おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

104_諦観

一部だか、もっとだかわからないが、地球さんは現在次元上昇を続けていて、五次元に脱皮するらしいことを述べている人達がいる。

今までは、水準の低い(この意味もよくわからないのだが)私達に合わせて待ってくれていた地球さんが、どんどん振動数や周波数を上げていって(これもまた意味がよくわからない。というのも、このようなもののとらえ方は、世の中のありとあらゆるものは「波動である」という考えにもとづいているし、これが心身ともに感得できている人はほとんどいないと思われるから)、これについていけないと、いわば、落伍してしまうことになるらしい。

うまく地球さんと共に上昇できれば、いまのような不平等・不均衡だらけで、矛盾しきった、不幸や災難に満ちている、この世から、素晴らしい世界に移行できるらしい。

しかし、それには、ただ今まで通りのような、人間=肉体人間ととらえ、その五感にまつわる各種の欲望の充足ばかりを求めるだけでは、どうも上昇の切符は手にできないらしい。

例えば、以前触れた祈り人の先達、 t さん(はまぞうのブログで、アセンションを書いている then さん)で言えば、
「世界平和の祈り」、
マントラ(ガヤトリーマントラ)」、
「瞑想(マカバ瞑想)」
の3つのもの( then さんはツールと呼んでいる)を、かなりやり込まなければならないようだ。

これは、勝手な推測だが、こうすることで、真善美に悖る業想念を可能な限り祓(はら)い浄めて、きれいな体(=肉体そのものではなく想いの体である幽体)にしておくということでしょうね。

さらに、別の人(有馬薫さん)の話にも似たようなものがあったのだが、有馬さんの場合、あまりに話が抽象的過ぎて、何を言っているのかがサッパリわからず、ただ、早くしなさい、もうすぐレールは別れるのです、乗り遅れないように、とばかり言っているように聞こえたので、こっちは割愛します(ちなみに、このメッセージを出している有馬さんも、then さん同様、女性)。

昔には、救いの宇宙船( UFO のこと)が姿をあらわし、人の善悪を振り分けた上で、要件を満たせば空中携挙ばりに引き上げて助けてくれるような夢物語のような話があった(これも発信者は女性(田村珠芳さん))。

今でも、別人だろうけど、この宇宙船の空中携挙の焼き直しのような話が、再び出てきている(発信者の性別はわかりません)。

まあ、今までが今までだから、そんなうまい話があるの、本当に?と疑ってしまうのですよ。

宇宙船の話から少しして、東日本大震災がありましたからね。

そうやって、本当に救う予定があるのというのなら、あの震災を食い止めて欲しかったし、それさえもできないのなら、せめて、もっと被害を小さくして欲しかった。

それはともかく。

世界平和の祈りでも、残念ながら、本当に、非常に残念ながら、似たようなことが言える。

世界平和の祈りは、多分、地球の人類一人一人の霊性がかなり開発されて、それでなんとか、痛み(不幸や災難のこと)がなるべく少なく、平和な世界に移行することを目指すものだと思う。

しかし、ごく一般の人を見る限り、とても霊性が開発されているとは思えない。

おそらく、五井先生(昭和の宗教家五井昌久さんのこと)が逝去される直前くらいから、だんだんに、世界平和の祈りは衰退していったのではないだろうか。

直弟子(の方なのか側近の方なのかよくわかりません)の清水勇さんの著書、「ある日の五井先生」によると、五井先生の晩年には派手な古代語の霊能力?の誘惑に負けて GLA に移ってしまった幹部の人達も中にはいたらしい。

いまの一般の人々を見ていると、とても霊性が開発されているとは思えないし、世界平和の祈りさえ、知っている人は、まれなのではないか?と思えてくるんですよ。

今、仮に地球人類の十分の一でも、かなり霊性が開発されて、お釈迦さん(仏陀)のようになっていれば、少しは見通しが明るいのでしょうが、今の状態では、とてもとても・・・。

肉体=肉体人間の肉体人間観に縛られ、唯物論のものの見方をする人がいかに多いかは、少し考えてみれば、どなたでもわかるのではないですか。

マスコミを見れば、一発でわかるし、未だにこれを純朴に信じておられる方もいらっしゃるようですから。

こう言っては悪いけど、その代表のテレビなんか、見ないでも聞こえてくる内容だけでも、人々の想いを乱し、かなりの業想念を掻き立てる(=人々の想いを乱す)内容ばかり。

少しは疑問を呈する人がいても、どうしても批判を始めとして、業想念が生じてしまうのは、防ぎようがない。

肝心の宗教でも、不調和を旨とするものが、はなはだ多い。

自分の規格に合わないもの、敵対するものは、すべて認めないような独善的・排他的な宗教のいかに多いことか。

そもそも、人間は完全円満、神の子の教えをおろしたであろう、谷口雅春さん(五井先生の出身の教団の生長の家の教祖)からしても、かなり排撃的なことを言っていたようだ。

人間が肉体人間そのものではなく、神体から、霊体、幽体、肉体とまとっているものであり、本体はあくまでも、神体にある。

このようにとらえるならば、どんな人でも、神様の分霊(わけみたま)を宿した兄弟姉妹であり、それぞれ尊重し合わなければならないはずです。

私達各人が、それぞれに勝手に生きていられる、生命活動を維持できているのではなくて、神様によって他動的に生かされている、そうして肉体人間として生きている存在ならば、神様はそれぞれに何らかの存在意義を持たせている、それなりの天命を託している、と考えられるからです。

ならば、本来なら、差別したり、排撃したり、選別することなどは、あり得ないはずです。

どんなに、過去世の因縁によって、その現界(この世)へのあらわれ方が、異なっているものであったとしても。

つまり、これらの不調和を招く教えや考えは、人間の本体、本質を均一に見ていないとしか、思えないのですよ。

確かに、現界(この世)では、霊界の下層から幽界で、溜まりに溜まっている業想念で汚されてしまっている人間が現れているために、善人から悪人まで、様々な人に分かれているので、とても尊重し合うまでには至らないのも無理はないことなのかもしれませんけど。

きわめておおざっぱに言ってしまえば、悪を認める認識、善悪二元論を説く、あるいは、他者を責め裁いて排撃するような発想は、神体と肉体をごっちゃにしてとらえ、しかも唯物論よろしく、進化論よろしく、選別や差別や淘汰を当たり前のようにしているとしか思えないんですよ。

肝心の宗教でさえもがこれです。

なんかもう、祈りの道ははるか彼方のように思えてくる。

それでも。

私達には、どうしても、良きものを求める心がある限り、神様とは無縁の存在だとは、思えないんですよ。

だから、悪い宇宙人が労働力として使役するために人間を作った(つまり、人類の発祥はこのようなものだ、今の肉体人間の原型はこうして作られたものなのだ)だの、怪物のように変身する人間がいるだの、のような話になってしまうと、もう、神様を人間から完全に離している、ただの唯物論にしか思えないんですよ。

これでは、到底、善なる神様は絶対者ではないし、必要ではない。

ただ、混沌とした、様々な貪欲な支配欲に駆られた雑多な生物の出たとこ勝負の偶然の寄せ集め。

何でもかんでも、ただただ、強い者が勝利し、かつ支配する、悪意のある宇宙人や怪物が入り乱れた秩序のない弱肉強食の世界にしかなりません。

だから、善と悪の戦いよろしく、不調和が収まらず、続いていく。

確かに、現界(この世)は、不平等・不均衡・不調和に満ちていますから、こうした思想の誘惑に落ちて、勧善懲悪的にアッサリと見てしまえば、楽な面もあるのは否めません。

あまりに現界(この世)が厳しいと、いくら神様を信じていても、だんだんと信仰心が揺らいでいき、ついには我慢ができなくなってきてしまうからです。

いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、いつまでも、金と権力とコネのある者ばかりが栄えていたら、それ以外、特に神様を信じたい人は参ってしまう。

そこで、投げ出さないように、来世以降も見据えた守護の神霊さんたちが、さじ加減をしているのかもしれませんが、やっぱり厳しいような気がしてならないんですよ。

ふわり、ふわりとして、ぬるま湯のようではダメだ、厳しくなければ修行の意味をなさない、と言われればそれまでですが。

現界(この世)で起こる、嫌なことや不幸や災難を、すべて突き放して、神様の思し召しとしてとらえたり、阿弥陀如来様のおはからいとしてとらえたり、(私達の過去世の因縁の)消えてゆく姿としてとらえることができるのは、よほどの信仰心の篤い人、いってみれば、妙好人のような人くらいしかいない。

なので、なかなか、すべてのことに感謝できるようになるのは、難しい、というか、至難の技です。

だから、現代では妙好人のような信仰者や、これに匹敵する霊性を備えた指導者さえもほとんどいない、ましてや、お釈迦さん(仏陀)級はまずいない、としか思えないんですよ。

それでも。

やはり、善の心がある以上、結果がどうなろうと、ハッキリ言ってしまうと、たとえダメであろうと、祈りをせざるを得ない気持ちになるんですよね、個人的には。

だから、ある程度の諦めが、ある程度、肚を据えた心構えが必要なのかな、と思える今日この頃です。

もし、結果がいいほうに出てくれれば、なろうことならば、すべての人が救われれば、と願いつつ。

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①追記: 2023/11/30 08:35
②追記: 2023/11/30 08:40
③追記: 2023/11/30 12:05
④追記: 2024/03/18 22:33
 〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。

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(追記)
 2023 年 11 月時点での訂正にあたって、この記事を書いた当時( 2020 年 8 月)、代名詞で曖昧にしておいた固有名詞をはっきり出しましたが、彼女達( then さん、有馬薫さん、田村珠芳さん )が今現在、どのような発信をしているのかまったく知らない(調べてもいない)ので、記事の内容自体は、ごく些細な文章自体の加筆と訂正を除いて、当時のままにしてあります。(*)

とにかく、記事の内容それ自体の実質的な改変はしていません。

その点は、ご承知置き下さい。

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(*)昨今のネットなどの精神世界の状況に鑑みると・・・。

もしも万が一、今現在、彼女達が私達の不安と恐怖を煽るような、悪い内容を発信しているのであれば、信仰者としては、ただただ、ひたすら、これらの悪い情報は、あくまでも過去世の因縁が消えてゆく(=解消されていく)姿とみなすことにして、徹底的にかかずらわらないようにするしかない、と個人的には考えます。

各自の責任において、必要最低限の準備をする以外は、私達の不安や恐怖を著しく煽る悪い情報は、徹底的に無視して、祈り一念に努めていくしかないと個人的には考えます。