おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

082_種の保存

種の保存と霊性の開発
081 の続きです。

お付き合いや結婚についていくつか書いてきましたが、俺は、別に恋愛や結婚を強制したい訳じゃないんです。

因縁因果で見れば、未婚のまま生涯を終える方は、当然にいると考えている。

実際、過去の歴史上でもいらっしゃる。

世間では、みんな、やれ、恋愛だ、結婚だ、と夢見ることを言っている。

しかし、その割には、現実に、

多くの離婚、

家庭内離婚状態の体裁だけの仮面夫婦

各種不倫の横行、

恋人間・夫婦間の暴力(ドメスティック・バイオレンス=DV)、

保護者の養育放棄(ネグレクト)、

わが子の虐待(最悪の場合は殺傷)、

などなど、

をどう考えますか?

って、聞いてみたくもなるんだよな。

だって、人生の諸先輩方が、こういった結果を残しているんだから。

どんなに、自分たちだけは、仲睦まじく幸せな家庭を築くから無関係だ、と言い張っても、原則として未来が予測できない以上は、上手くいくとは誰にも断言できないんだからさ。

こうした実態があるからには、最低でも、上手く添い遂げつつある人達、つまり、無事に子育てを終え、なおかつ、熟年離婚せずに仲睦まじくいっているご夫婦を対象にして、それなりの聞き取り調査(ヒヤリング)ぐらいはしてもいいんじゃないのかな?

いや、むしろ、これは恋愛談義や結婚談義と必ず並行して取り上げるべき、必須の内容だと考えられますよ。

しかし、実状は?

そうじゃないですよね。

極端な例なら、恋愛サイコー、結婚サイコーのように、夢を持たせ、煽(あお)るような内容すら、まま、あるんじゃないですか?

先にあげたような、否定的な諸問題は、ことが起きてから、そこではじめて、法律相談や人生相談をする人が多いのではありませんか?

はじめから、すなわち、恋愛や結婚前から、上手く添い遂げつつあるご夫婦の話や、離婚をはじめとする大変な諸問題の相談を、徹底的に学習する人は、いないのではありませんか?

つまり、これらを学習してから、恋愛や結婚に臨む人は、まずいない、と。

こうした事前の準備をする人がいても、ちょっとした一言のアドレスであったり、わずかな忠告を小耳に挟むのが、せいぜいなのではありませんか?

だから、上記のように、入念で徹底した事前の調査や学習をしてから、恋愛や結婚に臨む人は、まずいないだろうと思うんですよ。

まず、いない。

もう、無意識に、恋愛や結婚に突き進んでしまうんじゃないですか?

しかも、現代は、少し前までは、なかなかに、わからなかった男女の本音が、かなりわかるようになってきたから、恋愛や結婚に美しい幻想を抱く人が、減りつつあるようにも思うんですよ。

前に、男性は、精神的にもろく、傷つきやすく、弱いとしました。

それから、来るのは、失敗して傷つきたくないことですね。

恋愛したい気持ちはあっても、女性に受け付けてもらえず、拒(こば)まれたらどうしようと、告白などをして、失敗して傷つくのは嫌だと、やや臆病になっているところがあるのかもしれませんね。

まあ、慣れれば別なのかもしれませんが、確かに告白には、結構な勇気がいりますからね。

よほど、外圧?で追い込まれないと、なかなか、勇気が奮えない、といった男性が増えてきたのではないでしょうか?

そして、ある程度、恋愛経験を積んだ場合では、この傷つきたくない気持ちは、女性を見下す形になってあらわれる。

いわゆる、フロイト流の分析ってやつです。

それなりに、女性の実態を知って、そのアラを何度も目の当たりにしてしまうと、どうせ女性はこんなものだ、のように決めつける。

描いていた理想との落差(ギャップ)をいいことに、その他女性一般に対して、一方的な見下し評価、いわゆる、レッテル貼りをして、遠ざける。

そうすることで、傷つき、失敗することを避ける訳ですね。(注1)

まあ、現代では、女性も昔とは違って?、用意周到に本音をさらさない部分をキッチリと残しながらも、言いたいことを言い、かなり強い主張をするようになりましたからね。

こうなると、男性に求める要求水準の高さや、これからくるワガママぶりについていけず、ますます、男性が女性を遠ざける可能性は、高くなると言えるでしょうね。

他方、女性は、かなり強い主張をして、要求水準が高いものを突きつける割には、いまだに基本は受け身である状態を脱却することができず、結婚は男性の決断待ちによっている場合が、ほとんどのようです。

つまり、女性は実質的には恋愛や結婚への主導権を握っていても、最終的には、男性からの告白や決断待ちになっている。

つまり、女性としては、これら告白や決断を促すように、さまざま努力をすることが、一般的だ、ということです。

ねじれてますよね。

直線的(ストレート)じゃない。

場合によっては、私が離れて行ってもいいのですか?私がいなくなってもいいのですか?と男を試しますからね。

取り方によっては、健気で、いじましい女心と言えなくもないのかもしれません。

が、もし、他の男性がダシにされている場合には、その男性はたまりませんよ。

とんだ、ピエロにされてしまいます。

それでも、笑顔で辛(つら)さをこらえ、さわやかに去っていくのが、男が当然持つべき矜持(きょうじ)だとでも、思っているのかな?

わかりませんけれども。

話がそれました。

こんなところにも、何としても、御身を守る特徴がしっかりとあらわれている。

以前、ヒントは与えるし、エサも十分にまくけれど、最終的に決断して、行動を起こすのは、何が何でも男の役目であるかのように女性は振る舞う、とした内容を書きました。

実は、こうした状態にある限りは、女性が、恋愛や結婚の本当の主体、真の主体になっているとは言えないんですね。

女性も、言いたいことを言い、かなり強い主張をするようになったのですから、恋愛や結婚の実質的な主導権の握り具合そのままに、告白も女性から行い、最終的な結婚の決断も女性がするようになったのか?一般化、普遍化したのかというと?

違いますよね。

主導権を握り、告白や決断に持ち込む周辺状況は、したたかに固めるけれど、あくまでも最終決断(特に結婚は)男性にさせる。

男性が重い(軽い?)腰をあげ、最終決断をするように、仕向けるんですね。

仕向けるんですよ。

あくまでも。

最終の結果責任は男にとらせるんです。

といった形で、女性はかなり強くなり、主導権をほぼ掌握しながらも、主体とはならず、相変わらず客体となっている。

これが、一般的な実態なんですね。

こうした、ねじれた、というか、何とも厄介な状況にあるために、ますます、結婚が成立しにくくなるし、その前段階である恋愛さえも、男性から敬遠されるようになってきてしまっているような気がする訳です。

つまり、恋愛の自由化?が成立した時代の流れとともに、主導権を握りながらも、主体ではなくあくまでも客体である、という女性特有のあり方が、次第に浮き彫りになってきているんですよ。

だって、女性の本質そのものは、いささかも、まったく変わっていないのですから。

まあ、こうした要因もあって、若い男性の草食化や絶食化?が、そして、さらには、結婚の晩婚化や未婚率の上昇につながっていると考えられる訳です。

時代は流れても、男性も、女性も、本質はなかなかに変わらない、と。

おそらく、このような、男性と女性の、もともとの固有の性に付随する生得のような人間としての属性を変えることは、変えることはできないのでしょう。

神様の現世での修行を見据えた御心でもあるのではないでしょうか。

で、いつもながらのことになってしまうのですが・・・。

人類を終焉させたいという狂気の沙汰でもない限り、やはり、種の存続は、普通のこととして、なかんずく、当然のこととしてあるものと、考えられるんですよ。

であるならば。

先進諸国の未婚化や少子化も、因縁因果なのか、神様のお計らいなのかはわかりませんが、あまり心配したりして、想念を乱す(=来世以降に悪い影響が出て、結果の総和として世の乱れにつながる)くらいなら、神様にお任せしてみたらどうてしょう。

世界平和の祈り一念の生活による霊性開発によって、結婚も神様のお導き(この場合は守護霊さん)に委ねるのです。

ほとんどの方は、それなりに、恋愛や結婚をすることになるのでしょうが、子孫の反映や引き継ぎも含めて、もう、神様にお任せしてみてはどうでしょう。

唯物論で、あーだ、こーだと文句を言い、いくら裁いてみたところで、種の保存も含めて、あまりいい結果が残せるとは、思えないからです。

結婚をして子孫を残すのも、一人としての生涯を終えるのも、いってみれば、因縁因果次第です。

しかし、できることならば、肉体人間の我欲に従って生きるよりも、神様の御心に沿って生きる方が、迷いも少なく安心立命感も高い人生が送れると思うんですよ。(注2)

年齢にかかわらず、結婚する定めを持っている人達(因縁のある人達のことです。一般的な言い方ならば、縁のある人達ですね)ならば、あまり右往左往したり、捨て鉢になったりせずに、なるべくなら早めに結婚してほしい。(注3)

基本は修行ですから、どうしても、苦労して、軋轢(あつれき)がそれなりに生じるかもしれませんが、最終的には、人生に感謝して、お互いに感謝しあえるご夫婦になって頂きたいんですよ。(注4)

因縁因果次第で、生涯独身の方がいるだろうとは書きましたが、これからの時代がどうなるのかは、また別のことで、成り行きはわかりません。

私達には未来が予測できないからです(原則として)。

別の言い方をすれば、まだ未婚の方の因縁因果が、どのように展開していくか、守護の神霊様方の運命修正により、どれだけ変化が起きてくるのかは、私にはわからないからです。

すべての皆さんが結婚されるのかもしれませんし、
ほとんどの方が結婚されるのかもしれませんし、そうではないのかもしれません。

これは、私達には、原則として未来の予測ができない以上、わからないのです。

ですから、独身の方も、とにかく神様に委ねて、その天命をまっとう(祈り言では完うと書きます)するために、伴侶が必要なものならば、どうかお導き下さい、と願うことになると思います。

世界平和の祈りの中に、私達(わたくしたち)の天命が完(まっと)うされますように、とありますが、その天命成就に伴侶が必要なものならば、どうかお導き下さいという意味合いになりますね。(注5)

そして、なろうことなら、夫婦の人達も、最終的に独身となる人達も、安心立命の境地に到達して、穏やかな人生を送って頂きたいなあ、と思っているんです。(注6)

まあ、これも何回も、申し上げてきたことなんですが、唯物論に行き詰まったら、世界平和の祈り一念の生活による、霊性開発をご検討下さい。

皆さんのご健康を願っています。

~~~~~

(注1)ここでは、お付き合いや結婚をダシに、女性の体だけを求める男性は想定していません。

衝動のおもむくままの性欲の発散と自分に都合のいい家庭の構築を使い分け、女性を選別した上に、利用して捨て去るのは、人のモノ扱いに他なりません。

たとえ、相手の女性が、淫乱だろうが、自堕落だろうが、何だろうが、関係ありません。

お互い様の言い訳も通用しません。

神様の分霊を頂く者の行為の主体としてのあり方が、問題だからです。

(注2)安心立命~あんしんりつめい~あんじんりゅうめいとも読む。天命を悟(さと)って、生死利害を超越し、安らかな心を持つこと。

なお、あんじんりゅうめいの安心(あんじん)は仏教語で、信仰によって心を定め、心が動かないことをいう。

阿弥陀仏(あみだぶつ)の救いを信じ、極楽往生を願う心のこと。

(注3)捨て鉢~すてばち~どうにでもなれという気持ちになること。やけくそ。自暴自棄。

(注4)軋轢~あつれき~(軋(あつ)も轢(れき)も、車輪がきしる意)仲たがいすること。不和。反目。

(注5)世界平和の祈りの祈り言一式は、以下の通りです。

何回も引用しましたが、一応、また、ここでも記します。

~ 世界平和の祈り ~

世界人類が平和でありますように

日本(にっぽん)が平和でありますように

私達(わたくしたち)の天命が完(まっと)うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様(しゅごじんさま)ありがとうございます

(注6)そうは言っても、ご夫婦であっても、いずれは、原則として、どちらかが先に逝き、片方が残されることには、変わりがない訳です。

子孫がいたとしても、です。

この世に生まれる時は、誰しも裸ですし、亡くなる時もほぼ裸です。

突き詰めると、双子かそれ以上であっても、生まれる時も、亡くなる時も、人間は一人なんです。

あの世にお金を持っていくことさえできません。

そう考えた時、自分がこの世にいる間に、どのように生きたら良いのかと、内省する機会を持つことも、十分にアリ(有意義)だと思います。

そんな時のよすがとして、安心立命を視野に入れた、世界平和の祈り一念の生活による霊性開発を、覚えておいて頂きたいと思います。