おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

159_原仏9ー1

釈尊の生涯 第二章 悪魔の誘惑 ー 『サンユッタ・ニカーヤ』 (1) からです。

一 蛇の誘惑

前に ( 152_原仏8ー2 - おぶなより ) で、神々や悪魔などを、その存在を否定してしまう、あるいは架空な想像上の産物としての存在とする、もしくは単なるたとえ話での存在としてしまうのではなく、とりあえず、現界、この世では肉体を持たないけれども、何かしらの固有意志を持つ存在のように規定しました。

で、霊的な話では、霊感のある人ならば、目に見えたり、耳に聞こえたり、体に触れたりといった、各種の感触があります。

以前に取り上げた経文も、これから取り上げるものもそうですが、お釈迦様さんには神々や悪魔とのやり取りが、あたかも人として対話する形になっているところから、神々や悪魔などは、擬人化した霊的な存在であり、お釈迦さんにはこれらを認識できる霊感があったものとして、見ていくことにします。

ですので、私としては、神々や悪魔などと釈迦の認識を上記の形でとらえていくことにします。

中村さんは、前述の通り、これについては、一切、何も断り書きはしていません。

しかし、中村さんは、お釈迦さんの生涯では、悪魔の誘惑を退けて、悟りを開いたことが特に重要な事柄だと述べています。

しかも、お釈迦さんが悟りを開いた後も、悪魔に様々な形で、誘惑されたり、脅されたりを繰り返しながらも、ずっとこれを退け続けたことが、つまり、お釈迦さんのような悟った人でも、いかなる障りがあろうとも、その境涯を維持して進んで行ったことが、不安定な境遇におかれて、悟りには遠い今現在の私達からみても、意義深いし、参考になる旨をお書きになっています。

そうした姿勢が大事だし、未だ悟りを得られない私達でも、このお釈迦さんの姿勢は大いに見習うべきだ、とおっしゃりたいのだ、と思います。

なお、霊的な存在は、その姿を様々に変えることがありますが、ここでの悪魔も同様に描かれています。

悪魔が恐ろしい蛇の形に姿を変えて、脅しにかかるが失敗に終わり、退散する話が出ています。

すなわち、以下の通りです(段落分けなどの改変あり)。

わたくしはこのように聞いた。
あるとき尊師(釈尊。お釈迦さんのこと)は、王舎城の竹林園のうちの栗鼠(りす)飼育所に住しておられた。
(中略)
さて悪魔・悪しき者は、尊師に、髪の毛がよだつような恐怖を起こさせようとして、大きな蛇王のすがたを現し出して、尊師に近づいた。
(中間略)

対して、お釈迦さんは、自らの断固たる心境を、以下の詩の形で示したとされています。

そこで尊師(お釈迦さんのこと)は、・・・悪魔・悪しき者に詩を以(もっ)て語りかけた。
ー「空屋に住みつき(人の住んでいない家の中に住んで)、自らを制している(自分を修養している)かの聖者は、立派である。
彼はそこで(すべてを)捨て去って行え。
そのような人には、その生活(人のいないガラーンとした淋しい家の中での生活)はふさわしい。
さまよい歩く猛獣が多く、恐ろしいものが多く、また蚊や蛇が多いが、空屋にいる(住んでいる)偉大な聖者は、そこで一本の毛髪さえも動かさない。
風が天を裂き、大地を震わせ、一切の生きものがおののくことがあろうとも、たとい胸に向かって槍を投げつけるようなことがあっても。
生存の素因のうちにあるもののなす(自分の)救護を、諸(もろもろ)のブッダもなさない。」

つまり、断固たる決意をもって修養している人間は、槍を胸に投げつけられてもたじろがない。

このような修行者は、身を守るために逃げ隠れはしないし、輪廻転生の元をつくる素因は、そもそも消し去っているからだ、という内容です。

輪廻転生は、主として肉体人間がこの世で行ってしまった、真善美に悖る想念と行為の清算になりますから、不安や恐怖もこれに該当します。

だから、仏教でいうところの五蘊を滅却している修行者、中でもブッダは、たじろいだり、逃げ隠れはしないことが書いてあります。(*)

ブッダは、今でこそお釈迦さんを指すことが一般的ですが、元々は、悟りを得た理想的な修行者のことを指していました。

当時にも様々な宗教があり、こうした人はいたので、このようになっているとされています。

それが、諸(もろもろ)のブッダの意味するところです。

そこで悪魔・悪しき者は「尊師はわたしのことを知っておられる(見通していらっしゃる)」
「幸せな人はわたしのことを知っておられる」と考えて、その場で消え失せた。

なお、幸せな人とは、修養を積んで達する立派な境地が幸せとされるので、このように呼ばれます。

中村さんは、これらの趣意は、立派な覚悟を持っている人は、いかなる誘惑をもってしても、揺るがすことはできないことだ、とお書きになっています。

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(*)五蘊~ごうん~人間の心身、もしくは現象存在を構成する五つの要素。
色ーしき(=肉体や物質)
受(=感覚)
想(=想像)
行ーぎょう(=意志)
識(=判断)
の五つ。

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①追記: 2020/11/06 08:30
②追記: 2024/04/13 04:40
③追記: 2024/04/13 04:44
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。