おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

103_変更

また、イケメンについて。

いや、美男のことです。

仏教について、少しずつ調べていた時に、目にしたものです。

お釈迦さんのことです。

彼は、転輪聖王または転輪王となれるはずの人であったが、それを取らず、宗教上の王となったとされています。

そのことが、古い経典をはじめとして、いくつか書かれているようです。

その中の一つ、古い経典の「スッタニパータ」によると。

先生!
精力ある人よ。
あなたは身体が完全であり、
よく輝き、
生まれもよく、
見た目も美しい。
黄金の色があり、
歯はきわめて白い。

けだし、
生まれのよい人のそなえる相好はすべて、
偉人の相としてあなたの身体のうちにあります。

あなたは眼清らかで、
顔もみめよく、
(身体は)大きく、
端正で、
光輝あり、
みちの人の群れの中にあって
太陽のように輝きます。

あなたは見るも美しい修行者で、
その膚は黄金のようです。
かくも容色がすぐれているのに、
どうしてみちの人たる必要がありましょう。

あなたは転輪王となって、
車兵の主となり、
四方を征服し、
(インドの)ジャンブ川の支配者となるべきです。

クシャトリヤや地方の王どもは
あなたに忠誠を誓うでしょう。
ゴータマよ。
王のなかの王として、
人類の王として統治をなさい。

これに対して、
お釈迦さんは、
次のように答えたとされている。

セーラよ。
私は王ではありますが、
無上の法王です。
法によって輪を回すのです。
反転しえない輪を。

後世の大乗経典や神話にみられるように、ある程度、神格化しようとした意図は働いているかもしれないが、古い経典でありながら、これほどまでに、容貌を大絶賛されているからには、やはり、お釈迦さんはそれなりに見た目が麗しい人ではあったのは確かでしょう。

ただ、彼の夫人、王妃については、彼女の存在が彼を陰ながらよく支える存在であったからなのか、おとなしい人だったのかはわかりませんが、その名前がわからずに、いくつも必要に応じて作り上げられてしまっているらしい。

こうした点からは、厳密な正確さを求めるのが難しいところは少しはあるので、初期のものとはいえ、お経も絶対とは言えないのかもしれない。

しかし、まあ、多分、彼の記述については、かなりの信憑性があると思われます。

人生の生き方や心構えに指針を与え、人々の多くを導く指導的立場になるべき者は、見た目からでもそれなりに、美しくあるべきだと考えたであろう、当時の人の気持ちもあり、多少は脚色されている可能性はあるにしても。

見た目が美しいこと、顔がよく、背が高く、端正で(つまり、カッコいいことですね)、人の群れの中にあって太陽のように輝くとは、つまり、瞬時にわかる、今でいうところの素晴らしいオーラがあった、とされるのは、まさに、美男やハンサムの本来のあるべき姿を例えているかのようです。

古くからのこうした例もあって、外見が好ましい、すぐれている人には、ただ者ではない、それなりの外見以外の美点がそなわっていると思われがちなのかもしれませんね。

お人によっては、人間のやることは今も昔も変わらないなあ(祭り上げたい人を、あらゆる面で秀でた人として美化したがること)、とも感じることがあるかもしれません。

実際には、そうでもないことが、たくさんある(因縁次第だから)のですが、外見がそれなりにいい、あるいは好ましいと感じると、どうしても、外見以外も期待しがちになる性向が、人間にはあるように。

一つでも抜きん出て素晴らしい長所があれば、その他も完璧である、すなわち、神様に近いから好ましい、とどうしてもしたがるように。

あと、蛇足ですが。

また、説教じみた話で悪いんだけど。

お釈迦さんは、幼いころから城を出て偉人になることを知らされていた王である父親(*1)をはじめ、周囲がなんとか引き留めるように、と安楽で場合によっては享楽な環境を用意したようです。

それにも、どうしても満ち足りることができなくなって、彼は城を出てしまう訳です。(*2)

今風に言わせてもらえば、霊性の高い彼は、豪奢な生活や享楽三昧のような生活には、どうしても馴染めなかった訳です。

悩み、苦しみ、世の無情を嘆くような人々に目が向き、自分にも置き換えて内省し、いわば人救いの道に立つことを決めた人だったんですね。

ひるがえって現代。

美男やハンサムよりは多少は格が落ちるかもしれないが、イケメンであることは、女性と恋愛をするときには、明らかに有利な条件です。

で、この条件をいかに使うか(もしくはまったく度外視するか)で、その人の霊性の高さがわかる訳です。

俺はイケメン、女ならいくらでも寄ってくる。相手をしてほしいと待っている女なんていくらでもいるんだ。それを叶えてやって何が悪い?便利な婚活仮面を使い、物欲しそうに焦るアラサー女子を騙しても、お互い様で、大した変わりはないじゃないか。

良心(神性)のひっかかりを感じながらも、このように自分に言い聞かせているイケメンもそれなりにいると思います。

しかし、彼らの霊性がお釈迦さんと比べてどうなのかは、もう説明するまでもないですね。

俺の独断と偏見ですが、こうした彼らを永遠の命、輪廻転生を通した霊なる人間として、神様の分霊を頂く肉体人間のあるべき姿として、矯正していくには、魂の学習しかないように思えるんですよ。

だから。

こうしたあり方に、もし、寂寥感を感じ、むなしさを感じ始めているイケメンさんが一人でもいるのなら。

世界平和の祈りを 1 日 1 回でもするように、していってほしいんですよ。

詳しくは書きませんが、とにかく今のようなあり方にむなしさを覚えはじめてきたなら、是非とも考えてみて下さい。

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(注釈)
転輪王~古代インドの思想における理想的な王を指す概念。
地上をダルマ(法)によって統治し、王に求められる全ての条件を備えるという。(Wikipediaより)

・身体~しんたい~人間のからだ。肉体。

・けだし~思うに。まさしく。確かに。
用法)文語的な語で、確信をもって推定するときに使う。

・文語~ぶんご~話し言葉に対して、文章を書くときに用いる言葉。書き言葉。

・相好~そうごう~人の顔かたち。顔つき。表情。
(用例)相好を崩す~今までの表情を変えて、にこにこする

・膚~はだ~人などの体の表面。

・容色~ようしょく~顔かたち。美貌(びぼう)。

・性向~せいこう~性質の傾向。気質。

・豪奢~ごうしゃ~非常にぜいたくで、派手なこと。また、そのさま。

・寂寥~せきりょう~ものさびしく、わびしいさま。

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(*1)浄飯王。じょうぼんのう。スッドーダナ

(*2)お釈迦さんは、ただやみくもに修行のために城を出た訳ではなく、自分がいなくなっても、妻子が生活していけるメドがたっているからこそ、29 才での出家を決断したようです。

当時のインドでは、修行者は妻子親族の扶養義務の観点から、財産を残さずに出家することを禁止しているところもあったそうです。

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①追記: 2024/04/07 08:01
②追記: 2024/04/07 08:10
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。