おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

116_方法3

前々回 ( 114_方法 - おぶなより ) と前回 ( 115_方法2 - おぶなより ) の内容を書いた理由です。

簡単に言うと、もっとまわりを見て下さい、ということなんです。

こんなに、ジワジワジワジワ、押し詰まってきている時代状況なのに、今さら、カサノバ光源氏をやってほしくはないんですよ。

そりゃあ、気持ちはわかりますよ。

私だって、彼らのようなストイック(禁欲的)な実行力や能力さえあれば、そうしたい気持ちがあることは、否定できないからです。

私だって男の端くれですからね。モテたい気持ちには抗(あらが)えません。

もちろん、彼らのように、たくましい男性として生きていくのは、大変結構なことで、素晴らしいと思います。

思うのですが、霊性のことをまったく考えないのは、勘弁してほしい、とも思ってしまうんですよ。

ほんのわずか、霊性の開発にかするような内容もあったのですが、やはり、世渡りの知恵的な扱いに見えましたので。

霊性の開発は、唯物論の対症療法的な知恵とは、根本的に異なりますから。

モテ法(禁欲法のこと)がダメだと言っているんじゃないんです。

モテるのなら、しかるべくお相手を厳選して頂きたいのです。

よりどりみどりではなく、あくまでも、それなりに選んで下さい。

いくら選り好みは良くない、といっても、件(くだん)の彼女達はあまりにも即物的で打算的にすぎます。

だからといって、容姿云々で弾くように、などというつもりは毛頭ありません。

霊性をよりどころとして、唯物論のごく一般的な言葉でいうなら、人柄を手がかりとして選別要因にしてほしいのですよ。

そして、オス(男性)の場合、ただ、付与された動物的な本能だけに従って、タネをばらまきたいとか、子孫をたくさん残したいとか、従って、相手をできるだけむさぼりたい、というのは、もう、いい加減に卒業してもらいたいのですよ。

来る者拒まず、と、こうした付与された本能にばかりとらわれていたら、真善美に悖る想念と行為である、業想念ばかりを積んでしまうからです。

しかし、この霊性の高い女性を選び取ることを、自力で、自制心だけで成し遂げるのは、かなり難しいと予想できます。

霊性の高いとはいえない即物的・打算的な女性が、多数、引き寄せられてくるでしょうし、こうした機会を徹底的に潰してしまうのも、簡単ではないでしょうから。

即物的・打算的な女性の誘惑を、すべて完全に断ち切ってしまうのは。

しかも、こうした即物的・打算的な女性がたくさん寄ってきたり、あなたと付き合っているのを見たりすれば、仮に、霊性の高い女性があなたを気になっていたとしても、近づきにくくなってしまいます。

なので、世界平和の祈り一念の生活に近づくことで、少しずつ無駄な接触を減らしていくことで、軌道修正をしながらやっていくしかないと思うんですよ(女性については勝手ながら省略します。男性と同様にして応用してお考えになって下さい)。

私は、社会を構成する個人、個人の因縁因果の総和が、結果として時代の流れにつながると考えます。

なので、個人主義は、特に時代状況を無視した個人主義、中でも、霊性を度外視した個人主義は考え直してほしい、と言っているんですよ。

せめて、祈りを生活のごく一部、 1 日 1 回だけでもいいから、とりあえずは、定着させてほしいんですよ。

だいぶ前には、男性への影響力も考えて、女性の人達に霊性を上げてほしいと書いたのですが、彼の話や元サイト(彼の賢者の選択というサイトには、そもそもは、HACK THE SYSTEM というサイトからたぐってたどり着いた)に出てくる女性像を読んでいると・・・。

うーん。かなり厳しそうです。

残念ながら。

女性もかなり厳しいし、男性も、これまた同様に厳しい・・・どうにもなりませんね。

前から自分が感じていた、ごくごく一般的な男女の霊性の水準と大差ない、というか、ハッキリ言って、むしろ、より悪いです。

仕事と共にモテ法も主眼と据えた彼らの視点だということを割り引いても、まだ、周辺の人達の霊性の水準は低いと言わざるを得ない。

生命を生かす一生懸命な生き方をしていても、霊性の視点が完全に抜けてしまっている。

スピリチュアルだの何だのという類いの話は聞いたことがあっても、浄土門妙好人の話や世界平和の祈りは、まったく知らないか、知っていても、深くは理解していない、ととらえざるを得ないのですよ。

こうした状況を見ると、やはり、五井先生(昭和の宗教家、五井昌久さんのこと)が逝去されてから、世界平和の祈りは衰退してしまったのではないか、と感じざるを得ないのですよ。

私が五井先生のことを知ったのは、もう五井先生の逝去のだいぶ後になってからでしたが、当時は、まだわずかではありますが、世界平和の祈りの貼り札(ステッカー)をポツン、ポツンとたまにですが、見かけることがあった。

これがさらに減ってきていた(私の近辺ではまったく見なくなってしまった)のと、おそらく、連鎖していたんでしょうね。

残念なことですがね。

ただ、他に因縁因果の改善法がないので、これしかないんですよ。

ましてや、争いの業想念を増すことにしかならない唯物論では、結果として因縁因果を悪化させることにしかならないので改善できないんですよ。

だから、何度も書いてきたように、心の片隅にでも引っかけて世界平和の祈りを覚えて頂きたいことと、なろうことなら、 1 日 1 回でもいいですから祈りをして頂きたいのですよ。

もう、時代状況的に、理由も説明もめんどくさいことをぐだぐだ言っている余裕もないので、とにかく、形だけからだけでも入って頂くことで、韓非のいう蟻の穴を開けてもらうより仕方ないから。(*)

ってことで、ちょっと説教的な内容を連ねてしまいました。

すみません。

ご一考頂ければ、幸いです。

皆様のご健康を願っております。

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(*)ちょっと、遅きに失したかもしれませんが、韓非(かんぴ)について書いておきます。

韓非は、中国戦国時代末期の思想家。韓非子は尊称。権力主義的な法治主義を唱える法家の思想を大成した。
韓非子 20 巻は、その論述・思想をまとめたもの。

なお、大成とは、完全に成し遂げること、多くのものを集め、一つにまとめること、また、まとめたもの、をいう。

または、集大成。

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未来の見通しが、アレだからこそ、刹那的に生きるんだ、どうせ先がアレなんだから・・・という人も中にはおられるかもしれません。

もちろん、各人には自由意志がありますから、選択はできますね。

以下は、霊性をまったく認めない人には、ちんぷんかんぷんかもしれませんが。

霊性を認め、私達の魂が生き遠しの永遠なものだとすれば、今生で出来る限りの神性にかなった行いをしておけば、今生はあまり意にそぐわないものであったとしても、その後はいいところにいけるそうです。

少なくとも、今生で、モノ、カネ、異性と振り回されてばかりで、執着が取れないまま今生を終えたとすれば、いろいろと難しい問題が起きてくるようですよ。

私としては、もちろん、皆様がすべて祈りの生活に入って頂きたいのですが、これは難しいでしょうね。

ただ、既述のように、世界平和の祈りは、ご先祖様のご供養にも、効果があるようなので、やはり、最低でも、 1 日 1 回はやって頂きたいんですね。

どのようなご先祖様から、命を引き継いでこられたかは、人それぞれでしょうが、やはり、今あることの恩があることは間違いないですから。

命の流れの恩返しは、必須ですもんね。

ってことで、よろしくお願い致します。

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追記: 2024/04/07 15:24
〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。