おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

147_原仏5

四 仏教経典の現代性

中村さんは、昨今、仏典(仏教に関する書物。仏書。経典)を見直そうとする機運が高まってきたと書かれています。

この本(中村元著 原始仏典 ちくま学芸文庫)は、

原始仏典 Ⅰ 釈尊の生涯 1987年09月30日刊

原始仏典 Ⅱ 人生の指針 1987年10月30日刊

の、

東京書籍より刊行された二冊を一冊にまとめたものです。

おそらくわが国では、バブルの頃、今から33年ほど前の状況で、お書きになったものと思われます。

従って、中村さんの言うこの頃は、この当時を指したものと推定できます。

で、なぜそうなってきたかについて、中村さんは二つの側面を取り上げています。

第一は、仏教が国際的に注目されるようになったことです。

いろいろと書いておられますが、要は、物質文明の発達により、様々な面で快適性や利便性が飛躍的に向上した代償として、その元となった西欧文明では、解決できない各種の問題が起きてきたために、孔子老子、仏教、ヒンドゥー教ウパニシャッドやバカヴァッド・ギーターなどの東洋の文明をたずねて光明を見いだそうとした流れによる、とされています。(注1)

今一つは、日本に関して敗戦を機に民族主義ナショナリズム)では、この発達した文明の問題を解決できず、国際社会に伍して乗り切っていくこと(これはどういった意味なのでしょうか?わかりません)はできないとの意味合いから、普遍的な視野に立つために仏教に目を向けるようになった、とされています。

ただし、従来から(日本に)多くあったような、ご利益(ごりやく)や功徳(くどく)を重視する呪術的な色合いは薄れ、もっと自分自身の心のあり方、生き方に結びつける形で仏教を求めるようになってきたとされています。

昭和初期に吸引力を持っていたマルキシズムはすたれて、いにしえからある仏教を、いわば、新しきものとして、迎え入れられる素地ができあがってきたと書かれているように読めます。(注2)

中村さんは、西欧文明に代表されるような覇権主義では、核戦争などが起これば(環境破壊が壊滅的に起きても同じですね)運命共同体となる世界をつくることは、到底できないから、仏教に光明を見いだそうとお書きになっているように、読めます(中村さんは、運命共同体覇権主義や核戦争、環境破壊云々とは明示されてはいません。が、世界共同体や地球共同体を作らなければならないとお書きになっているのは、暗にこのことを前提にしていると考えられます)。

で、中村さんは、日本に入ったのは、大乗仏教からという、いわば、仏教の生成発展の歴史的な過程の順番からすれば、あべこべな逆の形になっているので、もっと素朴で、釈迦の人となりがしのばれるような、優れた修行者としての、一個人としての釈迦が描かれている阿含経をはじめとする、原始仏典を見直そう、とおっしゃっているように感じます。

乱暴な言い方をさせてもらえば、大乗仏教のような神格化されてブッとんだ釈迦や仏の物語よりも、もっと地道で修行者の生活に即した釈迦の姿、肉体人間として当たり前ながらも、より良き人としてのあり方を目指している一個人としての釈迦の姿を見ることに意義がある、と。

また、時代世相からしても、奔放すぎる六師が出た状況に、酷似したところがあるから、原始仏典を訪ねてみましょうよ、と。

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(注1)これはいわば、一般的見解というか、通説的な見方のように思えます。

仮定の話ですが・・・。

例えば、エネルギー資源にしても、実は、もうすでに公害のような環境破壊をせずともすむような技術が存在していても、何らかの事情で日の目を見ることができない、といった可能性がある場合には、これは政治的な問題となります。

私見ですが、こうした問題もつまるところは、因縁因果の法則、因果律によるものならば、これを改善しなければ、どうしようもない、と考えられるのです。

唯物論では、解決できないと。

絶対に。

一般的見解では、自然な成り行きとして、文明の発達との引き換えに、様々な矛盾や解決困難な問題が出てきた、となりますが、また、違った見方もできる訳です。

そうなると、一人でも多くの人に霊性を開発して頂かないと、どうしようもない、との結論に至りますね。

まあ、一つの仮定にすぎませんが。

(注2)これは、まあ、どうでもいいことなんですが・・・。

マルキシズムは、披支配階級の階級闘争による勝利で、多くの人に平等と幸福をもたらす理想社会の達成手段と解されるのかもしれません。

しかし、実際は・・・。

場合によっては、自由主義ときわめて親和性が高く、究極の絶対主義、搾取主義、独裁主義の側面があるのではないですかね。

ピーターの法則なんかを持ち出すまでもなく、そもそも、右も左も根っこは一緒と思えなくもないような。

各人の霊性がきわめて高く、仏陀級ならば、封建主義だろうが、絶対主義だろうが、資本主義だろうが、共産主義だろうが、問題は起きないはずですけどね。

しかし、肉体人間観を脱せず、自らとそのまわりの利害得失計算に明け暮れまくる霊性では、とても、とても・・・。

やはり、唯物論はダメで、霊性の高い人々による神主主義しかないと思いますけどね。

元が、本体が神様なのだから、ここに戻るしかない、と。

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追記: 2020/10/26 09:25 〜訂正内容〜本文内容を、主に後半部分を加筆・訂正しました。