おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

065_お断り

私は、今までことあるごとに、五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)の世界平和の祈りをすすめてきた。

そこで、やはり、これは書かざるを得ないと考えていることがある。

これを伏せたまま、もっと言えば、隠したまま、読んで下さった方に、無条件にこの祈りをすすめるのは、欺瞞(ぎまん)になるからだ。

やはり、現時点で、自分感じていること、とらえていることは、正直に明らかにしておかないと、読まれた方を、ある意味、騙すことになってしまうからだ。

それは、一言でいってしまうと、五井先生の限界である。

今まで、散々乱れた想念と行為ながらも、それなりに祈りをしてきて、苦しい時には、何度、五井先生!と呼んでしまったか、わからない。

なので、とてもこんなことは言えた義理ではないのだが、やはり、触れない訳にはいかないのだ。

私が感じている、五井先生の限界は、以下の 3 点です。

第 1 。

辻褄が合わない事柄です。

巷にあるような神話は、神様ごとやその物語というよりは、肉体人間の話ではないか、と思われるものがままある。

これは、神様ではなくて、ただの肉体人間の争いではないか?という。

しかし、本来の神様なら、真善美に悖ることなく、矛盾などないのが、あるべき姿だと思う。

まして、五井先生のように、縁ある人々の人生のすべてを引き受け、その対処にご自身を捧げ尽くしたような人なら、なおさらのこと。

しかし、私は、五井先生の本の中で、たった一つだが、矛盾した記述を見つけてしまったのだ。

五井先生の直弟子の高橋さんの本だったと思うが、信者さんで、五井先生の本すべてを読み込んで、矛盾を見つけられなかった話があったが、あれは間違っている。

大変失礼だが、正直に申告しているなら、その人は読み方が足りない。

私は、五井先生を知った時点で、すでに五井先生は逝去されていたので、お会いすることも叶わず、お声すらも聞いたことがない。

従って、かなりの後発組だと思うし、五井先生ご存命当時と比べれば、入手できた著書も遥かに少ないはずだ。

それでも、できる限りは読んだけどね。

その限られた中でだが、矛盾した記述を見つけたのだ。

それも、残念なことに、どう考えても天賦の才に恵まれていない私でさえ、見つけたのだ。

詳述すると長くなる(該当本も探しているのだが、しまいこんで見つからないため。ただ、その読んだ箇所の記憶は間違いなくある)ので、割愛するが、イエス磔刑の記述である。(*1)

入手した、いくつかの五井先生の本では、イエスは磔になったことが前提とされていた。

そのいくつか書かれていた内容から推測しても、多分、他の本も、ほとんどそうだろうと思われる。

しかし、 1 冊、これを確言できない(わからない)としているお話が出ていたのである。

出版社の人も、チェックはしているだろうから、ある意味、非常に正直なのだと思う。

内容を、削ったり、手を加えて改変するなどの、改竄をしなかった、ということだから。(*2)

権威付けのために、神格化しようと、美化、創作、改竄が行われがちであろう宗教界では、稀有(けう)なことだと思うからです。(*3)

たまたま、そのお話をされた時に、五井先生を通してお話をされた神様が、いつもの神様と違っていたのかどうかは、わかりません。

ただ、ほんのわずかな一点ではあるが、この記述があったこと。

次、第 2 。

五井先生の人物評についてです。

これは、あまり書いてしまうといろいろ面倒なので、軽く触れるだけにしますが、ある人物の評価は、違うのではないか、と思えるものがあります。

五井先生の評価は、公式発表に準じたものであり、まったく異なる、いくつかの負の側面を見落としているのではないか、と。

現代は、インターネット環境その他の発達で、従来なら、マスコミ以外ではほとんどわからなかった事柄が、かなりの程度、わかる人にはわかるようになった。

ある程度、本当のことが知りたい、真実が知りたい、と物事を調べて、それなりに懐疑的に考え、吟味する人には、今や、マスコミを社会の木鐸(ぼくたく)だなどと、素直に信じる人はいないだろう。(*4)

とはいえ、インターネットには、情報発信の垣根が、大幅に下げられた分、良質な情報に混じって、たわいのないもの、いい加減で信憑性が低いもの、あるいは、偽りもの、凝った誘導もの、撹乱もの、などなどがあり、いわゆる、工作情報までもが、あるはずだ。(*5)

いわゆる、玉石混淆ですね。(*6)

その中でも、工作情報は、ない方がおかしい。不自然だとすら言える。向こうさんが、私達のためにこれを奉仕するためだけに公開し、有効に使わず、ただ野放しに放置するなど絶対にあり得ないし、インターネットの成り立ちそのものからしても、だ。

それはともかく・・・。

そこで、ある人物の評価に関しては、近年じわじわとたち現れた現象からして、各種の補完情報を加味すると、どう考えても、手放しでは絶賛できないものがある。

もちろん、各種大変な側面や、それなりの制約や、特別な立場に伴う、常人には理解できないご苦労も多々あるとは思います。

ただ、重大な負の側面が少なくとも複数ある以上は、これを絶対に外すことはできないと思う。

残念ながら、五井先生のこの人物評価には、疑義(ぎぎ)を挟まざるを得ない、と。

これが、2 点目です。

人物評価には、他にもありますが、勝手ながら割愛します。

第 3 。

五井先生を引き継いだ、白光真宏会の現況がどうなのかは、よくわからない。

ただ、私が五井先生を知った時には、たまにではあるが、街の所々にポツンと、世界人類が平和でありますように、との看板を見かけたことがあった。

しかし、今は、これさえも、ほとんど見かけない。

世界平和の祈り自体が、かなり衰退してしまっているのではないか?

今は、世界平和の祈りは、初心者か入門者扱い?で、それよりはすすんでいるとされるのかもしれないが、これは違うと思うのだ。

以前書いたが、妙好人のような祈り一念の信仰心の篤(あつ)い生活は、並大抵ではできないし、彼らのような境地には、そうそう容易(たやす)く到達などできないはずなのだ。

絶対に。

完成すれば、おそらく、輪廻転生の卒業、いわゆる、上(あ)がりにも匹敵すると考えられるし、周囲の人々の生きる良き模範にもなり得るからだ。

特に、唯物論のものの見方に縛られ、五欲にまみれた私達(の大半)にとっては。

これをきわめるだけでも、容易ではないのに、これをいとも簡単に片付け(?)、次にすすめる霊性の高い人が、そんなにたくさんいるとは、とても思えないのだ。

なぜなら、繰り返すが、妙好人のようなあり方は、信仰の完成形ともいうべきものだからだ(まあ、今の白光真宏会に、こういう方々がすでにたくさんいらして、印などで光を降ろしているのなら、失礼しました、ごめんなさいと謝るしかないのだが・・・)。

従って、世界平和の祈りの衰退(?)の可能性とこの祈り一念の生活を軽く見る(?)現在の立場への疑義があること。

まあ、これは直接には、五井先生ご自身のことではないのだが、後継に指名した方が、今の状況に関わっているのも確か。

なので、間接的には、五井先生にかかわりがあることになると思われる。

これが、3 点目です。

これは、祈りをお願いする以上、どうしても、お断りしなければならない、と考えました。

まあ、こうした状況ではありますが、真善美に悖らない、善なる神様を求めてすがっていかざるを得ない以上、五井先生以上に縁(よすが)にできるお方もいないことも、また、確かなのです。

これは、五井先生がどのように宗教家として、挺身されてきたかを見ればわかります(あまり言うとアレなので、いろいろ言えませんが、巷には、およそ人格者とは言い難い・・・)。

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(*1)・磔刑~たっけい~はりつけの刑。はりつけ。

(*2)・改竄~かいざん~自分に都合よく文書の字句を書き換えること。

(*3)私は、釈迦もイエスも、きちんと普通の人々と同じように、女性の膣たる軟産道(以下、産道と略)から出て生まれたと思っている。

ただ、この産道に関しては、性欲が、人間の根本的で不可避な欲求であり、何かと邪念が絡みやすく、男女の性交(セックス)の生々しさとの関係を含む問題がある。

互いの肌のふれ合いにとどまらず、生殖器である性器の直接の濃密な交わりを不可欠とするセックスの生々しさだ。

絶頂感覚(オルガスムス)、殊に、女性の心身ともに真の絶頂感覚を得ることによる、魂のふれ合いの愛情への昇華が難しいことに加え、男性の射精でほぼ満たされがちな単純な感覚も加味すると、動物的な荒々しいセックスを思い起こさせることは忌避(きひ)したいと考えたのだろう。

権威付けのために。

つまり、連想しやすい、その生々しさを嫌い、なおかつ、排泄器官(尿道)に隣接している産道から、自らの敬慕・敬愛するお方が生まれたことを抹消したいと、周囲または後世の人間が画策してしまった、と。

そして、これらの権威を損なうであろうと考えた動物的な営みの連想その他を意図的に避けるために、ああいった美談(?)が作り上げられたと思っている。

その結果として、処女懐胎や脇の下から産まれたという話が、創作されてしまった、と。

完成の域に達しない、霊性の未開発な肉体人間のすることは、洋の東西を問わず、変わらないな、と感じるのさ。

しかし、そんなことをしていては、かえって、イエスや釈迦の存在を損ねることになりはしないか?(*3ー1)

信仰者として、祭り上げたい気持ちはよくわかる。

誰だって、尊敬・敬慕・敬愛する人は、特別な存在として、高みに置いておきたいのも無理はないからだ。

しかし、己が崇拝したいが故に、純粋美化したい願望と、事実を脚色して改変することは、どうしても同義にはできないのだ。

どうしても。

エスや釈迦も、私達と同じ生まれ方(現代なら産道を通る自然分娩に加え、帝王切開も含みます)をして、同じ肉体をまとって高みに上がったからこそ、意義がある。

何世もかかるかもしれないが、霊性の開発を極めて上り詰めれば、誰もが神の子を現せる、とわかるためにも、だ。

私達が神様の分霊が本体であることを理解するためにも。

現代は、大変な時代。

霊性を向上させるものであるものならともかく、そうでないならば、余計な権威付けのために作られたおとぎ話よりも、信仰を深めて、少しでも極めることの方が、絶対に必要なはずだ。

だから、この意味でも、ね。

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(*3ー1)まあ、未開発な時代背景や環境を考慮して、暫定的(ざんていてき)な措置として、神様がお許しになったのかもしれない。

しかし、現代ならば、フロイトのような裏読みをする人間に、突っ込みを入れられてしまうのは必定。

リピドー(性的衝動のエネルギー)一辺倒で裏読みされて、おかしな解釈でもされてしまったら、それこそ、信仰が汚されてしまいかねない。

耐えられないでしょ、こんなの?

つまり、時代背景や環境が、事実を明らかにするようにすすんできた、と考えて良いのではないか?と思うのだ。

処女懐胎や脇の下の生誕話は、もはや、それなりのお役目を終えて、かなり限定的に用いるよう、時代が変わってきているのではないか、と。

フロイトのように、何でもかんでもリピドーに集約して帰結させる(?)のは論外にしても、わざわざ、作り話までして、ごまかして覆い隠すということは、それだけ知られたくない、やましいことだと勘ぐられても仕方がないことになってしまう。

動物的な本能が絡み、親自身が性欲の制御ができていないと、さすがに、子供には説明しにくいのはわかる。

しかし、ある程度、霊性が開発され、業想念を浄めて行き、セックスの意義が、男女の愛情の交歓と人類としての種の保存として、やましい行為ではなく、性欲の捌け口としてでもなく、ごく自然な当たり前のものとして存在することをきちんと理解できるようになれば、無理に事実を隠さなくても、問題が起きなくなるだろう。

つまり、いずれ、霊性が上がり、愛情とセックスが、表裏一体、密接不可分で切り離せないものとなれば、無理に事実を覆い隠したりしなくとも、自然に具(そな)わったものとして、認められていくことになるはずだからだ。

つまり、セックスはあくまでも本当に信頼し合い、愛し合う男女だけの愛情の交歓であり、発露である、と。

まあ、今までの歴史からしても、かなりの霊性開発は不可欠になってしまうだろうけどね。(*3ー1ー1)

(*3ー1ー1)またまた、下品な言葉で申し訳ないのだが、この意味では、ヤリチン・ヤリマンは論外となるだろう。

満たされなかった過去のリベンジ(復讐)だか何だか知らないが、自制できる人は、それなりにいるからさ。

まあ、特別な過去(これは詳述しない)を持ってしまった人ならいざ知らず、自由意思で踏みとどまる機会がありながら、業想念の欲に負け、歯止めがきかなかったんだからね。

結果として、縁がなかった、周囲に霊性を向上させる機会に恵まれなかった、ということだろうな。

まあ、そういうヤリチン・ヤリマンの人は、お時間があったら、俺の文章を読んでみて下さい。

何のご縁かわかりませんが、少なくとも、こうしてここには、たどり着いて下さった訳だから。

お前なんかに、教えてほしくねえよ、という気持ちも、この際、置いといてさ。

初耳かもしれないが、霊性の開発、因縁因果、輪廻転生(いわゆる、生まれ変わり)について、多少の理解は得られると思うから。

まあ、その大元となるというか、考え方の基本は、この ( おぶなより ) の他、( おぶなより2 ) の ( 125_基準 - おぶなより2 ) などに書いてある。

もしも、万が一、気が向いたら読んで頂ければ幸いだ。

なお、乏しい知識と各方面の力不足による、表現の拙さと品格のなさはご容赦下さい。

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(*4)マスコミの存在そのものが、その誕生からこの宿命を背負っていると言えるだろう。

地上天国化が成るその日まで。

木鐸~ぼくたく~①昔、中国で法令などを示す時に鳴らした木製の舌のある金属製の鈴。
②(転じて)世人を教え導く人。社会の指導者。
ここでは、②の意。

(*5)・撹乱~かくらん~かき乱して混乱を引き起こすこと。
(用例)撹乱戦法。

(*6)・玉石混淆~ぎょくせきこんこう~価値のあるものと価値のないものが入り交じっていること。

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①追記: 2023/09/16 16:45
②追記: 2023/09/16 18:57
③追記: 2024/04/06 04:55
④追記: 2024/04/06 05:00
⑤追記: 2024/04/06 07:38
⑥追記: 2024/04/09 12:13
⑦追記: 2024/04/09 12:22
⑧追記: 2024/04/09 12:25
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。