おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

091_停滞

前の 090 で書いたように、以下の書物を見ていきたいのだが、神様をどう位置付けながら書いていこうか、考えがまとまらないので、もう少し遅くなります。

あらかじめ、ご了承願います。

1.原始仏典 中村元著 ちくま学芸文庫 1987年刊

ちなみに・・・。

どうも、仏教では、聖書的な?意味での絶対神を認めないように書いてありますね。

そもそもからして、釈迦の誕生以前から、各種の神々がかかわってきているように書いてあるのにもかかわらず・・・。

この世の側面支援的な神様や身近な神様が存在して、釈迦という肉体人間が多くの者を導く聖者として、これから生まれてくることがわかって喜んでいるのに、その大元というか、いってみれば中心の存在が不在であるかのような書き方というのは、何か不自然というか、釈然としない印象を抱くんですけどね。

何か、割りきれないというか。

仏弟子の告白のところでは、修行者となったスニータ長老の言葉には、輪廻転生を当然の前提としているかのように過去世の話が出てくるし、インドラ(帝釈天)と梵天が出ている(これは、身分の低いとされた人間のスニータ長老が、釈迦から受戒を得て立派な修養を積んで悟りを得たことに対して、最高神とされるような、この二神が合掌して敬礼しに来たくだりに出ている)。

しかも、ここでは梵天は世界を創造した主(ぬし)としての神と書いてあるのに、そのだいぶ後で、仏典の中では多くの神々が登場するが、世界を創造した神というものは認めません、などと書いてある。

まだ、読み込みが足りないのか、ちょっとわかりかねます。

まあ、所詮、俺の文章だから、いい加減に書いてもいいのかもしれませんが、もう少し時間を頂きたく、お願い致します。