言葉についてです。
最近の内容を多少補足します。
言葉遣い(ことばづかい)について、注意した方がいいですよ、という内容を少し書きましたが、あれだけでは不十分なんです。
もちろん、しないより、した方がいいには決まっています。
間違いなく。
言葉は、すなわち、神なりき、というのが、特に負の要素を持った言葉が、原則として、すぐには実現せずに、現世で言った言葉の場合、来世以降になってあらわれてくる(=人様に対して言ったものであれば、そっくりそのまま自分に返ってくる)から、一般的にはわからないんです。
なので、
バカ、
アホ、
クズ、
ブサメン、
ブス、
ヤリチン、
ヤリマン、
ビッチ、
ジジイ、
ババア(もちろんBBAも同じ)、
などなど、みんな平気で使ってしまっている訳です。
ごく、当たり前の言葉として。(*1)
でも、こうした言葉を、例えば私のように来世以降を考え、怖(こわ)がって、あるいは、恐れて、その使用を控えるような、消極的な心構えや、やり方では、まだまだ、足りないんです。
その言葉の元となる想い、これを無くさないことには、根本からの解決にはならないんです。
それを、浄(きよ)め去るためにこそ、是非とも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして頂きたいんですよ。
こうして、真善美に悖る(=反する)想念を浄め去ることによって、完全に、輪廻転生上の負の連鎖を断ち切ることができるようになるからです。
もちろん、既に言ってしまった言葉でも、この世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をすることによって、その守護の神霊さんの裁量の範囲内で、少しでも浄めて救済して頂く(=これからこの世(または、来世以降)で発現してくるはずの悪い因果を消して頂く)ことに、越したことはない訳です。
そうやって、祈りと感謝行で、普段から霊性の開発をしておけば、そうした負の言葉の元となる想念も、生じにくくなってくるので、望ましいことになるんです。
中には、お言葉教なんてバカにしている人もいるようですが、とんでもないことですよ。
言葉はないがしろにはできないし、してはいけないからです。
隔世を経る、つまり、輪廻転生を通すことが圧倒的に多く、隔絶した時間差があるために、肉体=人間であるとの、肉体人間観が一般的である私達にはわからないだけであって、ちゃんと作用があるのですから。
やはり、私達が神様の分霊(わけみたま)を頂く、本体とする肉体人間だ、ということが、こうした面にあらわれている訳です。
その本質が、その本体が、神様の子供である、神様である、ということが。
それゆえに、発する言葉には、きちんと命が宿り、それなりの力を持って、影響を及ぼすものである、ということです。
真善美に悖り、悪い想念と行為ならば、悪いなりに影響力があり、しかも、それらは、神様の世界であるところの、神界、霊界、幽界、現界では、存在してはならない、消し去らなければならないものであるために、その霊魂魄を傷つけた修復過程としてのあがないを伴うという、厳しい、それはもう、厳しい条件付きで。
私が、輪廻転生を通して悪い因果をもたらす言葉や表現、なかでも特に、最悪な部類に属するであろう、ゴブチ(傲慢、侮蔑、嘲笑(冷笑含む) )について、幾度となく小言を並べるように、うるさく言ってきたのも、こうした理由があるからです。
以下は、まあ、わりとハッキリめに書いてしまいますが。
上記のような、バカをはじめとする、人様を貶(けな)す言葉や表現が、過去世の因縁の発現としてのものではない限り、つまり、現世(今生)で新しく作る悪い因縁である限り、原則として来世以降ではあるものの、そっくりそのまま逆の形となって、味わわされる羽目になるとすれば、一体、どのようなことになるのかを、考えてもみて下さい。
しかも、来世以降の時点では、過去世となる、現世でのこの人様を貶(けな)した行為の記憶は、消されているのです。
なので、来世以降に何かしらのあがないとしての因果が生じたとしても、その原因であるところの因縁は、わからないんです。
つまり、何かしらの因果が起きても、身に覚えがないものとして、いわれのないはずのものとして、起きてくるのですよ。
あたかも、無実の罪に問われるかのように。
なぜならば、来世以降の中には、発現した因果の原因となる因縁がないのですから。
従って。
現世で人様をバカと言えば、来世以降に人様からバカと呼ばれるような人間になる羽目になる・・・。
羽目になるのですよ。
これが一体、いかなる意味を持つのか。(*2)
神様の分霊を本体とする者として、人様、つまり、他の神様の分霊を本体とする者を、バカと呼ぶ想いや行為が、本来あってはならないものである、とわからせるための、学習過程が生じてくることになるんですよ。
そのバカとして、現界にあらわれている状態は、あくまでも、過去世の因縁の現界で時を経て消えてゆく姿であり、本当にある実体は、神様だけしかない、ということが真実であるために。
まあ、以上の内容は、霊性や輪廻転生を信じることができるか否かにかかってきますが、これらを肯定した場合、どれほどの意味が生じてくるのかを、一考してみる価値はあると思いますよ。
とは言うものの。
あまりにもひどい人(例えば、人を究極的に搾取して、あたかも隷属扱いして使役することを、礼賛する類いの、いわば、悪魔的存在の遣いのような人)を見ると、ついつい、バカと言いたくなるのも無理もないことなのかもしれません。
結局、私達は無意識に、美しき良き神様の世界を求めている(いわば、元還り、本体還りですね)から、あまりにもひどい人を見ると、その反動が起きてしまい、こんなのはおかしいと、我慢できずに否定したくなってしまうのだと思います。
まだまだ、霊性の開発されていない状態(おそらく、かなりの、いわゆる、いい人や人格者でもそうだと思う)では、他の人様も同じ神様の分霊を頂く、兄弟姉妹との自他一体感を抱くまでには、なかなかに至らないからです。
あまりにも、神様のみ心にそぐわない、適(かな)わない行為を、言ったり、したりする人に、もう、その存在を否定してしまいたい、バカだの、アホだの、つい言いたくなってしまうんですよね。
お気持ちは、ごもっともなのでしょうが。
しかし、ここは一つ、涙を飲んで、何とか祈りに切り替えて頂く訳にはいかないものでしょうか?
~~~~~
(*1)バカ、アホ、クズ、ブサメン、ブス、ヤリチン、ヤリマン、ビッチ、ジジイ、ババア(もちろんBBAも同じ)、などなどを、書き言葉にしろ、話し言葉にしろ、使うことに抵抗がある人も、もちろん、たくさんおられることと思います。
こういった言葉を使うことに、無意識で抵抗や嫌悪感が生じてしまう方達ですね。
これは、唯物論者であるか否か(例えば唯心論者であるなど)を問わず、その人ご自身の霊性が高いために、使うことができない(あるいは、躊躇(ちゅうちょ)する)ために起きる現象である、と考えられます。
ただ・・・。
個人的な感覚で言わせてもらうと、今やもう、ネットなどを見ている限り、これらの言葉は、当たり前のものとして使われている場合の方が、圧倒的に多いのではないか、と思えてしまいますけどね。
(*2)当初は言外にほのめかす程度にしておくつもりでしたが、ここまで書いてしまいました。
まことに勝手ながら、これ以上は言及したくないので、あとは省略させて頂きます。
ご了承願います。
ただ、ここに書いた説明は、かなり抽象的なものになってしまったので、以前書いたように、もっと具体的で卑近な例を挙げると。
・現世で身勝手に人様を殴ったら
→来世以降で、輪廻転生を経て巡り会った、殴ったその人に訳もなく殴られる
・現世で身勝手に浮気をしたら
→来世以降で、輪廻転生を経て巡り会った浮気をした時点でのそれまでの恋人または配偶者に、身勝手に浮気をされる
・現世で身勝手に二股をかけてセックスをしたら(以前、KI さんの例で取り上げたもの)
→来世以降で、輪廻転生を経て巡り会った二股をかけた時点でのそれまでの恋人に、身勝手に二股をかけられる
などなど、が簡単な例として挙げることができます。
これら以外のものは、同様にして、応用して考えれば、おわかりになると思います。
こうした内容からわかるのは、肉体人間として、行ってしまったこれらの行為、すなわち、真善美に悖らない(=反しない)神様の分霊(わけみたま)を頂き、本体とする、神様の子供の想念と行為としてふさわしくないものは、輪廻転生を通して、すべて、その清算を余儀なくされる、ということです。
だから、為(な)してしまったふさわしくない想念と行為は、そっくりそのまま、反対の形となって味わうことで、あがなう、ということです。
こうした輪廻転生を通した、真善美に悖る業想念に基づく行為の清算の過程を、五井先生(昭和の宗教家、五井昌久さんのこと)は、過去世の因縁の(現世で時を経て)消えてゆく姿、と言われていた訳ですね。
羽目になる、の意味合いについては、やはり、具体的にわかりやすく書きたくないので、控えさせて頂きます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2024/04/07 15:58
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。