おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

061_報恩2

悪い予言などについて補足します。

巷には、霊感、波動感知、神々の啓示?その他、いろんな能力のある人がいるようですが、こういった方達に言いたいんですね。

じゃあ、あなた様は、その悪い予見とやらを、わずかなりとも好転させることができるのですか、と。

これができないのなら、なすべきことは、たった一つしかありませんよ。

黙して、陰ながら運命の好転に全力を傾けること。

運命の好転に全力投球、一筋のみ。

ただ、純粋にこれだけさ。

まあ、これに尽きるんだけど、以下、クドクドと述べます。

まず、悪い予見を書き記す人は、ご自分の心に問うてみてほしいのです。

自分は一体何を目指して、あるいは意図して、これを表明するのか、を。

これを、徹底的に突き詰めて、よく省察してほしいのです。

ご自分の想いと行為を。

俺のざっと見た範囲では、自分の特異な能力などの自慢を主として、これをする人は、ほぼいないように思えた。

やはり、世の中を少しでもよくしたい、現状を何とかしたいがために、無意識のうちに人様の賛同を得て、世直しに通じる流れを起こしたい、と考えているように見えたね。(*1)

でも、これじゃ、ダメなんだよ。

これでは、柔らかな扇動と同じで、唯物論の世直しを、つまりタタカイを惹起することに他ならず、どうしても、真善美に悖る業想念と行為の応報になってしまうからですよ。

もし、仮に悪魔なるものが存在するとすれば、これでは、思う壷、我が意を得たり、になるのではないですか?

なぜなら、いつまでたっても、タタカイは止まないからさ。

恨みを晴らそうとすれば、タタカイのタネが尽きることはない。

仮に、片方を根絶やしにしたところで、後から、これの捲土重来(けんどちょうらい)を大義名分に掲げて、何かしら勃興(ぼっこう)する勢力が必ず出てくる。

なぜ、タタカイが止まないのか?

端的に言ってしまえば、真善美に悖る業想念が消失しないからです。

これが消失せず、霊界の下層や幽界に残っている以上、これらは時宜(じぎ)を待ち、その発現の機会をとらえて、現界へと表出することになる。

例えば、この恨み晴らさでおくものか、とね。

想念が乱れている人や、常に不穏な想念を抱いている人は、下手をすると憑依(ひょうい)されてしまうかもしれませんね。

なので、これを浄めてなくさないと、根本からの解決にはならないんですよ。

人間なんか、単に自己保存の本能だけを持ったエゴの塊に過ぎないとして、ほとんど動物並みにしか捉えない、あるいは、人間は元々壊れた存在だ、などとする方々には、もはや、何も言いたくないのが、俺の本音さ。

それなら、どうぞ、弱肉強食、弱い者イジメを推奨し、果ては、恐怖の独裁社会の到来の貢献に、せいぜい励んで下さいな、と皮肉の一つも言いたくなるくらいだからね(ああ、負のカルマを積んじまった)。

真善美に悖る業想念には、同じように対抗するのでは、ダメなんですよ。

あくまでも、祈りをして、神様のお力添えで、浄(きよ)めて消して頂くしかないんです。(*2)

そもそも、欲で釣り、刑罰で脅すのは、力のある者の唯物論のタタカイの得意技ですよ。

シオンの議定書じゃないが、力のある層は、頭がいいんだ。

欲で釣り、刑罰で脅すやり方と、用意周到で狡猾なシオンの議定書と組み合されたら、とても生半可なことでは、太刀打ちなんかできっこない。

ちょっとした連帯や、ポッと出のヒーローや旗手待望で、本当に何とかなるとお考えですか?

俺が、あり得ない架空の話とはいえ、なぜ、元祖魔人ブウのことを、世直しの可能性として挙げたか?

なぜ、天涯孤独、しがらみが一切ないこと、さらに、無心が必須の要件なのか?

絶対の条件だ、と言ってもいい。

よーく考えれば、わかるはずですよ。

こんな、絶体絶命な状況を救うとすれば、神様以外は考えられないのだよ。

神様のお助けを頂かなくて、何が救いとなれるものか。

他にあるはずが、ないじゃないか。

残念ながら、五欲にまみれ、肉体人間観にとらわれた私達には、これに抗うのは、容易ではないからですよ。

だから、向こうも、財力を始め、組織力は絶大だし、組織そのものも強靭強固でしょう。

そんな簡単に、何とかなる話には思えないんですよ。

以前書いたけど、想念→行為→行為の集積が世の流れになるなら、これを乱してはいけないんですよ。

これが原則ならば、とにかく祈りで神様にすがって、守護の神霊さんの運命修正のご加護に委ねるしかないと思うよ。

そうして、神様にお任せしたならば、この世に現象的にどのように現れようとも、勧善懲悪の物語を見るように、やいのやいの、言わない。

ああだ、こうだ、裁かない。

紆余曲折の成り行きに、一喜一憂しない。

それより、何より、想念を乱さない。

とにかく、真善美に悖る業想念を生じさせないように努める。

せっかく、特別な神様の縁と霊的な能力を授かって、この世に生を受けたのだから、祈り一念になれば、それなりの祈りの力、浄めの力があるはずなんです。

それを、是非、活かしてほしいのですよ。

選ばれた人なのだから、真善美に悖る業想念の渦に、巻き込まれて欲しくないんです。

それと、もう一つは。

悪い予見を聞かされた方の立場に立って、考えてみてほしいのです。

例えば、ある人(以下、彼と略します)が、いずれ大病を患う定めにあるとします。

それを、霊的あるいはその他で感得した人ならば、これを彼に告げてはいけないんです。

彼にしてみれば、ただでさえ悪い運命にある上に、さらに不安や恐れを抱いて想念が乱され、現世ばかりか、来世以降にまでに、運命の暗転を招くタネを蒔いてしまうからです。

彼が、運命修正の手段を知らなかったら、泣きっ面に蜂の悪い結果を招くことになってしまいます。

大病が発病するまで恐れ続けて、病気自体をさらに重くさせるばかりか、来世以降まで悪い影響を及ぼされたら、たまったものではありません。

自分が、たまたま、予知や予言ができるからといって、安易に口外してはならないのです。

良いものが、見えたからといっても、これまた、安易に口外してはなりません。

言われた人が前向きな自信をつけるなり、それを善きに対処すればいいですが、慢心でもさせてしまったら、せっかくの良い因果の展開に、水を差すことになってしまいます。

なので、こういった能力を授かった人は、よくよく慎重に、大事に使わなければならないのです。

もちろん、その適切な判断を下すための、それなりの知恵をつけなければならないでしょう。

そして、相手の性格や性質を見極めるための、直感も磨かなければなりませんね。

すべては、相手を救えるものなら救い、善きに導くためです。

このように考えてくると、やはり、霊性の開発も不可欠になるでしょう。

いや、こうした要件を踏まえたら、もう必須ですよね。

前に、こういった特別な能力や縁のある人は、善きに用いる使命を与えられたと考えるべきだ、と書いたのは、この意味です。

まあ、ちょっと厳しいかもしれませんが、人を善きに導き、そして、尽くす、聡明な人格者でなければならない訳です。

そのための能力なのですよ、と。

まあ、俺なんかは、こういった能力がないから、暢気(のんき)にしていられるけど、使命を帯びて生まれた人は大変だなあ、と思いますね。

ご本人によっては、まったく無自覚の場合もあるかもしれないが、その持って生まれた素養を生かして、縁のある周囲の人々や何らかの形で関係する人々を救い、霊性を向上させる重い責務を背負わされている訳だからね。

神様のみ心に適(かな)うよう、大事に慎重を期して、行動しなければならないからさ。

すでに、悪い予見をしてしまった方には、よくよく省察してもらいたいのですよ。

実は、あなた方は、決して迂闊(うかつ)には行動してはならない、大変なお役目を課されている人達であるのだから。(*3)(*4)

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(*1)まあ、違う場合もあるようだが、話がそれるので触れない。

ただ、この意味では、霊感などの能力があるからといって、やたらに触れ回るのは危険ですよ。

本物の能力があればあるほど、ひけらかすなんて、自滅行為になりかねないからです。

よほどの守護の神霊様のご加護がないと、運命を狂わされてしまいますよ。

善きに生きたければ、慎重にお願いします。

この危意味からも、世界平和の祈り一念の霊性の開発をおすすめします。

(*2)真善美に悖る業想念を、消し去る道は、以下の二通りだと考えられます。

一つは、そのまま。

つまり、因縁を、因果として出して消すこと。

これも、二つにわかれます。

①因果因果の仕組みなどは、何も知らず、ただ因果を受けてしまうこと。

因果の発現のほとんどがこれです。

②因縁因果の仕組みを十分に理解して、因果を受け入れること。

起きてくるすべてのことは、神様、仏様の、思し召し、おはからいと、自分にとって不幸などの因果の発現でも、感謝を持って受け入れる場合です。

もう一つは、どんな因果が起ころうとも、ひたすら祈り、業想念の消失を待つやり方です。

神様に浄めて消して頂くとは、これを指します。

(*3)あえて、悪い予見を認めるとすれば、直近に迫った危機に対して、どうしても緊急避難させたい人がいる場合でしょうね。

この場合には、因縁因果の展開をあえて曲げてまでして介入して、その後の因縁因果の展開への悪影響の波及を覚悟してでも、とにかく、今、この人を救いたいと動いた訳だから。

(*4)わかっていることだとは、思いますがね。

悪い予見が当たらず、ああよかった、旅の恥はかき捨て、ただそれだけじゃあ、済まないんじゃないですか?

真善美に悖る想念と行為は、因縁因果の循環の過程に乗り、浄めて消失させられないものである限り、原則として、最終的にこの世で具現化されるんですよ。(*4ー1)

本来、あるものではないから、消えてゆく姿となって現れてくるんです。

言いっぱなしで、知らんわ、ポイッじゃ済みませんよね?

世の人々に、それなりの影響を及ぼしただけでは済まずに、その分まで含めて、ご自分にキッチリ返ってくるんですよ?

その自覚はおありですか?

と、いつも感じるんですよ。

まあ、お人によっては、不安に駆られて言わずにいられなくなる場合も、あるのかもしれない。

しかし、何よりも大事なのは、解決のための最短の道を探る、そして、その方法があれば、最善を尽くすことではありませんか?

ならば、なすべきことは、おのずと絞られてくるんです。

おわかりですよね?

俺なんかより、遥かに学があり、頭も切れ、それなりの使命を託された方達なのだから。

さらに・・・。

悪い予見が当たってしまったら、それはそれで、重い、重い、重大な責任があるんですよ。

甚大とも言える。

これも、触れないが、よく考えて下さい。

だから・・・。

やたらな予見など、

決してすべきではない、

いや、そもそも、

してはならないことなのだ、

とわかるはずです(わからないはずがありません)。

そして、

霊的能力などを授かる

→神様に嘱望(しょくぼう)される

→従って、責任は重大

→軽はずみな行動はできない

→従って、慎重に大事に、

→しかも、叡智(えいち)と誠意を持って臨まなければならない

→神様のみ心に適うように人様を救い、

→そして、導くために

という帰結(または結論)になるのさ。


(*4ー1)そのほとんどは、来世以降だけどね。

これがわかっているようで、実はわからないから、現世ですぐに返ってこない(ブーメランがない)からこそ、みんな気安くやってしまうんでしょうね。

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(追記)
・捲土重来~けんどちょうらい~一度負けたり失敗した者が、再び力を盛り返してくること。

・勃興~ぼっこう~にわかに起こること。にわかに勢いを得て盛んになること。

・時宜~じぎ~時機が適当であること。ちょうどよいころあい。
(用例)時宜を得た処置。
時宜にかなう。

・憑依~ひょうい~霊がのりうつること。

・勧善懲悪~かんぜんちょうあく~善をすすめ、悪をこらしめること。
参考)儒教思想に基づく考え。江戸末期に文学理念として重視された。曲亭(滝沢)馬琴の読本(よみほん)の南総里見八犬伝は、この理念を基調とした作品として名高い。

・嘱望~しょくぼう~前途・将来にのぞみをかけること。期待すること。
用例)将来を嘱望されている。

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①追記: 2024/04/06 03:15
②追記: 2024/04/06 03:23
③追記: 2024/04/06 03:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。