おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

079_特徴と行動原理

女性に対して、厳しく書きすぎたかな。

極論すると、自身の保全を第一に置きながら、最大限の満足度を得ること。

これを、金科玉条に行動するね。

おそらく、ほとんどの女性は。

だから、恋愛でも、その実質的な主導権をいつも握りたがるんだね。

これは、もう、肉体人間としてこの世に生まれ落ちた時から、生得の本能として、備わっているんでしょうね。

なぜか?

つまるところ、自分を傷つけないためなんでしょうね。

惨敗覚悟で猪突猛進できるのは、極めて例外的で希なケースか、真に心を伴わない外見のみの場合が、大半なんじゃないのかな?(注1)

自分の体裁を傷つけること(フラれた歴)は、最大限に回避して、男性から決して見下されないように、与(くみ)しやすい印象を抱かれないように、留意を怠らない。

本当は飛びつきたいほど大好きな相手でも、それなりに段階を踏んで、熱く情熱的に求められた形で、仕方なくのような形で、好意を受け入れ、付き合いを承諾する形をとりたがる。

ヒントは与えるし、エサは十分に撒(ま)くけれど、最終的に決断し、行動を起こすのは、あくまでも男の役目なのよ、何が何でも、と言っているかのようです。

失恋で傷ついても、失意のどん底に叩き落とされても、立ち直り、這(は)い上がるのは、(絶対に)男の役目なのよ、私達(=女性)だけは、(できれば)無傷で大事にしておいてね、と。

何でだろう?

突き詰めると、やっぱり、暴力、腕力、そして、その延長の権力(以下、この3つを暴力で代表させる)に起因するんだろうな、男の持っているところの。

なので、その男の暴力の発動は、可能な限り回避することで、身の安全を確保する、と。

暴力で組み敷(し)かれてしまったら、敵(かな)わないから、身を守るためには、やむを得ない措置としてね。

だから、女性という性別で、この世に生を受けたら、無意識の本能として備わるようになっているんでしょうね。

本当は、男よりも、精神的にも、強く、たくましく、計算高く、したたかでありながら、暴力の力量差のために、身の保全のための本能と、これを確保するためのある意味、天才的な能力が備わっている。

巷で言われる、男は単一処理のシングルタスク、女は複数以上の並列処理のマルチタスクの脳の情報処理の仕組みにも、これが現れているんでしょうね。

その典型が、男性とのお付き合いのはじまり方に現れている訳ですね。

でもねー、これお付き合いにふさわしい資格のある男性でも、鈍感だったり、臆病だったり、不器用だったり、熱意が足りなかったりすると、かなりチャンスを逃してしまいますよ。(注3)

お付き合いや結婚のね。

昔で言えば、プレイボーイ、今で言えばヤリモク男や、これに類する男からすれば、技術(テクニック)さえ磨けば、つまり、女性の心の内面の読み方と対処法を会得して、蛮勇(ばんゆう)を奮(ふる)って実行にさえ移せば、かなりの程度、少なくともお付き合いやセックスまでは、好き放題にできる、ということにもなってしまうからね。

だから、たとえイケメンでなくても、一極集中的なモテ方や、何十人、何百人斬りなどという現実が存在してしまう、ということなんでしょうね。

逆に、ある種の女性達からすれば、最終目的の体さえ許したのだから、つなぎとめておけるはずだ、いや、尊重されなければおかしい、と望みを託す(いわゆる、セフレから彼女への昇格)という、悪循環を生む温床になっていると思えなくもない。

まあ、俺なんかは、因縁因果次第だし、各々の自己責任だから放っておけ、みたいに書いてきました。

ただし、そうは言っても、霊的には、輪廻転生を通して、来世以降にかなり手厳しい結果が待ち受けることになるので、遠くからお祈りして差し上げるだけにして、と。

前に、先天的なもの、後天的なものを含めた枷(かせ。今で言えば、ハンディキャップ)のことを書きましたが、こと、女性に関して言えば、強いがゆえに、この枷をはめられた、と解釈できますね。

対照的に、男性は、実は精神的にもろく、傷つきやすく、弱いからこそ、暴力を与えられた、と。

何のために?

やっぱり、現世での修行を見据えた、神様のお計らいの一環なんでしょうね。

つまり、霊魂魄の成長のための、錬磨の環境づくりの仕組みとして存在する、と。

女性に関して言えば、過去世での真善美に悖る想念と行為に、それなりの重いものがあり、業が深いので(ごめんなさい)、生理、妊娠、出産、子育てといった形で、忍耐力と持続力を涵養(かんよう)することを求められ、経験させられることになるのでしょうね。

これが、この世に女性として生を受けた者の基本的な宿命、と。

でも、これだけだと、あまりにも厳しいので、女性特有の自然に匹敵する、あるいは、凌駕(りょうが)する美しさが、あたかも将来の苦労をねぎらうご褒美であるかのように与えられている、と。

だから、俺なんか信仰者の端くれにも至らないような愚か者なんだけど、実に上手く巧妙に計算されているような気がしてならないのよ。

そんな訳で、自然の観察、さらに言えば、動物行動や遺伝子の功利主義的な面ばかりを、勝手に歪曲、誇大化して、類推援用し、絶対化させようとする方達には、失礼ながら、浅はかだなあ、と思わざるを得ないのよ。

たとえ、彼らの天命が、神様のお作りになられた、複雑で、巧妙で、精緻で、計算され尽くした、この世の仕組みのほんの一部を明らかにすることであったとしても。

まして、詰まってきている時代状況をも考えると、不快感すら抱かされてしまいます。

あなた方の望みは一体何なの?神様の偽善のツラをひっぺがそうとでもいうのですか?超絶極まる強敵なんですよ。本当に敵(かな)うとでも思ってるんですか?遺伝子の想像を絶する精緻さ一つをとってみなさいよ。とてもじゃないが、あなた達レベル(っていうか、肉体人間の研究者レベル)で太刀打ちなんてできっこないでしょう?

仕組みの明らかになった一部でさえ、驚愕の内容なのに、これに対抗してあなた達肉体人間の研究者が、遺伝子を一から作り出すことなんか不可能なのは、わかりきったことじゃないですか。

それにもかかわらず・・・。

なぜに謙虚にならずに反抗的になるんです?

独裁恐怖社会到来に備えての、出世栄達の確保?

まあ、そのお気持ちも無理からぬところなんでしょうが・・・。

そんな甘いもんじゃないって。

社会の仕組みの観察が足りてないんでないの?

あれ?

何の話だっけ?

女性さん達ですね。

まあ、ここで俺が何を書こうが、せんないことなんでしょうが、とにかく、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行だけは、覚えていておいてほしいんです。

これだけは。

そして、できることなら、今の霊性のまま、行ないのままでも構いませんから、祈りをはじめて頂きたいんですよ。

お金はかかりません。

時間もほとんどかかりません。

祈り言は下記の一式だけです。

一日一回でも、いいんです。

祈りをはじめてみて下さい。

~ 世界平和の祈り ~

世界人類が平和でありますように

日本(にっぽん)が平和でありますように。

私達(わたくしたち)の天命が完(まっと)うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神(しゅごじん)様ありがとうございます

~~~~~

(注1)逆ナン(逆ナンパ)の躊躇(ちゅうちょ)のなさ、お手軽さ?には、こんな印象を抱かされるんですよ。

判定基準は皮相的な外観だけで、その人のかもし出す雰囲気(オーラ)も含まず、本当にビビビッの直感に基づいているのかどうかさえも、疑わしいんじゃないのか、と。

(注2)男性に対して、どうしても付き合いたい、結婚したいといった場合のアドバイスとして、勇気を奮って一歩を踏み出せ、のようなものも見かけますが、遮二無二(しゃにむに)ってのも、どうもねえ・・・。

どうしてもと臨むなら、せいぜい、Fさんのいうような、誠心誠意を尽くした三顧の礼までですね。(*)

それ以上の、やみくもな試みはおすすめできません。

私は、祈り一念の生活をして、守護霊さんと守護神さんにお任せした方が、遠回りなようで、かえって無駄な回り道をしないことになると思いますよ。

霊的にも望ましいことにもなることですしね。

(*)三回目以降は、未来永劫(みらいえいごう)、絶対にナシのね。

人として、三度もの真心を袖(そで)にするんですよ。

なので、これ以上、もったいつけるような相手には、もう縁がなかったものとして、いさぎよくあきらめましょう。

見切り千両のつもりで、未練は完全に断ち切ってしまって下さい。

最新の心理学や、脳科学のテクニック?に頼るのもアリかもしれませんが、故事の方が、経験則としてある程度の実績があり、確立されている分、より因縁因果に適(かな)う可能性が高い(=余分な業想念を積みにくく、結果として、祈り一念の霊性開発の道に多少なりとも近づける)と考えられますのでね。

なので、祈り一念の霊性開発のやり方をとらず、唯物論での最適解にこだわるならば、こちら(三顧の礼)の方が、最新の研究よりふさわしいとする訳です(最新の研究は実績が浅い分、不確定要素が多く、未知数と考えられるためです。まあ、ポッと出をとるか、歴史の風雪(風霜も同じ))に耐えてきた実績のある方法を選びとって石橋を叩いて渡るか、の二者択一みたいなもんです)。

さらに言えば、三回目の断りが、これといった迷惑をこうむるにもあたらず、生理的にも好意的にも承諾できるものでありながら、誠意を反故(ほご)にしたものであり、過去世の因縁の発現ではない場合には、断った相手は来世以降にわたっての悪い因縁を積んだことになるんです。

従って、こうした相手には、霊的にも、唯物論的にも、今後一切かかわらない方が無難であり得策だ、となる訳です(相手が相手だけに、ヘタな道連れになったら損だっていう意味です。相手がどんなに他に魅力があろうが、関係ありません。こんな相手には、後々までかかわっていると、ロクなことにならない可能性が極めて高い。さわらぬ神に祟りなしが、当てはまるケースといえるでしょう。少しばかり、セコい計算になりますけどね)。

ついでながら、最近は世の風潮?もあり、故事や漢文を軽視する?こともあるようですが、いまだにこの世が、唯物論が幅をきかせ、同様にして、マスコミやテレビがそれなりの影響力を持つ、真善美に悖る業想念満載社会であることには、何ら変わりはないのです(若い男性に霊性の高い人がポツンポツンと現れてきているかもしれないにしても)。

ですから、日本にも三にまつわる言葉が数多くありますが、少なくとも唯物論上での示唆に富み、叡知(えいち)の宝庫である故事来歴(こじらいれき)を遠ざけるのは、もったいないんですよ。

霊性開発をしながらでも、一里塚として、十二分に活用の価値はあります。

まあ、わかる人にはわかる話だとは思いますがね。情報操作もアレなのかもしれませんが、人々の知的水準を低下させるのは、どのような想念と行為に相当するのか、霊的な意味を持つのかを、一度は立ち止まって、よく省察する意味はあると思いますよ。

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(追記)

猪突~ちょとつ~猪がまっすぐ走るように、向こう見ずに突き進むこと。

猪突猛進~ちょとつもうしん~ある目的に向かって、向こう見ずに突き進むこと。

蛮勇~ばんゆう~無分別にふるう勇気。向こう見ずな勇気。無鉄砲な勇気。

躊躇~ちゅうちょ~ためらうこと。決心がつかず迷うこと。

栄達~えいたつ~高い地位に進むこと。出世。

遮二無二~しゃにむに~他のことを何も考えず、がむしゃらにするさま。

三顧~さんこ~目上の人が、ある優れた人物に礼を尽くして仕事を依頼すること。

三顧の礼をとる~故事~中国の三国時代、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)が争った時、蜀の劉備(りゅうび)が諸葛孔明(しょかつこうめい)のわび住まいを礼をつくして三度も訪ね(=三顧)、たがいに胸中を語り合って、ついに劉備孔明を軍師に迎えることができたことからいう。

未来永劫~みらいえいごう~未来永久にわたること。

風雪~ふうせつ~①風と雪。風とともに降る雪。吹雪。
②厳しい苦難のたとえ。風霜(ふうそう)。
用例)風雪十年。

ここでは、②の意。

反故~ほご~①書きそこないなどでいらなくなった紙。ほうぐ。ほぐ。ほうご。
②役にた立たないもの。無駄なもの。

反故にする~約束などを取り消す。無効にする。
用例)契約を反故にする

さわらぬ神に祟りなし~さわらぬかみにたたりなし~物事にかかわりをもたなければ、災いを受けるおそれはない。

風潮~ふうちょう~①時代とともに移りゆく世の中の傾向。時勢。
用例)社会の風潮
②風に従って生じる潮流。

ここでは①の意。

示唆~しさ~他の物事やヒントとなることを与えて、それとなく教え、示すこと。
用例)示唆に富む話。

叡知~えいち~深くすぐれた知恵。高い知性。
用例)叡知を結集する。

故事~こじ~昔あった事柄。昔から伝えられてきた、いわれのある事柄や物語。

故事来歴~こじらいれき~伝えられてきた事物のいわれや歴史。