おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

063_蔑称の意味

前回 ( 062_報恩3 - おぶなより ) の補足で、シープルを例に、蔑称の意味付けと、追及派の人達のいう覚醒後の行動について、見ていきます。

まず、シープルについて。

なぜ、覚醒しないまま、向こうに操作されている人々をシープルと呼ぶのか?

シープルは、人間であるピープルと羊のシープになぞらえて合成した、蔑(さげす)みのものの言い方ですね。(*1)

蔑むために、動物の羊を先に持ってきて、人間を後にくっつける。

羊人間と。

つまり、人間でありながら、何らの自己保存の本能をも含めた自主的で最適な判断も、それに基づく行動もとれず、ただ、羊さんのように、飼い主(向こうのこと)にいいように利用され、搾取されるがままの存在だとの、見下した言い方です。

なぜ、こんな言葉を投げつけるのか?

本来、保身を含めた思考能力のある人間なのだから、もっと自身を大事にして、向こうのいいように利用されないように、何かしら最適な判断と行動がとれるはずじゃないか、とまず思っていますよね。

それなのに、我欲まみれのずる賢い、向こうに、なぜ、なされるがままでいるんだ、もっとしっかりしろよ、との苛立ちが含まれていますね。

そして、向こうの行状や所業に対して、明らかな専横や腐敗の指摘や批判があっても、何ら無関心?で、そのあり方を変えず、何の行動をも起こそうとせず、なされるがままで、流されている。

しかも、これ自体が、シープルと呼ばれた人々の立場を蝕むばかりではなしに、巡り巡って社会全体を悪化させることに対する憤りも含まれている。

あんたらのせいで、向こうがますます図に乗って、やりたい放題じゃないか、何やってんだよ、と。

ここには、自分のワガママも含まれていますね。自分の理想とする社会のあり方があり、それを実現したくても、シープルと呼んでいる人達のために、このワガママが通らない、あるいは、邪魔になる、と。

それでも、まったく変わろうとしない、変わる気配のない、あるいは何も気づかないか、わからない人々に対して、失望して、ヤケになって、捨て台詞を吐いている。

ここでは、シープルと呼んだ人々のバカにされたことに対する反発は、明らかに期待していませんね。

どうにもならないと、匙(さじ)を投げ、ただ、蔑んでいるだけです。

思い通りになりゃしない、コイツらのせいで、コナクソ!ってな訳です。

そして、動物の羊さんのことも、明らかにバカにしている。

蔑んでいる。

羊さんだって、生命を宿して生きている、神様に生かされている存在なのにね。

少なくとも、同じ生命あるものとして、それなりに、いとおしむ気持ちは、まったく感じられない。

以上のように、ざっと表面をなぞっただけでも、これだけの真善美に悖る業想念を含んでいるんです。

人様をシープルと呼ぶ、想念と行為は。

さらには、生きとし生けるものに対する、慈しみや感謝がまるでない、と。

ひどいですよ。

かなりのものです。

さらには・・・。

自分達は、シープルと呼ぶ人々とは違う、もののわかった人間で、より良き理想の社会を目指す偉い?人間だ、という高慢、思い上がりまで含まれている。

たった一言、シープルと言って蔑んだだけで、ここまでのことをしてしまっているんですよ。

まあ、低能力の俺ですが、これを反対に読んでみると・・・。

人様をシープルと呼んだ人は、来世以降の何世目かに、まったく逆の立場に置かれることになるんですね、おそらく。

自分が人様をシープルと呼んでしまったならば、向こうに、否応なしに、いいようになぶられ、搾取されざるを得ない立場の人間となる。

能力がありながら、何らかの事情を課されて、そこを抜け出せない状況に置かれた人間となる訳です。

あるいは、いかに努力しても、なかなか能力が開花しない、厳しい枷(かせ)をはめられて、結果として、向こうに、蹂躙、搾取されざるを得ない立場の人間となる。

そうして、悲しく、辛く、悔しい思いを身にしみて味わうことになり、他人にいいようになぶられ、搾取されることが、いかに厳しく大変なことかを、身をもって(=来世以降でのこの世の)経験をすることで、魂の学習をする。

そうして、シープルなどのように、人様を決して蔑んではならない、と自然にわかるようになる。

つまり、どんなことがあっても、人様を安易にシープルなどと蔑むことは、決してしてはならないことだ、と体得するんですよ。

たった一言の蔑みや捨て台詞が、こんなにも予想だにしない重いものとなって、返ってくるんです。

ケイシー本には、もっと厳しい事例がありましたから、見るだけでも、恐れを抱くのはよくない、と考えたんですよ。

だから、とにかく、素直に、この忠告だけは聞いて下さいとして、傲慢、侮蔑、嘲笑(冷笑も)は、絶対にやめて下さいと何度も書いたんです。

とにかく、無条件にわかってほしい、と。

俺はできていない人間だから、いまだに不条理な苦しみで、神様を恨んだり、呪ったりすることが、実はあるんだよ。

ただ、もしこういった苦しみが、因縁因果や輪廻転生でもたらされるものならば、こんな思いを他の人にさせたくない、こんな目に遭わせたくない、とも思う。

そうすることで、これ以上、こんな苦しみを出さないことでした、こんな仕組みを作った神様に復讐してやる、とまで考えたことがあるんだ。

本当に、不遜で罰当たりだし、愚かなんだけどね。

お前ごときが、人様の魂の学習や運命に口出しなどするな、何様のつもりだ、と一喝されても仕方ないような話ですがね。

それでも俺は、この忠告を素直に聞き入れて、傲慢、侮蔑、嘲笑やこれに準ずる想念と行為をやめる人が、たったの一人でも出れば、どうだ、あんなに非情で、残酷な仕打ちはかき消してやったぞ、ざまあみろ、と言いたい気持ちを何回も抱いていたんだ。

今は、多少あきらめてしまって、神様への復讐心はなくなってきているけれど、他方、やはり、言わずにはいられない、聞き入れてくれる人がいないかもしれないけれど、とにかく、こんな悲劇は繰り返してほしくない、というお節介な気持ちもほんのわずかながらあるのさ。

あとは、地上天国化がなるものならば、それを遅らせることは、やめてほしい、という気持ちですね。

まあ、これは、侮蔑などの蔑称に関する言葉の使い方と、因縁因果や輪廻転生とのかかわりについての、理解の参考にしてくれればいいかな、と思います。

ホントは、シープルも書きたくなかったんだけどね。

スピリチュアル系の人が、書いたのを読んでしまったので、やむを得ず忠告さ。

で、あと、追及派の人達のいう覚醒とその後の行動についてですね。

とりあえず、覚醒を手元の辞書で引いてみると、

①目がさめること。目をさますこと。

②迷いからさめたり、過ちに気づいたりすること

と、あります。

いわゆる、追及派の人達にしてみれば、この建前と虚飾だらけの世の中のありようと仕組みをとくと見抜き、絶対的な力を持つ悪魔的存在の支配から逃れて、みんなの真の幸福を目指すために、現況を確実に理解して、認識すること、となるでしょうね。

次に、その後の行動についてです。

俺には、追及派の人達は、とにかく、まず、深く絶望しろ、とか、仕組みを理解してわかれ、それがまず、とりあえずの入り口だ、と言っているように見えます。

ただ、その先はあまり考えていないようだね。

蟻の穴さえ開ければ・・・、としか考えていないのではないですか?

こんなんで、本当に大丈夫なのかい?と俺は訊(き)きたいのよ。

仮に、彼らの望み通り、かなりの実態がつまびらかになったとして、その後は、どうするんですか?

一気に雪崩をうつように、自然に世直しがなされ、その後の世界は、今よりも水準は落ちても、少なくとも、荒涼とした焼け野原のようになることだけは絶対にない、と無意識に前提を置いているんじゃないの?

世直しの過程なんか、自然に何とかなるさ、その後、万が一、荒れようが、混乱しようが、必ず、素早く修復できるはずだ、と考えているんじゃないの?

俺には、そうとしか思えないんだけどね。

こんな複雑多岐にわたる世の中の仕組みが機能しなくなったら、そんな簡単に修復できないのではありませんか?

下手をしたら、相当な辛酸を嘗め、長い年月の快適性の低い不便な生活に忍従を強いられることになるかもしれない。

新たな制度の設計だって、そんな簡単に構築できますかね?

これらをすべて含めた覚悟の上で、あるいは納得した上で、絶望しろとか、覚醒せよ、と言っているのですか?

何十回も言うけどね。

たとえ、覚醒したところで、霊性が上がった訳じゃないんだよ。

私達(の大半)は、五欲にまみれ、唯物論の思考に縛られた肉体人間なんです。

利に聡(さと)い、欲が深い人間なんです。

仮に、従来より満足度が大幅に落ちる不便な生活をわかっていたとしても、すぐに我慢できない時がくる。

そうすると、まだ、そこそこの生活水準だった以前の方がよかったとして、不平や不満が社会に鬱積し、不穏な状況になるかもしれませんよ。

そこにつけこんで、新手の狡猾な連中にでも、入られた日にゃあ、あれは一体何のための世直しだったのか?と後悔することになりはしませんか?

本当に、ここまで考えているの?

と、俺は言いたいのよ。

唯物論だけで考えても、かなりの具体的で確実な見通しのある青写真を描いておかないと、すぐに元の木阿弥になってしまいますよ。

ただ、いま、真善美に悖ることをやりまくる人々が実権から離れ、とりあえず、それなりの精算を果たすことができれば、あとは万が一悪夢の再現になろうが構わない、というなら話は別さ。(*2)

あとは、野となれ山となれ、と。

でも、そうじゃないでしょ?

だから、追及派の人達は、義侠心も強く、勉強・研究熱心で頭がいい割には、意外にも詰めが甘いな、いや、大甘だな、と思わざるを得ないのよ。

あとは、ちと譲って、追及派の人達は、その実、具体的で確実な見通しのある青写真をもっているが、これを安易に公開すると、向こうのあらゆる妨害工作を受け、先回りして潰されてしまうから、することは告発?までにとどめてある可能性が、まったくなくはないのかもしれないが・・・。

でも、俺の個人的な感じでは、どうも確固たる展望なしにやっているように見えるんだなあ。

とにかく、現状突破さえすれば、あとは必ず何とかなる、と。

でも、既得権益の網目は広くて裾野は広いから、今までの経緯からしても、そんな簡単には・・・。

まあ、こういった現況に見えるので・・・。

こんな難しい状況を、改善に導いて下さる、つまり、たとえ、紆余曲折を経ようとも、業想念を確実に減らしつつ、善きに導いて下さるのは、あらゆる意味において、神様しかいない、神様だけだ、と思うのさ。

そのためには、少しでも多くの人が、世界平和の祈り一念の生活による、霊性の開発が必要になる、と考えているんですよ。

だから、またか!と思われても何でも、何回もお願いをしているんです。

面倒な形式ばった、手間とお金もかかりませんので。

~~~~~

(*1)蔑む~さげすむ~人を劣った者とみなしてばかにする。軽蔑する。見下す。

(*2)以前書いた、架空話の元祖魔人ブウの世直しは、これに近い。

とりあえず、悪い因縁因果を一旦区切り、悪い連鎖を断ち切ることで、一段落させることになるから。

ただ、この場合だと、業想念が完全に消失した訳ではないので、あくまでも、一時的な清算にしかならないですね。

元祖魔人ブウに対する恐怖心が抑止力として働くだけなので。

完璧を期すなら、やはり神様のお力添えを頂いて、現界、幽界、そして霊界の下層を経巡る、業想念を浄め去るしかないですね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2024/04/06 03:55
②追記: 2024/04/06 04:01
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。