意識レベルに近い領域でなされていることであり、ここまでハッキリと意図した上で、行っているものではないだろう。
ただ、これが見られがちなのが、若者(最近は中高年にも大勢いるみたいだが)や女性に多かったことからすると、ものの見方の一面としては、当たらずとも遠からずかな、と思っていた。
ただねえ・・・。
それも一理あるかもしれないし、気持ちもわからないではない。
しかし、誰にもわかりやすく、理解しやすい平易な言葉で表現し、まずは、理解を共有する下地(*8)をしっかり整えてから、内容で勝負することを第一義とすべきじゃないのか?
それが本筋だろう?
違いますか?
読者層が、ある程度限定されるなら、それで弊害が生じることも少ないだろう。しかし、少しでも読者の裾野(すその)(*9)を広げたい、内容の正確な伝達を第一義に考え、読者に誠意を持った形で臨みたい、と思ったら、果たしてあんな行動(安易な置き換えのこったよ)をとるべきだと言えますか?
俺はこうしたことを嬉々(きき)として(*10)やっている人達が、何を意図してあんなことをするのか、いつも理解に苦しむんだ。
読む側の人間のことを、誠心誠意を尽くすことを、ロクすっぽ考えてねえんじゃねえか、と。
そして、以前書いたが、誠意をもとにして、極力無駄を排した、簡潔で平易、そして理解しやすい内容や文面がまず第一で、装飾その他はこれが会得できてからの話だ、と考えるから、こんなにやかましく言うのさ。(*11)
コミットを連発していたのは、ある鼎談(*12)だったが、何となくノリノリな雰囲気に感じたな。
よく、子供や若者が、自分達仲間内にしかわからない言葉やサインを作り、はしゃぐことがあるが、俺はあれに近いものを感じてならんのだよ。
つまり、言葉のわからない者は、置いてきぼりで淘汰しても構わん、ついてこれないのが悪いのさ、という軽い思い上がりと、自分達だけは時代の最先端を走って社会論評をしている仲間だとはしゃいでいる、と。
まあ、外国語かとばかり思っていたのが、実は和製英語だった(*13)という、ぐちゃぐちゃな側面もあるお国柄になっているのも、こんなところに一因があるのかな、と思うのさ。
もちろん、ラーメンの多様さに見られるように、様々な舶来(*14)ものを取り混ぜて、より良いものを工夫して作り上げるという日本独自の美点もあるが、あれは違うと思うよ。
俺は、日本語が平仮名や母音、特に母音を含んだ言語になっている特別な意味を持つから、祭り上げろとか、その類いのことはよくわからん。(*15)
ただ、肌の色が黄色で、髪が黒髪のような遺伝的素因(*16)ほど土着の固有さはないと思うのだ。
時代によって、言葉や語彙はそれなりに変遷するものだし、その速さも遺伝的な要素よりは比べ物にならないくらい遥かに速い。
今、濫用されているカタカナ語を見ると、意味不明の雰囲気を醸(かも)し出しながら、確かに重圧は感じにくくなっているとは思う。
ひょっとしたら・・・。
現界(この世)から先の、幽界、霊界、神界では、順に波動が細かくなり、想いその他が相手に伝わるのが、あっという間の一瞬より速いらしい。
現界の真善美に悖る業想像念が、段々にとれてくれば、幽界には近くなってくるということで、話さなくても想うだけで、意思疎通ができるようになるかもしれない。
もしかしたら、この言葉の意味の希釈化(*17)、意味不明化が、その前段階として、そこそこの時間をかけて、準備されてきたものならよいのだが。
地上天国化の階段をかなり手前?ながらも、通過しつつある、と考えられなくもないからね。
まあ、悪魔的存在が強大な力を持ち、なおかつ、栄えまくり、業想念の百鬼夜行(*18)のようなこの世を見ると、まだまだのような気がするけどね。
全部消えてゆく姿で、いずれ真善美に悖るものは、必ず消え去るなら、少しは安堵(*19)できるんだけどね。
正直言って、よくわからない。
まあ、何はともあれ、世界平和の祈りを知る者は、地上天国に思いを馳せ、祈り続けるしか、道はないのだがな。
この世の不幸災難の原因は、私達肉体人間の過去世からの真善美に悖った業想念が、具現化して現れたもの。
ならば、これを少しでも緩和、消滅させる、一番簡易で、門戸が広くひらかれている、世界平和の祈り一念の信仰をするのが、確実だろう。
唯物論的にも、俺の書いた上記のやり方が、文章伝達のあるべき形だとは思っているし、その形になっても各自の個性は残ると思う。
文章伝達表現の希釈化や意味不明化との兼ね合いも、すべて守護の神霊さんが、善きに取り計らって下さると考え、信じていくしかないだろうな。
そのために力になる祈り人が、一人でも多く増えてほしいと、俺は切に願っているんだ。
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(*1)はんらん~やたらと多く出回ること。
(*2)じんぎ~慈しむ心と正しき道にかなう行い。人の行うべき正しい道。
とおす~(ここでの意味は)一つのことを貫く。
(*3)かくかく~具体的に述べることを省略する語。
しかじか~具体的に述べたり、文章を繰り返したりすることを省略する語。
双方併せて、これこれこの通り(の内容)だ、以上の次第だ、の意。
(*4)のっぴきならない~もう、どうすることも、できない。
(*5)涵養~かんよう~段々に、養い育てること。
(*6)らんよう~(限度をわきまえずに)むやみやたらに使うこと。
(*7)ろうこ~しっかりしていて、動かされない様子。
(*8)したじ~物事の土台となるもの。
(*9)すその~あるものの下に広がるように関係している範囲。
自動車産業の裾野は広大、のように用いる。
(*10)きき~楽しげに遊ぶさま。満足してうれしそうなさま。
(*11)書くことは、すなわち、暗黙のうちに、読者を想定している訳で、究極的には、読者をその目論見通りに、その思想や行動を誘導したいという思わくがある(たとえ、無意識にでも)。
そこまでいかなくても、人様に意見を聞いて(読んで)もらい、考えてもらいたいなら、やはり、読みにくさの多い不親切な書き方では、ダメだと思う。
ハッキリ言ってしまおう。
要は、相手方(=読者)も神様の分霊(わけみたま)を宿しているのだから、きちんと真心を持って臨みなさい、ということなのだよ。
どんなに、読者各人の因縁因果の違いにより、識字率、読解力、理解力に差があろうとも、できるだけ取りこぼしがないように、書き手としては、あらん限りの努力は為すべきだ、と。
ましてや、どんなに才能に恵まれていても、俺様の文章を読め、といった態度は論外だよ。
巷で、謙虚さが大切とされるのは、本当はこの意味があるからだと思うよ。
まあ、こんなやさぐれた文章を書いちまった俺が、人様のことをどうこう言えないんだが、理想はそういうことなのさ。
なお、こうした俺の説教めいた小言?は、特別な才能を生まれつき持った人(こうした人も、幾つもの過去世での研鑽があってこその才能だろう)には、野暮な話になるだろうが、この点はご了承下さい。
(*12)ていだん~(用意された席で)三人で話をすること。また、その話し合い。
鼎(かなえ)は三本足であることからいう。
なお、鼎とは、(古代中国の)三本足の鉄や銅のかまのこと。
他に、王位・権威のしるし、としての意味がある。
ちなみに、鼎の軽重(けいちょう)を問う、とは、その人の権威や実力を疑うことをいう。
(*13)興味がある方は、アン・クレシーニ著ペットボトルは英語じゃないって知っとうと!?(ぴあ出版株式会社)を参照して下さい。
(*14)はくらい~外国から船などに載せてくること。また、その品物。
(*15)これに関しては、マドモアゼル愛という人が詳しいみたいだ。
確か、アメーバのブログにあったと思うので、興味のある方は見てみて下さい。
ここ 1、2 年の記事だったと思うけど、思い出せないので、すみませんが、ご自分でお探し下さい。
(*16)そいん~事件や現象などが起こる、もとになる原因。
日本人の祖先が、どこから流れ着いたか、寄り集まったかは知らない(*16ー1)が、少なくとも黄色人種(最近は、モンゴロイドの表記が多いな)の特徴はあるな。
たまに、目の色がエメラルド色で、肌が抜けるような白さの白人さん系の人(俺が見たのは皆男だった)や、爪や唇が黒人さん系の人(これは、男対女、4対1くらいの比率で見てきたな)を見ることがあるがな。
話し方と抑揚は、まったくの日本人なので、長い世代の引き継ぎ伝播の中で、たまたま、彼らにあのような特徴が現れたのだろう。
こうした人達を見ると、遥か遠い彼方の祖先達は、様々な人種がそれなりに交じり合い交配していたか、単一の祖先が五種にわかれたかのいずれかだろうな。
(*16ー1)俺は、巷の天孫降臨話は、現時点では?だと思っている。
神話云々は、込み入って面倒なので触れません。
(*17)きしゃく~溶液に水などを加えて、うすめること。
(*18)ひゃっきやこう~多くの化け物が、夜中に列を作って歩くこと。
(*19)あんど~心配していたことが無事にすんで、安心すること。
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(追記)
( 001_はじめに - おぶなより ) の (追記) で保留しておいた、文章を平易なものとすべきとした理由は、(*11) の中の、ハッキリ・・・以下のくだりにある通りです。
読者も神様の分霊を本体とする肉体人間なのだから、誠意を持って臨みなさい、と。
読者層があらかじめ定まっていないのであれば、内容の伝達を重視して、様々な可能性を考えて、できる範囲で手を尽くしておきなさい、と。
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(書き手側)
書き手としての自分は神様の命を生きている
=神様に生かされている
=自分としては、いい加減には生きられない
=〈神様としての読み手〉のための文章作成に対しても(その神様という主体にふさわしく)全身全霊を込めて力を尽くすべし(これは、厳しすぎるので、あくまでも理想です。すみません)
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(書き手から見た読み手側)
読み手=読み手である相手も神様の命を生きている
=神様に生かされている
=(神様としての)読み手に(書いた文章を)淀みなく読んで頂き、きちんと理解して頂くためには、(書き手としては読み手に対して)誠意を尽くして、(書き手としては読み手を)尊重して大切に扱わなければならない
=神様としての誠意を尽くした献上品を、同じく神様に差し上げるから
=従って、いたずらに、難しく、見づらく、読みづらく、わかりにくく、変に凝っている、といった文章を書くことはあまり好ましくないことになる
どんなに、その内容が高度で充実していて、読み応えがあったとしても
ということで、読者を楽しませる高度な技法、その他は、できることなら後回しにした方がいいのではないかと考えられる
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うまく図式化ができず、説明書きもちょっとゴタゴタとしてすみませんが、とりあえず、こういった対比の形で考えると、おわかりになると思います。
これは、( 024_真心 - おぶなより )で一番最後に書いた結論と内容が同じです。
歌手の三波春夫さんは、お客様は神様です、と言っていたようです。
三波さんは、もうだいぶ前にお亡くなりになられているので、その真意をきくことはできませんが、こうした意味が含まれていたのではないかと思います。
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まあ、こうは書いたが、俺には文学的な香りがどうの、修辞の味がどうのは全くわからない。
こういうのは、例えば、満艦飾?の谷崎さんなり立派な人達の作品を読んで、各々、消化吸収して研鑽して下さい。
俺は、事務的かもしれないが、とりあえずは内容伝達を第一に、そして後の肉付け精進は、各人霊性の開発をしながら、それぞれに進めて頂ければいいのではないかと考えています。
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①追記: 2024/03/31 08:33
②追記: 2024/03/31 08:46
③追記: 2024/03/31 08:50
④追記: 2024/04/19 19:10
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。