おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

080_外見と因縁

ネット談義?への言いがかりへの付け足しとして、グダグダと記します。

たとえば、顔の話。

学者さん大好きな勝手に法則創作?の顔と免疫力その他もろもろの能力との関連づけなんか、です。

一例をあげると、美しい顔は、健康、なかんずく、免疫力と生殖能力の高さが、外見に反映されたものである、とかのね。(注1)

俺は、真善美に悖る業想念を生じさせる、バカやそれに類する言葉を使うことを、極力、自制して避けてきました。

だから、言いたくないのだが、こんなの見ると、バッキャロー!と言いたくなる。

何にもわかっていない。

子細は書かないがね。

あまりにも、ものの見方が皮相的で、浅はかに過ぎる。

強いて好意的にとりゃあ、あえてわかってて書いてる、確信犯的な物言いだとは思うがね。

世の中には、例外なんか腐るほどあるし、こんな単純なもんじゃねえんだ。

以前、何十億人の人口、そしてそのおのおのに無尽蔵の過去世と因縁因果がある、と書いた通りだからだよ。

一般的にはどんなに恵まれたとされるように生まれつこうが、人知れぬ悩みや苦しみに呻吟(しんぎん)している人だっている可能性は十二分にあるんだ。

こんなの見ると、書いたのは、人の本当の哀しみや苦しみやつらさをを知らない、味わったことすらない、そこそこ育ちの良い、優等生勉強お坊っちゃんや、優等生勉強お嬢ちゃんじゃねえのか(要するに大学教授のような学者さんということ。なお、お坊ちゃんやお嬢ちゃんというのはこうした人達にありがちな育ちのことだ。肉体人間としての実年齢は関係ない。精神的霊的な年齢のことだ)とさえ、思えてくるのだ。

あなた方は、本当に辛酸を嘗(な)めたことがあるのか、と。

ただし、傾向としてならわかるよ。過去世の因縁のいくつかが反映されたものが出てくる訳だから。

しかし、これはあくまでも傾向なんだ。せいぜい、例外の穴ぼこだらけの概論にしかならないのさ。

シンメトリー(左右対称)礼賛?

そうかな。

俺が昔好きだったアイドル(女優?)さんは、決してシンメトリーじゃなかったよ。けど、その人の22、3才頃は、無茶苦茶可愛かった。声を聞いた時には、なんともたまらないと思えたほどに。

というのも、意外にもその人のアップの顔写真を見たら、シンメトリーじゃなかったんだ。わずかに顔の左右でズレがある。それでも、総和として、全体として受ける印象は、可愛いとしか、言いようがなかったね。

その人が、30代頃かな、テレビで見る女という女にことあるごとにケチをつけまくり、滅多にほめることのなかった伯母が、トーク番組でその女性を見て神妙になり、素敵、と言っていた。

彼女のデビュー当初は正面に見る顔が多く気づかなかったが、鼻筋がきれいに伸びて鼻が高く(しかも、とんがりすぎてない)、品のある横顔だったからかもしれないな(以前のアップの正面顔を見直したら、確かに高かった。あ、本当に高いんだ!という感じ)。

ことほど左様に、完璧なシンメトリーじゃなくたって、魅力的な顔の人はいるんだよ。

最近の美男美女といわれる人達も、おそらく、そうだろう。

注意深く、よくよく観察すれば、左右非対称になっているはずだよ。

その微妙なズレ具合やその他の部位やその人が持っているまとう雰囲気(オーラ)との兼ね合いの、総合印象の判定となるんだ。

それも、大抵がほんの瞬時のね。

おそらく、これには脳内の補正機能なども、多分に関与してくる。

人間には、ある意味、凄いPC(パーソナルコンピューター(とソフトウェア (今なら、アプリ。アプリケーションソフトウェアの略) )が、内包されているんだね。

いや、おそらく、これをはるかにしのいでいるな。

この能力の元は何か?
どこから来るのか?
その源泉は?
となると、やっぱり、神様しかないですね。

私達が神様の分霊(わけみたま)を頂いているからこそ、持ち得ている能力、と。

このような能力が、ありとあらゆることにわたって発揮されれば、誰しも苦労しないんだろうが、そこは、因縁因果、そう簡単には、させてくれない(そうは問屋が卸さない)。

顔が重要なのはわかるよ。

人間、誰しも相対すれば、この人はどんな人なんだろう?と思いますもんね。

霊性の開発されていない人々が圧倒的大多数の業想念満載社会だけに、自分にとっての利害得失は?と、誰もがとっさに考えるし、オーラも含めて顔が重要な手がかりになることは間違いないんだから。

その大半を占める印象(以前、顔面裁定的評価としたもの)に、顔の造作がかなりの影響を及ぼすことも、また確実だからね。

でも、これはあくまでも、手がかりや傾向に過ぎないんだよ。どんなに確度が高くとも、可能性に濃淡があっても、絶対じゃないんだ。(注2)

残念ながら絶対なのは、過去世(前世、前々世、・・・の総称)からの因縁因果なんだ。これには、悲しいかな、抗(あらが)うことはできない。過去世からの、ある程度決まってしまっている因縁因果を修正する可能性は、極めて限られている(既述のため省略)。

で、この因縁因果がどのようにこの世に現れてくるか、展開されてくるか、は私達一般人にはわからないのですよ。(注3)

大多数の過去世の因縁がどのように組み合わされ、いかに現れてくるかは、目に見ることもできないし、まったくわからないんです、原則としては。

未来を知ることができない、いわば、暗中模索なんですね。

特別な霊感のない、私達一般人にできることは、既述のように、この世で起きた結果から、過去世であったことを、逆算して類推することしかできないんです。

せいぜいのところがね。

ましてや、唯物論しか信じない人達ならば、不確定要素だらけで、何かしら拠り所がほしいとなってしまうとも、好意的にはとれなくもない。

だから、ああいった話が出てくる、と。

簡単に言ってしまうとね。

この世で起きた現象、つまり、結果から法則を導き出そうとしても、その途中たる因縁因果が、千差万別どころか億差兆別?で、果てしなく複雑多岐にわたり、その現れ方も、神のみぞ知る、でまったくわからないために、決めつけはできないってことなんですよ。

もちろん、一つの箴言(しんげん)や一冊の本が人生を変えることも、十分にあり得るだろう。

ただ、どうしても、万能ではなり得ないし、完全ではないんだよ。

よすがに使うなとは言わない。

それなりの、適材適所での価値があることも、認める。

しかし、万能じゃないんだ。

キラ星のような断片を集めれば、それで全体の水準の底上げは、それなりにあるのかもしれない。

しかし、残念ながら、断片は断片なんだよ。

どんなに、キラ星でも。

俺の偏見かもしれないが、どうも「洋モノ」にこれが多い気がするんだな。

ま、それはともかく・・・。

ありてあるものの、すべてを知りつくし、わかっているのは?

神様しかないよな。

だから、私達としては、あがいたり、紆余曲折を経たり、試行錯誤するのもアリだろう。

でも、お任せするのが、一番確実で間違いがない、ということになるんだよ。

経験すべきことは、経験させてもらい、いろいろな右往左往や紆余曲折があっても、あまりにも無駄に過ぎることは、なるべくなら避けるようにする。

そして、神様のご意志に沿って、神様のみ心に沿っていくためには、お任せするのが、最短で最善だよ、と。

その行き着く先の極致が、すべての想念と行為が、神催(もよお)しになされ、あらゆることが、当意即妙になされる状態となる訳でね。

で、その理想形に、少しでも、ほんのわずかでも、近づいていく方法が、世界平和の祈り一念の生活による霊性の開発なんですよ。

~~~~~

(注1)ここから垣間見えるのは、彼らの人間観察と洞察の浅さだ。

机上の空論?
外国(大抵がアメリカ)の研究成果の受け売り?
研究室のサンプル調査結果?
遺伝子や動物行動観察からの類推拡大歪曲解釈の援用?
それとも、
希望からの理論の演繹創作?

訳がわからないし、何だか知らないが、あなた方もそれなりに生きてきて、さまざまな人を見てきただろう。

あなた方ならば、普段の何気ない生活の中からでも、研究に値する重要な材料を、ごくごく自然にめざとく見つけることが、できるはずなんじゃないのか?(*1)

深窓の令嬢(しんそうのれいじょう)じゃあるまいし、人との接触が皆無じゃないんだから、ありきたりな人間観察ならば、当然にしているはずです。

本当に、杓子定規(しゃくしじょうぎ)にあんな公式に当てはまる人しか見なかったんですか?会えなかったんですか?

はたまた、注意力不足で、遭遇していたとしても、やり過ごしていたのか・・・。

わからんがね。

あなた方が、こと肉体人間(神体は別だよ。過去世の因縁で規定されてしまう肉体人間のことだ)に関して、本気であんな公式が絶対だ、と唱えるのだとしたら、それは絶対に間違っているとだけは、断言できるからな。

神様の分霊を本体とする肉体人間にとって、因縁因果の掟は厳しいんだよ。

想像を絶するほどに、ね。

だから、特別な修行?や修養?で、因果を乗り越え克服した(=因縁の解消のこと)かのように見えても、輪廻転生上果たすべき因縁が残っている限りは、先伸ばしになったり、ことと場合によっては、かえって果たすべき因縁が余分に増えて、のちのち、おおいかぶさってくることになるんだ(因果の救済についても、既述のため省略)。

とは言うものの・・・。

霊的なことも、輪廻転生も信じるか否かは、その人の因縁因果次第。

だから、せんないことなんだがね。

まあ、あなた方は、俺のことなんかバカにして、はなにもひっかけないだろうが、機会があったら他の文章を読んで下さることをささやかに願うよ。

そして、研究の視野をひろげて、人の苦しみをわがものとなせる感性を是非とも備えて下さることを、ね。

(*1)実体験を軽んじないで下さい。立派な実例なんですから。

現実に根差さない、遊離したような理論に一体どれほどの価値があるんです?

どんなに見栄えしようが、注目を集めようが、内実が伴わなければ、むなしいですよ。

(注2)傾向として言うなら、確かに生粋(きっすい)の美男美女は、性格の良さや各種の才能を兼ね備えることが、ままある。

過去世での生き方による元の美しさの取り戻し分が現れたもの、いわば、善きに生きた努力の賜物ですからね。

当然、美しい容姿(外観)と善良な想念行為と美や才能をきわめようとする前向きな姿勢は、親和性が高いからね。

だから、一緒に現れやすい。

従って、容姿、性格、才能が比例して高水準になる可能性もそれなりに出てくることになる。

ただ、超複雑多岐にわたる過去世からの因縁因果のために、生粋の美男美女ながらも、とんでもない業の深い人がいたり、例外が多々あることにもなるって訳。

なので。

ただ単に美男美女を掛け合わせれば、絶対に美形が生まれるという保証はなく、美形だからと順風満帆な人生を送れることや成功をつかめる保証もないってこと(これも既述)。

すべては因縁因果次第。(*2)

で、修行としてこの世に送り出されてしまったからには、地道にいくしかないのかな、と考えます。

(*2)遺伝子の精緻極まる驚嘆の仕組みも、ひょっとしたら、因縁因果の多様さに対応するためにあるのかもしれないと思うことがあります。

神様はここまで人類の過去世や因縁因果が無尽蔵に拡大することを、あらかじめ見越していて、因果に万全に対応させるための生命体の設計図として、このような遺伝子を作られたのかな、と妄想することが。

真相はわかりませんけど。

(注3)前にも何回か書いたけど、霊的な感知能力その他があるからと(なくても、もちろん)、悪い予見や予言をするのは、ダメなんですよ。

例外は限られている。

しかし、その例外さえも、好ましいとは言えない。

要するに、悪い予見や予言は、一切認められないってことさ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2023/09/24 10:15
②追記: 2023/12/12 00:45
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。