前回 ( 075_外見評価2 - おぶなより ) の続きです。
高級ホステスこじきちゃん(以下、高こさんと略します。長いので)という人に、もし万一読んでもらえたら、あれで足りるかなあ、と思ってもう一度彼女のあの文を読み直しているうちに、気になったことがあるので、あと一回だけ、言及させてもらいます。
人様に対する身勝手な顔面審査が、霊的に危険を孕(はら)み、なしてはならないことは、ご理解して頂けたと思います。
印象として、さまざまなものを感じても、原則として、顔色に出したり、傷つける言葉を発してはならないことも、です。
抑制のきいた、涼しいというか、いかなる状況に直面しても、落ち着いて、穏やかな表情でいることが最善(ベスト)です。
仏像で、如来様や観音様で、威厳を内に秘めながらも、穏やかで優しい、慈愛に満ちた雰囲気を感じるものがありますが、あれを目指せばいいかなあ、と。
ただ、そうなるためには、やはり、かなり霊性の開発をして、人格を向上させないと、難しいところはあるので、最終到達点の一つの指標として、お知りおき下さればいいかな、と思います。
理想としては、心の中は千々(ちぢ)に乱れても、それを表に出さないようにして、乱れる想念を、祈りや守護霊さんにすがることで、何としても、鎮める。
こうしたクセがつけられればいいかなと考えます。
まあ、そうはいっても、女性や子供(男女ともに含む)の場合、結構、安易にカッコいいと口走る場合もありますけどね。
まあ、これは直接的な負の因縁にならないので、まあ、ご愛嬌ですかね。
言われた当人が、思い上がったり、傲慢にならなければ、いいだけの話ですから。
こうしたことまで目くじらを立ててしまうと、アイドルを楽しむことすら、難しくなってしまいますのでね。
あくまでも、祈り一念を基底としながら、できること以外は、すべて守護霊さんにお任せして、心の平穏(想念を乱さないこと)をお願いするのが望ましいです。
問題は、やはり、負の因縁にかかわる言動ですね。
実際は、言動の前に想念があるので、祈りを併用しながら、できる限り乱さないように、努(つと)めることですね。
で、高こさんは賢いので、このくらいは類推して、理解してくれたと思います。
気になったのは、やはり、霊的なことをまったく度外視しているようで、とにかく、外面にこだわっている点です。
いわく、高こさんの知る限りの美女(彼女の知人と友人)で、彼氏がフツメン以下はただの一例もなく、美女と野獣の組み合わせは、男が大金を持つ例外のみであり、経済力で相手を選ばない美人は素直にイケメンを選ぶ、と。
その美人がイケメンを選ぶのは、自分が美人として生きて得をしてきた経験から、自ら産む子供には、同じようにその幸せを願い、少なくとも不利な思いだけはさせないように、遺伝子の掛け合わせを考えて、容姿水準の低下を確実に避けるためである、と。
そして、もちろん、美人は、いや、そもそも、女性は、あらゆる階層の?男性が、安易に顔面審査をすることを知っている、あるいは、顔面審査を目の当たりにすれば、ますます、イケメンを選ぶことになるのだ、と。
さらに、ダメ押しに、彼女の知る限りの美女は、父親がもれなくイケメンである、とされていましたね(これは、原則として、男は母親似が、女は父親似が、多いことを前提にしていると思われる)。
従って、お世辞にもイケメンとは言えない容姿(これも長いので、以下、おイよと略)にもかかわらず、のんきに顔面審査など、逆効果なことをやっている場合じゃないよ、外面磨きから出直して、女性(というか、人間一般)は、顔じゃないと、その態度を改めなさい、とされています。
でもねー、これ見ると、徹底的に外面こだわりですよ。
そうでない女性にも、わずかに触れてはいますが、やはり、どう読んでも、外面がすべてとしか読めないなあ。
高こさんは、ああは書いているけれど、おそらく、容姿水準はかなりいいのでしょう。
周りの友人、知人にも美女が多いことからしても、これは推測できます。
そもそも、あれだけ、外面に執着しているからには、かりそめにも高級と頭につける以上、それなりの容姿でなければ、辻褄(つじつま)が合いません。
なので、内面、霊的な意味での高級だとは、思えないんですね。
だから、彼女は相応以上の容姿水準を満たす女性だ、と考えられる訳です。
高こさんは、俺から見ると、外面容姿最優先派ですね。
やはり、唯物論そのものを、信奉しているように見えます。
まあ、内面や財力を重視する比重がまるっきりゼロではないのでしょうが、とにかく、外面(イケメン)を確保せよ、あとは、それから何とかすればいいと考えているのではないかな?
だから、イケメン男性を獲得した女性に関しては、否定的な側面を一切書いていない。
離婚をしても、なお、綺麗な子供が生まれたことは、何物にも変えがたいのだ!、と大絶賛しているように読めますからね。
俺は、因縁因果肯定派なので、とにかく、直の親子の遺伝子の相関関係さえ、最優先で確保すれば、大半は良し、とする考えとは違います。
隔世遺伝や突然変異といったものもありますからね。
なので、どんなに、美男美女をつがわせても、絶対に美形が生まれる保証はない、と考えます。
美男美女の組み合わせでさえも、そのどちらか片方、あるいは、双方の因縁因果次第によっては、どうなるかはわからない、ということです。
白鳥同士の両親からも、アヒルとは言わないまでも、やや水準の落ちる子供が生まれるかもしれない、いわば、帰納法則を違(たが)えて、変わってしまう可能性がある、と。
以前、ちょっと書きましたけど、人間の遺伝子情報は、両親を合わせて何十億という膨大なものですからね。
変化の可能性は十分にあると思いますよ。
しかも・・・。
これは、おそらく、高こさんが見聞していないか、知らないからだと思われますが、現世でかなりの美男美女に生まれついても、他人には決してわからない苦しみを抱え、辛(つら)い思いをしている人はいるかもしれないんです。
いや、いるんですよ、実際。
あなたが知らないだけです。
で、美男美女の組み合わせだとしても、一緒に暮らしてみると、過去世からの因縁因果の直のぶつかり合いになりますから、一筋縄ではいかない。
現世だけでも、育ってきた環境や、過去世の因縁が深く関与する性格や趣味、嗜好の違いが、合間見える訳です。
当初は甘美な生活で補(おぎな)えていた部分も、慣れることによって、段々とアラも見えるようになってきます。
まあ、それでも、少しでも外面の取りこぼしさえ、減らせばいい、容姿水準の低下があっても、最小限度にとどめることさえできればよい、満足だ、とされるなら仕方ありませんがね。
俺は、因縁因果肯定派であり、アヒルからも白鳥は生まれる可能性があると考えます。
ただし、その大半は、一世だけのことではなくて、何回もの生まれ変わりを経て、霊性を向上させながら、すぐに白鳥というよりは、徐々にアヒルからの脱皮をしながらという形で。
もちろん、隔世遺伝などもありますし、遺伝子情報も膨大ですから、両親の因縁因果次第では、すぐに白鳥もなくはないかもしれませんが、変化は穏やかなものが多いのではないかなと思います。
そして、もう一つは、私達は神様の分霊の写し身として、元々は、美しかったことです。
ただ、肉体人間として、この世を生きていくために、そして、種の保存のために、自己保存と動物的な両本能を付与され、真善美に悖る想念、いわゆる、業想念を積んで、輪廻転生を繰り返し、次第にその写し身としての容姿水準を落としていくことになってしまった。
その果てしなき輪廻転生の行き着いた先が、今現在である、と。
まあ、これは俺が今まで霊的なことをかじって、五井先生の本を読んで、勝手に類推して組み上げた仮説ですけどね。
残念ながら、神様に直接お教え頂けるようなご縁は、微塵(みじん)もないので。
ただ、現世だけで、一世だけで、すぐに白鳥にはなれなくても、祈りを深めて、業想念を浄めて減らしていくと、元々備わっている、男性なら男性らしさ、女性なら女性らしさが、素直に出てきて、それなりに魅力が出てくるらしいんですね。
もちろん、来世以降への容姿に絡んだ貯金にもなりますし。
なので、断然、こっちをおすすめしたいな、と。
っていうか、お願いしたいんですよ。
まあ、こういっちゃあ、なんですが、女の人は欲張りですからね(以下は、すべて唯物論者と仮定)。
容姿が満たされれば、性格。
性格が満たされれば、カネ、と。
しかも、場合によっては、夜の営みまで。
厳しいんだなあ。
私は、面食いじゃない、貴金属なんて興味ない、なんて言ってる女性ほど、実は、真逆の強い執着のある現実。
そもそも、女性は男性と違って、直情径行(ちょくじょうけいこう)型は希で、本音と建前の使い分けが、超激しいですからね。
こうした、唯物論に染まり切っている女性を振り向かせるのは、おイよさんにしてみれば、本当に大変だと思いますよ。
誠実さや一途さも、お百度参りではないけれど、相当、積み重ねないと、わかってくれる女性は少ないんじゃないのかな?
まあ、こうしたことの、過去世からの積み重ねが、男性の記憶にはあって、いわば、劇的に容姿を改善することが難しい、おイよさんの、男として無意識的に刷り込まれてきた復讐?と、とれなくもない。
なので、外面が難しければ、どうせ、愛情や、カネや、夜の営みで取り返せばいいんだろ、のような記憶が引き継がれ、それが端的で軽薄極まる思考と相まって、出てきたのが、顔面審査となっている可能性があるのかもしれない、と考える訳です。
それに・・・。
顔面審査は、何も、男性だけの特技(≠特権)ではありませんね。
これは、私見ですが、女性はある意味、男性よりもはるかに大胆で、肚(はら)も据(す)わって、正直なところがある、と思うからです。
男性のような単純明快なわかりやすさはありませんが、肉体言語(ノンバーバルコミュニケーション)では、かなり心根に正直な反応を示す人が多いのではないでしょうか。
で、これらを踏まえて逆算すると、相当に厳しい(シビアな)心の中での顔面審査をしているな、とわかるからです。
しかも、実は、内面は男よりもはるかにたくましく、したたかで、計算高い。
男のほうが、ほのかな甘い未練など残していることなど、馬鹿馬鹿しくなるくらいに、出産や家庭の構築を見据え、早々に結婚に踏み切る女性もそれなりにいるのではないでしょうか?
まあ、こんなことを書くと、高こさんには、おこられてしまうかもしれませんね。
俺が言いたいのは、どっちもどっちで、チャンチャンではなくて、先の仮説のように、時間はかかるけれども、内面が外面に反映されること、その可能性に気づいて、唯物論を卒業して、脱却してほしい、ということなんです。
外面、つまり、容姿にこだわり続ける限り、椅子取りゲームやサバイバルゲームと同じです。
唯物論そのもの。
限られた資源(美男美女)をめぐって、相争い、敗残者多数の。
しかも、勝ち残った掛け合わせでも、絶対に勝利する(美形が生まれる)保証はない。
ましてや、美形だけで、人生を順風満帆にわたりきり、幸せをつかむ保証もない。
これらの物の見方を見ていると、明らかに、元が美しかったという発想がない。
ただ、たまたま、美形がいて、それに群がり、勝ち残りを賭け、競う。
それだけ。
従って、想念と行為が、輪廻転生を通して、外面に反映されてくるとは、まったく考えていませんね。
神様は、真善美に悖らない、美に悖らない=美しい、そして、その分霊の写し身です。
当然に、美しい、となります。
つまり・・・。
今現在の、現世の、この世に存在している美男美女は、
過去世において、真善美に悖る業想念を積み重ねたために、元の美しさを、それなりに、おとしてしまった霊性を反映した容姿水準の低下分を、
つまり、元は完璧であったはずの美しさを、業想念のために、損なってしまった容姿水準の低下分を、
これまた、
輪廻転生を通した、いくつかの地道な真善美に適った想念と行為の積み重ねによって、
ようやく、
その失われた容姿水準の低下分を、それなりに取り戻して来た人達である、
と、考えられるんですよ。
実は、私達の出発点(スタートライン)は、決して類人猿のような動物的なものではなくて、肉体人間そのもの単体としても、神様の写し身だけあって、それぞれに個性を持ちながらも、完璧に美しいものであった、と。
しかし、この地球上で、肉体人間として生きていくために、便宜上、付与された本能によって、真善美に悖る想念と行為を積み重ねてしまい、生まれ変わりを経ることによって、それに伴って、完璧であったはずの容姿水準を、次第におとして、低下させていくことになってしまった。
今、それなりに美しさを含んだ容姿を持つ人は、過去世において、それなりの真善美に適う、ふさわしい想念と行為をしたために、そのおとした分の取り返しがある人である、と捉えられるんですよ。
まあ、他にも、いろいろな要因も絡むので、それなりにばらつきもありますが、大筋はこうだ、と。
だったら、椅子取りゲームやサバイバルゲームではなくて、地味で、辛抱強く、時間はかかりますが、霊性の開発で、全体を底上げしていきましょうよ、と。
祈り一念の霊性の開発によって、内面、外面と、ともに整った元の神性を取り戻していきましょうよ、と。
おおざっぱに言うと、こんな風に、言いたいんです。
高こさんに、多少厳しめのことを言ったのは、現世はワナが多く、油断大敵だから、せっかくのイケメン君を堕落させてはなりませんよ、ということです。
私は、五井先生の本を読んで、霊性のことをいろいろ考えるようになると、どうしても、原因と結果について考えてしまうようになりました。
原因と結果。
普通は、この世の中だけ、現世内だけでしか考えない。
しかし、私達の本体が、神様の分霊、つまり、実は、神様そのものであり、永遠の命を持つものならば、肉体人間は、その外観は、因縁因果を反映して現れた仮の姿であり、生まれ変わりを通して、変わってくるものである。
そう考えた時、この著しい不平等、不均衡にそれなりの理由づけができるかもしれない、と考えた訳です。
ほんの少しではありますが、男女関係について、書籍やネットを調べてみた限り、この事について、書いてあるものを見つけることはできませんでした。
書いてあっても、ほんの断片か、ちょびちょびの言い切りで終わらせるものがほとんど。
みんな、本当はわかっていても、決して誰も言い出さないようにしている、暗黙の前提なのか・・・。
わかりませんけどね。
もちろん、現代のように、各種のモノがある程度手に入る時代に生まれ合わせたならば、ファッションやお化粧も、それなりに意味があり、大事とも言えるでしょう。
しかし、大元の、根本の美しさの元の元をたどっていけば、たどり着くのは、想念と行為である。
その大元には、神様がある。
これだけは、心に留めておいて頂きたいと思います。
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①追記: 2024/04/06 11:27
②追記: 2024/04/19 20:39
③追記: 2024/04/19 20:43
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。