おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

089_まとめ

前回 ( 088_お手本 - おぶなより ) の続きです。

何だか、ずいぶんいろんな人を、非難的に書いてしまったかもしれないな。

キリギリスさん達や A さんのようなお嬢さん達、追及派の人達が、主ですけどね。

これは、俺のこの世の理解がまだまだ不十分なためです。

すみませんね。

彼らのように、俺からすれば、雲の上というか、まったく縁のない人達、すなわち、優秀なエリートの人達や、恵まれた家庭で育った人達や、鋭利な社会分析ができるような人達が、あろうことか、真善美に悖る想念と行為にまみれてしまっている。

ちょっと理解に苦しむところもあるんですね。

なぜ?

一体、どんな過去世の因縁から、こんなことになってしまっているのか。

彼らのそれぞれの現状からすると、過去世でのそれなりの、各種の努力、善行、研鑽(けんさん)などが裏付けとしてあったことは確かでしょうね。

その、良きものの積み重ねの層、特に真善美に適う想念の層がいまだに薄く、霊的な修行(霊性の開発に相当するもの)もほとんどなかったために、このようになっている、ととりあえずは推測できます。

しかし、せっかくいい位置まで昇って来たのに、こうもアッサリとした、(原則として)来世以降の転落は、もったいなくて仕方ないんですよ。

彼らほどの立場と能力をもってすれば、世の人々の良き手本ともなれるし、人類全体の霊性の水準の底上げに、多少なりとも寄与できるからです。

まあ、もし神様が、輪廻転生の上がりまでの、長い長い旅路では、誰しもが通る道なんだよ、あるいは、無尽蔵のごとき過去世と因縁因果の中では、それなりにあるパターンなんだよ、と言われれば、それまでになりますが。

彼らのこれからはわかりません。

が、とにかく、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行を、一日一回でもいいから、やってもらいたいんですよ(なお、回数は多ければ多いほどいいです)。

気まぐれだって、あきらめの境地からだって、何だっていい。

かまいません。

その、唯物論に染まりきったために、肉体にまつわる我欲に執着して乱れている想念を変えるための、ほんのわずかでもいいから、足がかりがほしいからです。

世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行で、真善美に悖る想念と行為を浄めるための、きっかけをつくってほしいんです。

俺にとっての、韓非の言う蟻の穴は、これです。

彼らの過去世からの因縁次第では、難しい場合もあるかもしれませんが、とにかく、変わるための、かすかなきっかけだけでも、何とかつかんでほしいんですよ。

それと、もう一つは、唯物論の縛りですね。

彼らもそうですが、大多数の人は、このしがらみから、容易には抜け出せない。

目に見え、手に触れることができる、モノ、カネ、人(外観と雰囲気)に、どうしてもこだわる。

あらゆる価値判断の中心に据える、よすが(寄す処の意味)とすることが、非常に多いんです。

過去世から引き続きあるものを、途中経過ながらも、この世のものとして、何とか確保して押し頂いていさえすれば、永遠とはいわないまでも、当面の間は高い満足度が得られる。

これが、かなりの程度、安定して保てる、と考えているのではないか。

これが、何かの拍子に、アッという間に崩れ去ることもあり得る、とは考えていないのではないか。

だから、物質やカネや権力を主とする満足度至上主義となり、自らの身の回りを中心とした利害得失計算に明け暮れることになる。

従って、衣食足りて礼節を知る、ではないが、無償の愛をはじめとする精神論は、あくまでも、添え物というか、副次的な位置づけになりがちです。

唯物論の説教はほとんど無効だし、こうしたあり方は、変えろといっても変えることはできない。

因縁因果がすべての元ならば、これを、守護霊さんや守護神さんのお力添えを頂きながら、その裁量の範囲内で、悪い因縁を少しでも浄めて消して頂くことで、救済としての運命の修正を待つしかないんですよ。

もしも、輪廻転生を通した因縁因果の法則、いわゆる因果律が、地球さんの擁(よう)する全世界の万民にわたって公平には作用せず、その時代、その時々の階層や身分によって、著しい不公平があるのであれば・・・。

もう神様はそもそもいないか、不完全で力弱いか、悪意に満ちた存在となる(または、巷によくいる霊的な語り部(べ)のように、神様に対立する悪魔の存在を肯定することになりますね)。

こうなったら、もう、あきらめるしかない。

どうあがいたって、どうにもできないのは、明白だからですよ。

バレート最適のような資源の再配分をしたいから、持っているものを手放せっていっても、そうはいかない。

自己保存の本能から、誰だって自らの生活を守り、なおかつ、安心して維持したいし、より優位、中でも、特権のあるような絶対優位な立場にあれば、既得権益は何があってもかたくなに手放さない。

だから、いくら感情に訴えようが、理詰めで説得しようが、何をしようが、世の中は変わらないし、変えることはできないんです。

唯物論の自己保存の本能からしても。

仮に、SM さんの詳細な分析を万民に知らしめ、十分に理解させたところで、どうにもならないでしょう。(*1)

あるのは、優位な立場にある人達の自己保身と、残された圧倒的大多数の人達の厭世感と絶望感にしかならないと思います。

唯物論に縛られたまま、その思考しかできないと、終着点はここにしかならない、と。

しかも、不安や恐怖や怒りといった、真善美に悖る業想念を多大に生じさせることにもなってしまいます。

霊性の開発が不十分、もっといってしまえば、まったくできていない、私達の行動原理では、こうなることはやむを得ないからです。

それが、しかと理解できてしまったならば・・・。

どんなに、各自めいめいが、勝手に生きようが、刹那的に生きようが、それぞれのはかない大切な命です。

本人が生きたいように、好きなようにさせてあげるより仕方ない。(*2)

なぜなら、SM さんのような追及派の人達のように、唯物論に望みを託すのは、明らかに無謀だからです。

どうにもならないほどに、がんじがらめにされている現状からしても、どこを、どう考えても、無謀だとしか思えないからですよ。

易姓革命なんて、絶対に不可能だし、そもそも、こんなものを望んでほしくない。(*3)

で、少しでも、その唯物論思考にまみれたあり方や、世の中の不条理を直していきたいのなら、因果律を信じ、神様を信じて、そのやり方に則(のっと)っていくしかない、これによって、因縁因果の修正、運命の修正をしていくしかない、と考えられる訳なんですよ。

たとえ、ほんの微々たるものであっても、果てしなく遠い道に思えても。

他にないんですから。

妙好人の人達のように、本当に神様を信じきるなら、これしかない、と。

これ以外の方法は、可能性がないか、必ず、何らかの争いを招いて、真善美に悖る業想念を生じさせるからです。

まあ、あるとすれば、前に書きましたが、閻魔帳片手に悪の心をなくした、特注仕様の元祖魔人ブウのような、架空の設定の者に世直しをしてもらうしかありませんよ。(*4)

で、世界平和の祈り一念の生活による霊性開発をはじめて頂きたいんですよ。

祈るのは自由ですし、特別な形式や手間は一切かかりませんから。

もちろん、お金もかかりませんし、時間もほとんどかかりません。

以上、長くなりましたが、まとめです。

~~~~~

(*1)まあ、SM さんの提示した内容を、十二分に理解できれば、社会の本当の仕組みの、いい勉強にはなると思います。

これこそ、ほぼ、紛(まが)う方ない、正真正銘のそうだったんだ、となりますから。

ただし、あまりの内容に、当初はまったく受け入れることができず、拒絶反応が出たり、かなり当惑して、混乱することになる可能性が高いんです。

今まで、常識とされ、広められてきたものとは、その内容が、著しく異なっているからです。

このあとに、どのような展開になるにせよ、上記のように、その内容を理解する段階からはじまって、恐れ、不安、恐怖、怒りといった、かなりの真善美に悖る業想念を生じさせることは、間違いありません。

だから、これはできる限り避けてほしいと、祈りをすすめ続けてきたんです。

(*2)俺ならそう思います。

だって、そんな風に追い詰められた人には、それでも、気高(けだか)く生きろだの、抵抗しろだの、と無理強いはできませんよ。

酷(こく)だと思うからです。

唯物論しか信じず、肉体人間はこの世で死んでしまったらすべてが終わり、と思っていて、輪廻転生を通した永遠の命があること、私達の本体は神様の分霊で、霊魂魄であることを、頭でわかっている人だけでも、かなりの少数派なのではないか、と考えられるからです(漠然と何となく感じている、信じている人はいるかもしれませんが)。

なので、そういした行動に走ってしまう人が出るのも、致し方のないことだ、と。

少なくとも俺は、そうなってしまう人達を責めることはできません。

祈りだけをして、あとはそうした人達の守護の神霊様方のご判断に委ねるしかない、と考えています。

(*3) SM さんは、ここにたどり着けたかなあ?

果たして、彼と縁があっただろうか?

皆目わからないが。

あなたは、普通の理解力云々と言っていたが、あなたこそ、いや、あなたほど、この今の状況を理解している人はいないでしょうよ。

向こうは、唯物的な支配を完成させようと、唯物論だけではなく、それこそ、霊的なものも含めて、ありとあらゆるものを動員していますよ。

間違いなく。

つまり、唯物論並びに霊的な面でも、強大な科学技術力と巨大な組織力を擁(よう)しているのは、疑いがないんです。

絶対にかないっこなんかないんです。

わかるでしょう?

唯物論的に考えても、神様が信じられるものなら、神様に救いを求めるしかないんです。

そして、唯心論なら、現状の因縁因果を、少しでも地道に改善していくことです。

これ以外に、方法はないはずです。

お時間があれば、ご一考願います。

(*4)このやり方は、その後の復旧をも含めた処理・対策(フォロー)が大変なことになりますよ。

まあ、そもそも、あり得ない話ですけどね。

特注仕様の元祖魔人ブウとはまた別に、復旧のための、これまた善意の魔法使いさん?でもお願いできれば別ですが、これもまったくあり得ない妄想仮定ですからね。

そもそも、特注仕様の元祖魔人ブウの設定も、ただやみくもに出したんじゃないんですよ。

もともと、利にさとく欲が深い被支配層の私達の力具合、組織化してもその不安定さと脆弱さ、そして、さらには・・・(これ以上は言いたくない)などがあるから、理詰めで可能性を考えたら、あのような設定にしか行き着かなかっただけのことです。

アニメのドラゴンボールZを知らなかったら、適切な例えにさぞや苦労しただろうな、と思いますね。

加えて、既述のように、私達被支配層の個人個人が悟りを得て(=霊性が開発され尽くして)、今すぐに仏陀となる(従って、いかなる悪巧(だく)みも、自然にはねつけて返すことができるようになる)ことも、まったく可能性がありません。

仏陀なんか、今、この地球上に、一人や二人でさえもいないかもしれないのに、少数でも、ましてや、私達全員が仏陀になることは、天地がひっくり返っても、あり得ません。

絶対に。

妙好人のような信仰者、あまつさえ、これに匹敵する指導者さえも絶無に近いかもしれないのに、ましてや仏陀は、という話です。

これは、言い切ってしまっても間違いないと思います。

それほどまでに、唯物論では、現状の劇的な改善の可能性がなく、難しいということです。

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①追記: 2024/04/06 17:43
②追記: 2024/04/06 17:50
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。