ちょっとネットで見た話なんですが。
ある人が書いていた身長とモテその他の話がありました。
著書も出されている方なので、それなりの有名なお人なんだと思います。
まあ、後に少し本屋さんでその U さんという人の本を立ち読みした限りでは、それなりに博識で、冷静沈着を装う、かなりの理屈屋さんだな、とは感じましたが。
さて。
コメント欄には、かなり荒れたものが多々書き込まれていました。
身長が高め、あるいは高い人間には、それには当てはまらない人の気持ちは、おそらく簡単にはわかりません。
ほとんどわからないかもしれない。
私達は、この肉体身こそが人間であり、人生は今生だけであり(つまり、輪廻転生を通した神様の分霊としての永遠の命だとは思わない)、様々な境遇も、過去世(前世、前々世、前々々世、・・・)の影響で形成されているとは、まったく考えないのが、一般的であると考えられるからです。
しかも、神様の霊光として、わかれわかれとなった神様の分霊としての人間としての意識は、ほとんどの人々はない。
これがある人は、もうすでに輪廻転生を上がり、卒業してしまっているだろうし、もし、いるとすれば、人々を導く特別なお役目を授かった人くらいしか考えられないからです。
なので、肉体身として、おのおのに、いわば、隔絶された形となってしまっている私達は、自他一体感を得るのが、きわめて難しい。
というか、ほとんどできないと思います。
似たような境遇や、経験を経ることで、少しでも理解につとめていくしかない場合が、多いのかもしれない。
人様を思いはかること、ことに、相手が何かしらの面で、自分よりも不利な点がある、あるいは、劣っている面がある場合に、その立場に立って、気持ちを推しはかり、できることがあるならば、それこそ、できる限りの配慮や心遣いをして差し上げること、これは、難しい。
不可抗力による重い病気などの場合でも、おそらく、これは当てはまると思います。
仮に、背が高めだった、また、その他がマシだからといって、決してモテに直結する訳ではないし、何かしらの才能がある訳でもないですからね、この世の中は。
介護のことを考えたら、大柄な方は大変だと思いますよ。
小柄な方でさえ、コツをつかまないと、体は力が入って硬直しがちだし、重いし、車椅子の介助もかなり大変な作業だからですよ。
もしも、これが、大柄な人になったら・・・、と考えると。
なので、皆さん、その体型やお顔がそれぞれに個性化されているように、それこそ、千差万別、億差兆別?です。
外見が完全に相似に近いような双子の方達でさえ、性格が明らかに異なっています。
つまり、それぞれの固有のあまたの過去世の因縁によって、様々な形となってあらわれている、肉体身として、今、この時代にこうしてあらわれている、と考えられる訳です。
あらわれている形は、この世に、現界(時系列では現世)に、過去世の結果を主として、あらわれては消え、あらわれては消え、と輪廻転生を繰り返しながら。
で、そのあらわれている形を取り上げ、理論武装して理屈をたたかわせても、真善美に悖る(=反する)想念、いわゆる、業想念を巻き起こして、あらわれの状態を抜本的に変えることはきわめて難しいのだから、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をもって、この世でのできる限りの手を尽くしたら(=自力)、あとはすべて神様にお任せ(=他力)して下さらないかなあ、と思うんですよ。
恋愛できることだって、本当はありがたいんです。
あまりにも当たり前すぎて、ありがたみがわからなくなっているだけです。
だから、それが高じてくると、何でモテないんだと文句をいうだけならまだしも、やれ、アラサーだの、果ては、ヤリチンだの、ヤリマンだの、とやりたい放題の人がでてきてしまう。
これは、私見ですが、あそこまでいってしまうと、過去世の因縁を通り越してしまっていると思いますよ。
なので。
本来なら、もっともっと、祈り人が増えてほしいんだなあ。
かの人達の業想念を浄(きよ)めるためにも。
理屈をたたかわせても、業想念しか巻き起こらないのだから。
唯物論でのたたかいの帰結はそれなりです。
愛と調和をもたらすことはありません。
安心立命も致しません。
業想念を残します。
これを浄めてなくしてほしいんです。
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追記: 2024/04/07 22:50
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。