おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

054_雑記2

( 053_雑記 - おぶなより ) からの続きです。

神様は、これらのすべてをお見通しだったから、守護霊さんと守護神さんを各肉体人間につけて下さった。

なので、主に守護霊さんが浄めてくれている。

これによって、幽界で決まってこの現界に出てくるはずの、主として悪い因縁を浄めて、因果たる運命を修正して、人類の滅亡を防いでいるらしいんですね。

そうして、地上天国化への険しい道のりを、陰になり日向(ひなた)になり、お支え下さっている、と。(*1)

それも、何の見返りもない、無償奉仕の菩薩行として。

それでも、こういった仕組みをつゆも知らない私達の大半は、あとからあとから、際限なく業想念を出し続けるから、なかなか、追い付かないのかもしれません。

何世にもわたる過去世の業想念の大量蓄積=堆積に加えて、現世でも、セッセ、セッセと業想念を積み上げる。

身の回りだけでも見て下さい。

書籍でも、ネットでも、業想念を煽(あお)るものがかなりあります。立場の違いに関係なく、自己思想?だけを正当化した上での他者の裁きまくり系は、もれなくすべて、かなりの業想念を生じさせると言っていい。

こうしたものの、いかに多いことか。

書いている人達は、こんなこと(輪廻転生や因縁因果や業想念のこと)など一切お構いなしで、まあ、裁く、裁く。

あなた様は、一体、どこのどなた様であられるのですか?というくらいに、裁きまくるからです。(*2)

元々が権力の広報と娯楽提供から始まったであろう、テレビを代表とするマスコミに至っては、もう、言いようがありません。

特に最近は、どうしようもありません。

テレビについて言えば、各家庭どころか、各人に 1 台以上、公共施設にも、ありとあらゆる場所に超大型液晶テレビが備えてある。

しかし、肝心要のその内容は・・・。

追及派の人達のいうところの覚醒をしなくても、ある程度覚醒してきていても、内容をまともに受け入れていたら、業想念だらけにさせられてしまう。

何気なく見ているだけでも、かなりやられるのではないですか。なぜなら、我慢して聞いているだけでも、相当に辛いからですよ(糧にしている人達には悪いがね)。

何を見ても、何を聞いても、消えてゆく姿!と突き放し、一切影響を受けずにブレなければいいですが、よほど霊性の開発がすすんでいないと、とても無理です。

どうしても、感情と想念に影響を受けて、乱されてしまう。

それだけではありません。新聞、雑誌、書籍、CD、DVD、BDもかなりのものです。

少なくとも、祈りをはじめてもらわないことには、かなり・・・と思えるほどに。

消えてゆく姿の現れというよりも、業想念の加算現象に見えるほどに。

それが、今の状態じゃないですかね?

ならば、私達としては、どうすべきか?

幽界を浄めるために、まずは自分の想いの世界だけでも浄めるしかない、まず手始めに、となりますね。

人類の一構成員としては、気づいた者から、手近なところから始めるしかありませんからね。

で、どうするか?

どうしたらいいのか?

私達各自が、祈りをして、神性を宣(の)り出して、神様の光を出すようにするんですね。

ただ、肉体内部の神様の光、神様の分霊は、厚い厚い業想念に覆われてしまっていて、自力でその光を出すことは、まずできないんですね。

これができる人は、かなり人格の高い、霊的に指導的な立場にある人に限られますからね。

従って、私達としては、神様の光を頂くことを主にしながらやっていくしかありません。

無論、肉体内部から神様の光が輝き出して、共鳴できれば、最高なんでしょうが、これは今の段階では、まだまだ無理、例外でしかないでしょう。

そうして、自らの想いの世界の幽界と、世界平和の祈りなら、より広い人類全体にまでも広げた幽界までも浄めて、少しでも業想念を消し去る努力をする。

お掃除をする、と。

現世で現れてくる、過去世の因縁の発現、特に、不幸、災難などの現れを、少しでも守護霊さんのお許しと裁量の範囲内での運命修正のご加護を頂きながら、業想念を消し去る努力をする。

で、運命修正のご加護の救済の恩恵に預かれなかった、過去世の因縁の発現も、祈りとともにできることならば、感謝とともに受け入れる。

また、来世以降を見据え、隔世を経て現界に現れてくる不幸などの悪い原因となる業想念を減らしていくんです。

すべては、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行によって。

少しずつ、地道にコツコツと。

ツマラナイですか?

それでも・・・。

大河の一滴だろうが何だろうが、ダメだろうが何だろうが、やらなしょうがないんですよ、祈りを。

祈り以外は、業想念を増やすものが殆どなんだから。

真善美に悖る業想念たる想いが、不幸などの原因となる以上、これを浄めて減らさなければ、悪くなることはあっても、よくなることはないんですよ。

過去世の因縁が発現する現世でも、霊性がかなり開発された現世内でも、現世の因縁が発現する来世以降でも。

だから、やるしかないんですよ、祈りを。

本来なら、普段から自然にわき上がるように祈りがあふれだし、神様に感謝できるのが理想です。

その遥か手前にすらたどり着けなくて、どうするんですか?

勧善懲悪の、単純きわまる、わかりやすい展開があるのは、ドラマや漫画やアニメの中だけだと思います。

残念?ですがね。

降魔(ごうま)の利剣式のカッコよくて、スッキリとした物語なんか夢でしかないと思います。(*3)

それが、この世(現界)の現実ではないですか?

もし、あるとすれば、それは八百長

話を戻します。

この神様の光も、ただ何となく頂けるのではなくて、神界の神様と、現界との間を取り持つそれなりの開祖が、約束事をして、これこれの祈りをすれば、神様の光を降ろす、としてあるらしいんですね。

南無阿弥陀仏の念仏や世界平和の祈りのように。

そして、更には、陰になり日向になり、常に自分に寄り添い、見守り、業想念を浄めてくれている、守護の神霊さんに感謝するのは、とても良いことですし、当然となりますね。

お守り頂いているけれど、自らも努力すべし、となります。

神様の分霊を宿す者、すなわち、神様の子供として、ですね。

だから・・・。

何回も( 10 回越えたかな?)、世界平和の祈りをお願いしているんです。

皆さん、そろそろ、唯物論に見切りをつけて、祈りを始めて下さい、と。

業想念をもったままで、いいですから、と。

襟を正して、人格をそれなりに上げて、何てやってたら、いつまでたっても始まらないし、間に合わないから。

特に、追及派の人達には、ゴブチの取り戻しの可能性も含めて、是非とも祈りを習慣化して頂きたいのですよ。

まあ、彼らが、私の文章、この徒然の書き散らしを見て、どう思うかはわかりませんがね。

ボロクソに罵(ののし)られて、例によって?、バカ、クズと言われるかな?

それでも、一向に構いませんよ。

こうして、たどり着いて読んでもらったことで、あなた方の潜在意識には、とりあえず、記録してもらえましたから。

それで御の字、十分です。

大満足です。

輪廻転生を重ねた、後々のいつの日にかは、必ずわかってもらえると信じていますから。

本当は、もっと系統立てて、体系的に書けばよかったのですが、私の気まぐれや絶対的な力不足のために、まったくうまくいかず、内容が散らばってしまいましたが、この点はお許し下さい。

ただ、個々の内容は、私が読者として読解に苦しんだ経験を踏まえて、とにかく平易を旨とするようにはしましたのでね。

読みづらく、イライラさせられ、腹も立った分、失礼ながら、自分だけはその轍(てつ)を踏まないように、と心がけましたから。

これが、力不足の至らぬ者が、文章を読んで頂くための、せめてもの誠意の示し方だと考えたからです。

その他にも、色々と考え過ぎて、ふりがなをつけたり、語意を書いたりと試した側面もありました。

これも、ご了承下さい。

それと・・・。

前にも書いたけど、聖書の内容の納得のしにくさ、仏典の不可解さ、不思議さ、記紀のわかりにくさ、霊界通信等々、あまり深入りしない方が、いいんじゃないかなあ。

のめり込みすぎて、人生の大半を費やすのは、ちょっとねえ。

これは、あくまでも、それなりの定めがある人に任せてさ。

その判断は、霊の目の利く守護霊さんにお任せすれば、来世以降も踏まえて、最適に導いて下さるはずだから。

まず、基本は、今までの大半の時代が、唯物論だったと踏まえる必要がありますね。

かつて、ある人が言ってましたが、歴史はその時々の勝者に都合のいいつくりごとになる可能性が極めて高いんです。

唯物論では、勝てば官軍なんですよ。

ということは、残された文書などがすべてを網羅している可能性も低く、かつ、真実そのままとなる可能性も低くなる、ということなんですね。

逆に言うと、その時々の権力の都合で、改変や抹消などをされた可能性が、否定できないんです。

(表向きの)歴史は勝者の捏造である可能性が高いと。

現在なら、アメリカだけは、かなり公開をしているのかもしれませんが、究極のものはさすがに出せないのではないでしょうか。

だから、あまり研究しすぎて、迷宮に入らないようにした方が、いいんじゃないかなあ。

手がかりも少なく、資料の信憑性もわからず、徹底的な洞察と補完法で、振れ幅を詰めに詰めて、真実を探求するのは、容易ではないと思うから。

まあ、在野でこれを独自に成し遂げた、ごくごく少数の人は、確かにすごいな、とは思いますけどね。

しかし、どんなに教養なり、知識なりがあっても、普段、その時々で、真善美に適(かな)った行いがスッとできなければならない訳で、これができないと、本末転倒になってしまいますから。

それも、何もかもを含めて、守護霊さんにお任せすることが望ましい、と。

まあ、そういうことで、お願いできれば、ありがたいなあ、と思っています。

~~~~~

(*1)陰になり日向になり~かげになりひなたになり~(人を援助するのに)あるときは人目につかないところで、またあるときは表に立ってなにかと心を配るさま。

日向になり、はないかもしれません。私達には、特別な人を除き、守護の神霊さんは、目には見えない場合が殆どだから。

(*2)どうしても、唯物論にこだわり、裁くことがやめられないのならば、せめて SM さんの調べあげた内容を、最低限の共通認識としてから、立場を違(たが)えて下さいよ、と感じますね。

ここが出発点。それ以外はすべて却下、と。

常識やうわべだけの理屈では、深淵になんか近づけっこないんですから。(*2-1)

その共通認識を下敷きにした上で、なおも、従来の主張を通そうとする人がいれば、その立場や本音が、より一層、明確になるでしょう。

まあ、とはいえ、SM さんの調べあげた分量は相当なものだし、彼が要約を施していない、そのままの引用もかなり多いし、その広範で深い内容を、ある程度、簡易にまとめた教科書のようなものがないと、ちょっと厳しいかもしれないな。

ほんのちょっとは、親切な要約版のような箇所もあるね。あれは、やはり彼の主題なんだろうな。だから、手短にその精髄(エッセンス)をまとめてくれた、ということだろう。(*2-2)

彼が、仮に向こうの人ではないとしたら、今、その胸中を去来するものは、何だろうか?

ふと、そんなことを思う時があります。

(*2-1)深淵~しんえん~①深いふち。
②(比喩的に)物事の奥深い所。
ここでは、②の意。

(*2-2)精髄~せいすい~物事のいちばんすぐれたたいせつなところ。神髄。

(*3)・降魔~ごうま~(仏教語)悪魔を降伏させること。

・利剣~りけん~①よく切れる鋭い刀剣。
②(仏教語で)煩悩を断ち切る仏の知恵や法力のたとえ。
ここでは、②の意。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2024/03/31 23:16
②追記: 2024/04/01 01:52
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。