書くネタもないと思っていたら、ありました。以前、男女関係云々を調べたことで思い出しました。
ある男性用のモテ方法です。
賢者の戦略、というサイトにあった、【女が求めてくる】おな禁のメリットであるモテる効果がヤバい、という話です(内容が内容なので、あからさまに書くと抵抗を感じる人もいるかもしれないと考え、当初はぼかしましたが、検索の便を考えて、書き直しました。以下、すべてこれを禁欲法と記します。なお、この話は時系列になっていて、6 部にわかれています)。
これによると、それ以前の刹那的な自慰行為(オナニー)を止められない時に比肩して、比べようがないほど、あらゆることが好転しはじめ、オスとしての魅力と活力がみなぎり、充実した人生が送れるようになったそうです。
ホルモンのことも、いろいろ書いてあったけど、宗教の修養にも一脈通じるところがあるので、効果があるのは間違いないと思われます。
ただし。
引っ掛かるところがあるんだなあ、これが。
この人は、禁欲法による改造前(仮にこう表現させて下さい)は、女性にLINEの既読無視、デート直前のドタキャン、食事だけで絶対にそれ以上には進めないATMとゴミのように扱われていたとのこと。
ところが、禁欲法による改造後は彼女達の反応が打って変わって、なかには「セックスしたい」感じすら醸し出してくることがあったそうです。ボディタッチも当たり前、乙女の目で見つめられるようになったらしい。
しかし、何か気づくことはないだろうか。
そう。
ご都合主義で正反対に態度を変える彼にかかわってくる女性達の質の問題です。
今までも何回も何回も書いてきたことなんですけどね。
肉体人間は、神様の分霊(わけみたま)を本体とする、いわば神様の子供です。
男女の性別だろうが、善人だろうが、悪人だろうが、肉体人間であれば、その属性はまったく問いません。
相手の男性が魅力が足りないからと、LINEの既読無視、デート直前のドタキャン、食事だけで絶対にそれ以上には進めないATMと相手の男性を(彼流に表現すれば)ゴミの如く扱う、彼の周辺の女性達。
このような、他人を功利的に身勝手に利用して捨て去る、イイトコどりしか頭にない、きわめて霊性の低い女性を獲得たところで、果たしてどれほどの価値があるのか、意義があるのか、ということなんですよ。(*1)
こんな女性達(ごめんなさいね)に振り向いてもらい、セックスさせてもらい、彼女になってもらい、場合によっては配偶者になってもらうことになるかもしれない。
しかし、あなたは、そんな女性をお相手に選ぶことで、本当にそれで幸せになれますか、本当にそれでいいのですか、と聞きたいのですよ。
もちろん、仕事がバリバリできて、たくさんのお金を稼げば、世の経済を回すことにも多大に貢献できるし、偉いことだと思います。
凄いと思います。
立派なたくましい男性として、見事に一人立ちして、素晴らしいとは思うのですが。
件(くだん)の女性達を相手にすることは、お付き合いやセックスの場数を踏んで、厳しい浮き世を渡る男性としての自信をつけることにはなるでしょうね。
ただ、彼女達はあくまでも、男としての魅力を増すための練習台で、さらに羽ばたくための助走期間の要員(にすぎないん)だよ、とするなら、これはねえ。
これは以前に、何回も書いたので、詳述しません。
簡単に言うと、霊性の観点からは認めることはできない、ということです。
その問題はさておくとします。
それにしても、選ぶなら、件の女性達のような霊性の低い女性(ごめんなさいね)ではなく、誰に対しても分け隔てなく接することができて、それでいて毅然とした精神的なしっかりした芯を持った、まあ、一言でいってしまえば、霊性の高い女性を選んでほしいのですよ。
わかりやすくいえば、こうなります。
あなたが、お付き合いをしたい、または、口説きたい女性がいるとします。その女性から見た時に、あなたが、その女性の好みに、たまたま合わなかった場合や、あなたがその女性に対するあからさまな下心(があった場合にこれ)を察知した場合に、しっかりと距離を置き、丁重に断りを入れることができる、拒むことができるような女性こそ、実はお相手には望ましい、ということなんですよ。
自分に気がありそうだからと、あなたのことを金品などで使えるだけ使おう、何でもかんでも利用するだけは利用しようとする件の女性達とは、ずいぶん違うとは思いませんか?
もちろん、お相手の女性だけに霊性の高望みをすることはできませんから、あなたが霊性の開発を始めることは必須になりますがね。
仮に、あなたが霊性の開発を始めるとして、お相手の女性が件のような女性だった場合には、過去世からの彼女のすべての因縁を引き受け、なおかつ、彼女の霊性を高めていくようにしなければなりませんが、これはとてつもない大難事業で、いかなあなたといえどもとても無理だと思いますのでね。
因縁の壁がある以上、人様を変えるのは(因縁の解消と合致する僥倖(ぎょうこう)がない限り)唯物論では不可能で、世界平和の祈り一念の生活によっても、守護の神霊さんの裁量範囲で修正できるものでないと、できないことだからです。
なので、はじめから、ある程度、霊性の高さを備えた女性を選ぶのが、妥当であり、理想です。
これは、これまでは書かないでいましたが、お付き合いやセックスで、女性とそれなりに交流をした場合、相手の状況、いってしまえば、お相手の女性に何かあまり好ましくない霊的なものが憑依していた場合には、あなたもその影響を受ける可能性が出てくるという問題も起こり得ます。
あなたに吸い寄せられてくる女性達が、仮に、欲に目が眩みやすい女性である場合、中でも特に、あなたの財力、生命力だけに目をつけ、寄ってくるような女性だった場合(*2)には、なおのこと、この可能性は上がります。
多少は、霊性に関係したこともありましたが、私が見た限り、基本は唯物論で、霊性の開発はほとんど(というかまったく)視野に入っていない、と思われます。
なので。
世界平和の祈り一念の生活による、霊性の開発も視野に入れて下さることを、切望したいと思います。
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(*1)彼女達は、動物的な本能に基づく利害得失計算しか考えませんね。
自らの得にならなければ、はなも引っかけない。禁欲法の改造前の彼をバカにして、その金を使わせ労力をかけさせて、何の恩義も感じないどころか、礼節のかけらもない。
当然のように、感謝のかの字もありません。
誘いの申し出が嫌なら、距離を置き、丁重に礼節を尽くし、断りを入れるべきです。女性は、一般的には、軋轢か生じるのを嫌い、角が立つことを極力避けたがるので、断りにくいのもわかりますが、真心を込めて礼節を尽くせば、男性も理解できるはずです(体目的だけの男性は論外です)。
神様の分霊を本体とするならば、それなりに神様のみ心をあらわす行いが、それなりに見られなければならないはずだからです。
いくら、動物的な本能を付与されたからといっても、自分本位の唯物的な利害得失ばかりを計算して動かないのでは・・・。
まあ、件の彼女達の行動も彼の過去世の負の因縁の解消として(彼にとっては過去世の悪い想念と行為のあがないで、彼女達にとっては過去世で彼によって被った被害のお返し)起きてきたものかもしれない。
ただ、彼女達の行動を見る限り、霊性のれの字も知らず、このままでは、今生だけでも、たくさんの真善美に悖る(反する)想念と行為である業想念を積んでしまうことになるでしょうね。
だから、彼女達に縁があり、それなりの影響力を持つ彼に霊性の開発をしてほしいんですよ。
今の彼女達は、霊性の開発といっても、はあ?何それ?という状態の可能性がかなり高いですから。(*1ー1)
というのも、彼は、その禁欲法を始めた動機付けの主目的はともかく、その後は生命を生かし、今生を精一杯生ききってきた面があるので、霊性の開発につながる可能性が十分にある、守護霊さんがお導きになる可能性が高いと考えられるからです。
彼が女性全般をどう捉えているのかは、わかりません(おおよその見当はつきますが)。ただ、私としては、女性のすべてがご都合主義の件の彼女達のようなものだ、とは思っていません。
意志の力で付与された動物的な本能を制御できる女性もいるでしょうし、元々、霊性が高く、好ましくない誘いも断ることができ、カネや権力に振り回されない矜持を持った女性もいると考えています。
所詮、女なんて、みんなあんなものだ、とは思っていません。
なぜならば、私達は、肉体人間は、神様の分霊を本体とする神様の子供なのですから。
霊性の高い人間であることこそが、本来の姿なのですから。
地球さん開発のために、肉体身としてあらわれ、動物的な本能を付与されても、動物そのものじゃないんです。
ただの動物ではないのですよ。
逆にいえば、動物と同じようにしか生きることができないのであれば、わざわざ人間に生まれつく必要はないのと違いますか?
人間には知恵が働きますからね。動物よりも創意工夫を凝らして、贅沢三昧、享楽三昧な生活が送ることができます。
しかし、そんなことのために、それだけのために、神様は私達を人間として、この世に遣わせるものでしょうか?
遺伝子や動物行動学、モテ談義で、盛んに動物的な本能こそ、人間の本質なのだ、これこそ人間なのだ、たから動物的にこそ生きよ、とばかりに焚き付けるようなものを読んでいる(ユーチューブにある認知神経科学者中野さんのお話も同じ)と、何とも言えない気持ちにさせられるのですよ。
まあ、私としては、魂の学習を経験した(している)者として、できるだけわかりやすく、無効なのは百も承知の上で、説得を試みてはきましたが、こうした人達には、通じないんでしょうね。
やはり、御自ら魂の学習を体験して頂かないと。
どんなものかは、経験すれば、嫌というほどわかります。
否応なしに、向き合わざるを得ないものとして、あらわれてきますから。
私なんかは、人間ができていませんからね。
神様を恨んだことさえあったんです。
まあ、私のしてきたことは、せいぜい、おぼろげな転ばぬ先の杖だったのかもしれません。
それでも、できれば経験してほしくない、経験させたくないお節介で、書いてきた訳でもあります。
そして、先回りして、霊性の開発の道に入って頂ければ御の字、と。
なので、最低限、心の片隅に残してもらいたくて、世界平和の祈りを折に触れて、紹介してきたのですがね。
言い方を変えると。
みんな、人間とは何ぞやがわからない訳です。
これは一生かかっても、なかなかわからない課題。
だから、学問の方面なら、生物工学や遺伝子学の方面から遺伝子を探ることで、動物行動学なら動物の行動を探ることで、モテる方法なら異性の獲得方法を探ることで、とそれぞれのやり方で、生物としての人間に迫っているんですね。
そこで、遺伝子や動物や人間の、主にエゴ的な面に着目して、スーッとこれが本質だ、と持っていこうとしている訳です。
わかりやすい実利も伴うこともあるから。(*1ー2)
私は。
特に人間に関しては。
ちょっと待ちなよ、それだけじゃないだろう、そうじゃないよ、と何回も言ってきてるんですよ。
人間を動物とまったく同一視して、霊性を欠落させて、あらゆる行動に免罪符を与えれば、どのようなことになるかも、火を見るよりも明らかなんでね。
なお、世界平和の祈りをすると、結果としてご先祖様からの霊道を浄める効果もあるようなので、唯物論者、無神論者の方にも、是非とも覚えておいてもらいたいのです。
今の一般の人の霊性を推し測ると、是非とも視野に入れておいて頂きたいのですよ。
戻りますと。
私達は、なぜ、知恵がわき出て、言葉を駆使することができるのか。
ただの動物なら、万物の霊長としての地位は与えられないはずです。
それなりに生きることを目指すより他ないじゃありませんか。
つまり、神様は、私達人類に、ただ動物としての種の保存だけを期待されている訳ではない、ということです。
ただ、動物のように生存競争に勝ち残りさえすればいいのではない、ということです。
それ以上のものが求められている、ということです。
といった訳で。
件の彼女達は、真善美に悖る想念と行為たる業想念が、その神体を厚く厚く取り巻いている人達なんだな、と思います。
なお、自分には、絶対にできないことですが。
願わくば、こうした彼女達なら願い下げにするくらいの気位の高い男性が存在して、そうした男性にこそ霊性の高い女性が組み合わされる、いわば、天の配剤があってほしいとは思いますね。
~~~~~
(*1ー1)もっと小うるさいことをいうと。
彼女達の霊性からすると、普段使っている言葉にも、気になるところがあるんです。
もし、乱暴な言葉やがさつな言葉を、例えば女子会で、バカ、アホ、ブサメン等々、常用していたりすると、あなたの言葉もあわせて、家庭内で用いる言葉が、家族や子供にまで多大な影響を及ぼす可能性も出てきます。
霊性のことを研究し始めると気がつかれるかとは思いますが、言葉にはかなり注意を払う必要があるんです。
健康でさえあればいい、カネさえあればいい、贅沢さえできればいい、では、いずれすまないことになる可能性を孕(はら)んでくるんです。
大丈夫かなあ、と。
件の彼女達の動物的な反応とその行動から推定できる言葉遣い。
どうですかねえ。
ちなみに、ある女性作家さんが飼っていた猫の話なんですが。
メスは気に入ったオスでないと、絶対に交尾をさせなかったそうです。
それはもうそのオスが不憫(ふびん)であるほどに。
対して、気に入ったオスには、ニャーニャーと自分からすり寄って、交尾をおねだりしたそうな。
すべての猫がそうではないかもしれないし、すべての動物がそうではないかもしれない。
しかし・・・。
(*1ー2)もっと、意地悪というか、悪意に満ちたとらえ方をすると。
私は、彼らが人間とは何ぞや、と探って行くうちに、次第に利己主義や功利主義に染まっていくほうが、世渡りも含めて、何かと都合がいいことに気づいたから、こうなってるんじゃないかな、と邪推してるんですよ。
内なる、良心の声、真理探求の声を掻き消して、こっちの方がいいや、得することが多いから、と。
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(*2)女性ならではの安定した巣の確保の意味合いもありますが、欲に目が眩みやすい性質だとも言えます。
あなたは、今は安定して心身ともに充実した男の旬の時期を謳歌しているものと思います(霊性は別としても)。
しかし、人生はいかに今が充実していても、順風満帆が恒久的に続くとは限りません。件の彼女達のことです。あなたに、何かつまずく、何かしらの人生の難題が降りかかってきた場合に、カネの切れ目が縁の切れ目と、離れていってしまうこともあるかもしれません。
残念なことではありますが、私達のほとんどは、未来を予期することができませんし、人間万事塞翁が馬という故事もあります。
いかに、環境適応能力が高く、生き残り(サバイバル)能力が優れていても、どうにもならない不可抗力による、不幸災難というものも人生にはあり得ます。
あまり書いてもキリがないので、この辺で。
唯物論の思考に立脚している限り、残念ながら安心立命を得るのは難しいのがこの世です。
あなたご自身が、順風満帆でも、社会情勢が変わることもあり得ます。
安心立命も視野に入れて、霊性の開発をご検討頂ければ幸いです。
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追記: 2024/04/07 14:12
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。