おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

095_心理学

今までのような唯物論全盛というか、ほぼ大半の人が唯物論に基づく価値判断をする世の中では、皆さん本音と建前を使い分けます。

小さな嘘もつかないでは、とても生きていけないと考えられます。

学生でも社会人でも、表と裏、本音と建前の差が激しい人が結構いましたからね。

たまたま祖母が信心深く、おら、嘘つかねえ、などと言っていた影響を受けた(どんな人でも、些細なことや善意を含めても嘘をつかない人は絶対にいないと思う。幼少時に三つ子の魂的に影響を受けたような気がする)のと、俺自身が元からしてトロいので、他人の建前をそのまま真(ま)に受けて、後でその本音を知った時に、驚かされたことがずいぶんありました。

要はただ鈍くてアホなだけだったんですが、こうしたことがきっかけで、他人の隠された本音を知りたいと、学生時代から潜在意識を扱う心理学関連の本を読んだりしていました。

しかし、本音なんか知ったところで、煎(せん)じつめれば、自らの保身と他人を出し抜くための狡(こす)い立ち回りぐらいしか意味がないんですね。

そりゃあ、保身は大事ですが、そんな本音を知ったところで、最終的にはむなしくなる。

幸福感は味わえませんでした。

それに元が短気で怠け者だったこともあって、あまり細々とした分析をして対処するのも、むなしさも加わり、面倒くさくなってしまった。

もう、どうでもいいや、と。

嫌なこと、不都合なことを全部、過去世の因縁の、現世での時を経て消えて行く姿として片付けたほうが楽だな、と思うことも増えてきた。

ちょうど面倒くさくなってきた頃、五井先生(昭和の宗教家の五井昌久さんのこと)の教えを知った時期と重なったので、こっちに放り投げた方がいいや、と思うようになってきた。

顕在意識と潜在意識の研究を元にしている心理学は、社会を幸福するために本当に寄与してきたのだろうか?

寄与しているのだろうか?

商売に有効活用したり、ある種の操作には確かに有意でしょう。

しかし・・・。

本当にそれだけで肯定的にとらえていいものだろうか。

こうした疑問を抱くことがままあります。

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追記: 2024/04/07 01:13
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。