おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

077_裁定的評価

前回 ( 076_外見評価3 - おぶなより ) は、無理に終わらせようとして、かなりはしょって、尻切れトンボみたいになっちまいました。

まあ、だけど、あまり深入りすると、ダーウィンの進化論も、果ては、アインシュタインもありゃりゃ?になってキリがなくなってしまうので、ド素人の俺は、これ以上の詮索はやめときます。

まあ、強いて言えば、常識や権威とされてきたものには、十分に疑ってみる価値があるかもしれない、ってことでしょうかね。

とにかく、わかりもしないのに、無理に詮索したりしてると、なかなか仏教には、入れないんで。

どうせ仏教には、七転八倒する羽目になると思うので、こんな風にだらだらと書き散らすかもしれません。

ま、そんなところで・・・。

強いて ( 059_輪廻と信仰3 - おぶなより ) を補足すると、霊性の維持の話ですね。

現世で、特に今のような世の中は、霊性を落とすのは、いとも簡単だ、ということ。

というのも、既述のように、霊性を落とすための?誘惑やワナがこの世には、満ち満ちているからです。

3S政策は政治的な目的なんだろうけど、内容によっては、まさに霊性を落とすには、うってつけのものになりますね、あれも。

結果として、欲にまみれた業想念にすぐ落ちる。

今や、テレビ、ネットをはじめとして、いたるところに五感を刺激して煽る、広告がひしめいている感じがします。

しかも、特にここ最近は、ネットも今まで以上に増して、画面がやたらめったら広告に占拠されて、ちょっとウザイですもんね。

そもそも、問題のあるものとして停止されるくらいなら、はじめっからやらなければいいのに、と文句を言いたくなるような。

そして、肝心のその内容は・・・。

こうした状態ですから、まともに刺激を浴び続けていたら、業想念だらけにされてしまいかねない。(*1)

なので、数々の輪廻転生で、しっかりとした霊性の開発に匹敵する、それなりの修行を経ているか、相当な真善美に悖らない想念と行為の集積がないと、すなわち、足場が固められていないと、霊性の取り戻したてや、開発したてのホヤホヤの状態では、すぐに転落する可能性大ですよ。

過去世の意識が消されているとはいっても、強固な下地ができていれば、そう簡単には崩れないし、道は外さないですから。

まあ、この状態は各人様々で、一概には言えないですが、高級ホステスこじきちゃんという人(以下、高こさんと略)のように、若きイケメン君(以下、若イケと略)なら顔面審査をしても許されるなどと、道を誤らせるようなことを、間違ってもいってほしくないんですよ。

特に、まだ霊性の下地がしっかり出来上がっていないであろう人達にはね。

高こさんだって、わかるはずですよ。

お世辞にもイケメンとは言えない容姿の男性(以下、おイよと略)やおイよおじさんのような、傲慢(とこの際だから、頭につけてしまおう)な顔面審査をする、あなたの忌み嫌う行為が、本当に若イケにふさわしいと思いますか?

そんな行為をしている若イケを見て、本当に好ましいと思いますか?

カッコいいと思いますか?

違うでしょ。

どんなに女性を傷つける、ひどい行為をしても、若イケなら許される、あるいは、かまわない。

本当にそう思っているんですか?

違いますよね。

仮に、顔面審査をしまくる若イケが彼氏であったとして、あなたは充実した楽しい人生を、そんな彼氏とともに過ごせると思いますか?

周囲の反応を一切抜きに考えても、霊性の素地が高いあなたには、すぐにつらくなってくると思いますよ。

既述のように、若イケの運命を暗転させることをしてはならないんですよ。

あなたのように、若イケが大好きな人でも、そうでない人でも同じです。

変わらないのです。

人間である以上、神様の分霊を頂く者ならば、そもそも、やってはならないことなのです。

傲慢な顔面審査自体、絶対にダメですし、たとえ若イケであっても、間違っても傲慢な顔面審査を是認するように、仕向けてはならないのです。

ですから、あんなこと(若イケなら顔面審査可)は、もう言わないでほしいんですよ。

まあ、そうはいっても説教は基本的に無効だし、あなたが忠告を素直に受け入れてくれる因縁の機が熟さない、すなわち、因縁が解消されないとダメな訳で、今すぐには、頭では理解できても、想念と行為には反映されないかもしれません。

つまり、今はわかってもらえない、と。

それでも、いつかわかってもらえる時が来れば、幸いってとこかな。

まあ、いろいろ、書きましたが、若イケの実態はわかりません。

よほどの霊性の開発がすすんでいる人以外は、若イケどころか、老若男女を問わず、かなりの程度、唯物論にからめとられているために、本音と建前を使い分ける人がほとんどだからです。

仮に、実態調査をしたところで、どこまで本音で回答してくれるかは、わかりませんからね。

本音を巧みに隠すことにかけては、天才的な女性一般をはじめ、建前、カッコつけ、きわどい回答は巧みに避けて、と。

こんなところからも、もう唯物論は限界を迎えているような気がしてならないんですよ。

ところで、顔面審査というより、誰しも人様と対面して感じる印象がありますね。

これを、仮に顔面裁定的評価とします。

これは、人間である以上、誰しも、どうしても行ってしまいますよね。

少なくとも、心の中では。

印象として、感じてしまうのですから。

人間の情報の取り込みは、視覚がかなりの比重を占めますし、まずは顔に注目しますからね。

ただ、とりあえずは、どんなに心にさざ波が立とうとも、できる限り落ち着いて、穏やかに対処できるように、仕込んでおくことです。

そのためには、普段からの祈りと浄めによって、心、特に潜在意識をよくたがやして、少しでも、きれいに整えておくことですね。

過去世からたまっているもの、そして、現世でためたものも、可能な限り浄めて消しておく。

そうして、反応、特に負の反応を相手に感じさせないように、努力して注意していく、と。

で、心の中でしてしまった顔面裁定的評価も、負のものは、すべて祈りに持っていって、浄めて消していくようなくせをつけていく、と。

こうして頂ければ、ありがたいな、と考えます。

で、普段からの表情として理想的なのは、高こさんの場合は、女性だから、慈愛に満ちた観音様かな。(*2)

霊性の開発がすすんで、芯のある落ち着きが出てくれば、申し分ないでしょうね。

そのためには、世界平和の祈り一念の生活と守護霊さんと守護神さんへの感謝行を、なるべく多くして頂きたいと思います。

ってことで、高こさんには、長くなってしまって悪かったけど、どうかお許し下さい。

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(*1)たま~に、真実のかけらをチリのように出しても、絶対に近いほど、大勢に影響ないんじゃないの。

仮に、清水の舞台から飛び降りたつもりの一大決心の行為であったとしても。

万分の一の言い訳めいたアリバイづくりであったとても。

蟻の穴から堤も崩れると、韓非はいっているけれど、それなりの表には出ない広範で広い下地と、相応の背景が必要なんじゃないの?

宝くじだって、実は当選は僥倖(ぎょうこう)じゃないんだと思いますよ。

なので、この状況自体からしても、もう、唯物論は限界なんですよ。

どうして、そう考えてくれないのかなあ。

唯物論にこだわり続ける場合には、濁流の激流には、細流では対抗の意味をなさないということを。

焼け石に水(霧?)じゃあ、どうにもならないということを。

これも、追及派の人達と同様、認識が変わらないようですね。

私は、神様が関与するか、お認めになることがなければ、一縷の望みからの奇跡的な大逆転や、希望的感情や願望だけの観測だけでは、奇跡は絶対に起きない、と勝手に考えています(残念ながら)。

だから、申し訳ないけど、否定的な見方をしてしまうんですよ。

どうしようもないほどの抑圧的な同調圧力の強い全体主義的なお国柄をどうするかについても、とにかく、祈りをして、神様にお任せするしかないでしょうね。(*1ー1)

自己保存と動物的な本能につき動かされて、唯物論の思考に縛られた私達の大半が、あーだ、こーだとどんなに理屈をこねたところで、しょせんは、肉体人間としての己とその近辺を中心とした、利害得失関係を度外視することはできないのだから。

仕方ないんですよ。

どうしようもないんです。

私達の大半は、超例外的な人格まで整った(*1ー2)ほんのわずかな(絶無?)人を除いては、肉体人間観にとらわれているからです。

同じ願いとして考えるなら、結果のいかんにかかわらず、安全な祈りの方へ鞍替えしてほしいんですよ。

追及派の人達の気持ちは、ある程度仕方ないんでしょうね。過去世の因縁の発現だとしても、あまりにもアレだから。納得しがたいですからね。いくらなんでも、アレ過ぎるんじゃねえの、コレ、と。

あるべき人間の姿が、彼らがおそらく、無意識に希求して、想定しているであろう、神界の姿からは、現界の有り様が、あまりにもかけ離れ過ぎているから。

でも。

それでも、可能性がないことをして、業想念を積むだけになることはやめて(やめられなくても祈りを並行してはじめて)、少しでもそのあり方を変えていってほしいんですけどねえ。

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(*1ー1)これは、全体主義的な個性の一環なのかもしれませんが・・・。

救急車や緊急車両が通る時、誰彼となく車を寄せて、まったくの見ず知らずであろうみんなが、自然に協力しあって、すみやかに道をあける。

規則とはいえ、しぶしぶ、イヤイヤという感じの反応(動き方)を、まず、見たことがない。

また、困っている人がいれば、老若男女を問わず、これも見ず知らずの赤の他人が、自然に集まって、助け合い、協力しあう。

人として、当たり前といえば、当たり前なことかもしれないが、こうしたことを、何度か目の当たりにすると、もしかしたら、これも全体主義的な個性の一環をなしているのかな、と思わなくもないですね。

いわば、正の側面として。

まあ、ちと、わかりません。

(*1ー2)これは、必須ですよ。絶対条件です。外せませんし、外さしたら意味をなしません。だから、厳しいんです。

各種の欲にまみれ、堕落しやすい現代の時代環境下では、修行僧のように厳しい条件といえるからです。

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(*2)観音様は、女性的な体つきや、その表情から、女性だと思われやすいと思います。

実際は、陰陽合体の絶体神で、中性らしいんですね。

注意して観察するとわかりますが、おひげをはやしている方も、おられるように。

安産祈願にお祀りされている方もあるし、その表情も女性の優しさ、美しさを表現している場合が、多いように思います。

語源方面から、男性だと言い切る人もいるようですが、では、あの胸の膨らみと、なだらかな曲線美をもつ体つきを、どう説明するんです?

まさか、にせものだなんて、言い出すんじゃないでしょう?

白衣観音様には、頭部に化仏の如来様を頂いておられますよね。

これとの整合性は?

そこまで含んできちんとそれなりの説明をして下さいよ。

あんな、単純で、乱暴な言い切りじゃ、中途半端なんですから。

読者を軽く見て、書きとばしてもかまわない、っていうお気持ちなら別ですけどね。

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①追記: 2024/04/06 11:46
②追記: 2024/04/19 20:48
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。