KD さんが、また荒れている。
せっかくコメントを寄せてくれる人達にまで、とうとう、こんな台詞まで吐いてしまった。
あんたら、みんな馬鹿、と。
何回か触れましたが、意固地な人には説得は無効なんですよ。
それだけ、因縁が深く、簡単には動かないからです。
普通の人だってそうです。
因縁が解消しない限り、因果は絶対に動きません。
説得しようというのは、唯物論なんです。
唯心論の因縁因果の壁は、崩せないんですよ、絶対に。
まして、彼女は揺り戻しが極端で激しい。
価値観がグラついても、必ず元に戻る人なんですよ、徹底的に右寄りに。
しかも、戻る度に更に過激になって、業想念を増やし、場合によっては、捨て台詞まで吐く。
悲劇の運命に翻弄された人達よりも、声さえあげることもできず、深い悲しみと怨嗟(えんさ)に沈んでいった名もないような人達の声を掬(すく)い取るよりも、自分の刷り込みや、思い込み、そして、そういった美談を、あくまでも優先させる人なんですよ、彼女は。
どんなに、懺悔(ざんげ)のような告白めいたことを言っていても、彼女の中での優先順位は動かないんです、絶対に。
彼女の俯瞰(ふかん)の視点は高止まりで、底辺まで降りたがらない。
いかに降りたように見えても、必ず反転上昇しますから。
何があっても、帰るところは、彼女の中の因縁因果で固められた神話なんです。
理詰めで、無理矢理、洗脳を解こうとしても、最終的には、強烈な拒絶反応を示され、失敗に終わる。
これと同じです。
これで、彼女の中にある神話は、因縁とともに絶対に崩れない、そうご理解できたはずです。
因縁とはこういうものなのです。
解消しないと消えない。
決まっているし、実に強固なんです。
揺れているように見えても、ここが急所とたたみかけてもダメです。
無理に崩そうとすれば、更に、ますます、以前にも増して頑(かたく)なになる。
他の人の発言は、単なるきっかけにしか過ぎません。
それで、彼女の元々の資質(因縁のこと)が呼び覚まされただけです。
彼女の場合は反動がついて、更に過激になり、感情任せに他人を中傷(何倍頭がどうのなどと、ロクな根拠もないのに決めつけて、人様を貶(けな)すのは、明らかな中傷です)までしてしまう。
因縁因果の壁がいかに厚いか、理屈での説き伏せ(唯物論のこと)が、いかに効かないかが、これでよくおわかりになったはずです。
そして、それを無理に解こうとすると生じる弊害も、です。
なので、周りの方々がどういうお考えなのかはわかりませんが、少なくとも、彼女を宗旨変えさせよう?とか、自らの陣営に女神として召喚(しょうかん)しよう?などと期待をするのは、以後は、絶対になさらない方がいいと思います。
あの状態では、彼女も含め、かかわった人が、かなりの業想念を抱きかねないんですよ。
それなりに、因縁が解消されるのを待つしかないんです。
その解消のされ方が、唯物論的にどのような結果になるかは、考えなくていいんです。
あくまでも、世界平和の祈り一念で、結果は守護霊さんと守護神さんにお任せするんです。
コメントを寄せられた方で、それなりの考えや主張かあれば、今後は彼女はそっとしておいて、新たに別の旗をたてればいいと思います。
あとは、皆さん各自で、祈りの道に入ることができれば、お入り頂くということでいいかと思います。
とにかく、業想念を抑えて祈りに徹する。
人類の過去世からはじまり、すべての次元の世界と、古(いにしえ)からの歴史的背景を俯瞰することは、私達には、絶対にできない以上、これは仕方のないことなんです。
神様のように、その視点に立つことができない以上、ああだこうだ裁かないようにするんです。
ましてや、争い紛いは絶対にダメです。
最終的に地上天国がなるものならば、裁きや差配は、神様にお任せするんです。
俺が以前に言ったのは、そういうことなんですよ。
すべてを俯瞰して事を最善に運んで下さるのは、神様しかいないのだから、ご面倒をおかけしないようにするんです。
どんな制度であれ、神様が必要とあれば残されるでしょうし、もう汚れ過ぎて限界だ、続けるのは無理がある、続けるべきではない、とご判断されれば、それなりになるでしょう。
でもこれは、神様がお決めになることなんです。
肉体をまとってこの世に降り立った、過去世の因縁の解消を主として、修行のために来ているような至らない私達が、どうこう理屈で決めつけることではないんです。
確かに、世の中は、こんな状態です。
正直言って、神様を信じるのは、非常に難しい。
でも、投げてしまったら、それこそ終わりです。
だから、ご面倒をおかけしない、お手を煩わせない、そして、祈りをして、ほんの少しでもお役に立てるように努力する。
これしかないんですよ。
祈りに徹したら、あとのことは、すべてを知っている神様にお任せするしかないのです。
私達がどうこう決められない、裁けない、そうしてはならないんです。
この四季と自然の恵みの多かった、素晴らしい大地、特にこの地は、公害をはじめとして、近代はことごとく汚されてきた。
後に控えているのは、人類の科学から生み出された負の汚物で、この地を埋め尽くすかどうかのことなんです。
もし、一部の人達が危惧されるような結果になるならば、私達一般人は、よくよく悪い星の下に生まれてきたとしか、言いようがありません。
特別に効果的のある無害な浄化方法が開発できないと、・・・。
本当に残念ですがね。
例によって、大規模カネ儲けの話と人口削減の、悪魔のような組み合わせの謀(はかりごと)です。
もう、とっくの昔に詰んでいましたが、とうとう、その最終的な仕上げのような段階が、見えはじめてきたのです。
心優しく、臆病?で、霊性が高めの一般人も、ついに・・・。
この状況下では、唯物論ではどうにもならないという、厳しい現実があります。
閻魔帳を手にした、天涯孤独、そして無心で余分な悪感情を持たない、元祖魔人ブウのような架空の設定の者にしか、強引な世直しをすることは、絶対にできないからです。
今までの経緯から見る限り、各組織全体の自浄作用は、まったく期待できません。
私達一般人が、今すぐお釈迦さん(仏陀)のようになり、いかなる悪巧みも弾き返せるように霊性の開発がなされることも、絶対にあり得ません。
厳しいですがね。
私が、祈りしか残っていないと言ったのは、これをも含めてのことだったのです。
かなりの程度、調教が行き渡り、説得は困難だという主旨のことを別に書きましたが、これも因縁によったものです。
仮の言い方をさせてもらえるならば、絶望するのは簡単です。残された猶予の時を、刹那(せつな)に生きるのもそうです。
普通の人の生命や生活が失われることを何とも思わず、カネ儲けと権勢欲にまみれたような人達に、いいようにやられてきたのは、本当に残念ですが、唯物論で解決できないことは、今までの経過から、実証済みだと言わざるを得ないんですよ。
こんな状況に、もう、余分なあがきはしたくないと感じる人がいても、無理もないのかもしれません。
以前、追及派の人達に、匙(さじ)を投げるか、祈りを始めるか、二者択一の選択をしろ、のように迫った意味も、これでおわかりだと思います。
とにかく、祈りしかありません。
あとは、アナタ(男性向け貴方、女性向け貴女)の、ご判断次第です。
で。
それと、まあ、これは蛇足なんだが・・・。
気づいた人もいるかもしれないが(いねえか。そもそも、コレ読む人いねえかもな)、俺の物言いに関して、種明かし?をすれば、
バカ(馬鹿)、
バカヤロー(馬鹿野郎ー)、
アホ(阿呆)、
ボケ(惚け)、
クズ(屑)、
カス(滓)、
ヤツ(奴)、
・・・etc
といった言葉は、基本的に使っていない。
特に、人様を指しては使っていないはずだ。
当然だが、ビッチもそう。
ヤリチン・ヤリマンを用いるに当たっては、話の前に、一応、断りを入れている。
また、顔文字の w も使っていない。
なぜか?
これは、自己を正当化した上での、人様を見下した笑いの意味合いを含んでいるからだ。
つまり、明らかに、嘲笑(ちょうしょう)に通じるものがあるんだよ。
嘲笑とは、人様をバカにして、笑うことであり、嘲(あざけ)り笑うことに他ならない。
再三再四、取り上げてきた、輪廻転生上で、甚大(じんだい)な意味を持つ、ゴブチの(傲慢、侮蔑、嘲笑)中の一つ嘲笑なの。
よって、これも使っていない。
といった次第で、これからも、これらの言葉や顔文字の w を使うつもりはない。
使わないように気をつけているから。
なぜなら、これらは、極めて安易に、真善美に悖る業想念を巻き起こし、相手や対象とした人達にも、同様に業想念を巻き起こすからだよ。
これらは、いわば、簡単でお手軽、しかも強力な業想念の生成及び煽動装置?なので、特に注意を払っているのさ。
使いたい時でも、グッと抑え、言葉を言い換え、穏やかな言い回しにできる場合があれば、極力、そのようにしているから(横文字濫用でキレたこともあったけど)。
使った、野郎とかヤツは、俺自身、自らを指す言葉としての場合のみ。
決して、人様に対する、蔑みや、攻撃的な意味では使っていない。
ここにも、注意を払っているから。
多少、気持ちがブレても、とりあえず、これらの言葉だけは使わないと決めている(今のところ)。
とにかく、自分のできる範囲では、可能な限り、業想念を抑えるように、心がけているから。
なかなか、うまくいかないが、努力は続けるつもり。
俺の文章が、読みやすさを心がけているとはいえ(力不足から下手なのは仕方ないが)、どうも味気ないな、刺激がないな、面白くないな、と感じられるならば、多少は上記の留意点(バカやアホなどの他者に対する貶(けな)し言葉や、ゴブチを使わないこと)が、影響しているかもしれない。
本来ならば、霊性の開発をすすめていき、業想念を浄めて、自然に上記の言葉などを使わないようになっていくのが理想的だろうが、俺は依然として霊性がかなり低いので、自らの意志で使わないようにしている次第。
足りない分は、できる限り祈りをして、補正していくしかないと思っている。
業想念が、かなり深い方には、参考になるかもしれない。
まあ、わからないが、そういうことです。
(追記)
ここに書いてある内容は、今から1年以上前の時点でのものです。
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①追記: 2024/04/06 01:38
②追記: 2024/04/19 20:03
③追記: 2024/04/19 20:08
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。