ちょっとまた、お断りしておきたいことがあるので、以前書いたことも含めると重複する部分もありますが、ここに書かせて頂きます。
内容については、あくまでも、私の個人的な独断と偏見にもとづくことは、あらかじめご了承下さい。
お願い致します。
1.霊的な存在の扱いについて
今、原始仏教の経典、原始仏典を取り扱わさせて頂いていますが、この中村さんの著書に限らず、仏教では、霊的にとらないと理解しにくい、もしくは、そうしないと理解にかなり無理がある、不自然さがあるところが含まれていると思います。
原始仏教にしても、これまで少し見てきただけでも、仙人、神々、悪魔、(擬人化された存在と中村さんはお書きになっていますが)悪魔の娘と出てくる訳です(このあとは梵天という神様ですし)。
擬人化やたとえとしての、話の進め方もアリなのでしょうが、神々(如来さんや菩薩さんや諸天さんも含めます)のあまりにも経典の中に出てくる頻度が多く、仮に、たとえだとしても、その頭の中での翻訳変換作業が面倒なことまでをも踏まえれば、やはり、現界、この世での肉体を持たない、何らかの意志のある霊的な存在としたほうが、理解もスムーズですし、自然です。
原始仏教の時代の、初期のお経やお釈迦さんの教え、弟子の教えだけからしても、もう、こうした、神々や悪魔などが、登場してくる訳です。
しかも、中村さんは、お釈迦さんが悪魔の誘惑や脅しを、退け続けたことに、大いに意義があるとさえ言っているのです。
原始仏教の経典にも多数出てきていて、しかも、重要な意義さえある。
大乗仏教に至っては、言わずもがなでしょう。
これを、いくら現実世界にある道具立て(概念や理論や実験)で、証明できないからといって、無記として片付けてしまうのは、やはり、どう考えても、まずいとしか思えない。
高潔な人間の態度を、いくら哲学的に誉めそやして、立派だ、立派だといっても、その道具立てに、あまたの霊的な存在が比喩(たとえ)の形であれ、何であれ、多数使われているんです。
演出に一役も二役も買っているんですよ。
霊的な存在を、現代の科学で証明はできなくても(実際は人知れず量子力学などで既に証明されていて、公表されないだけなのかもしれません。その可能性は否定できないと思います)、とりあえずは、肯定しておく方がいいと思うんですけどね。
2.文中の表記について
こうして、ブログを書かせて頂いて、また、中村さんの著書を扱い、仏教の経典の引用を多数書いていて、気づいたことなんですが。
出典が異なるからなのかもしれませんが、同じ読みの言葉を漢字にしたり、ひらがなにしたり、かなり不規則で、引用だけでも、書いていて、正直、本当にイライラしました。
自分がわかりやすいと思う書き方で、全部統一して書いてしまいたいのですが、やはり、中村さんの著書をはじめとする元々の出典、特に引用箇所は尊重すべきだ、と考えて、同じ読みの言葉でも、漢字で書いたり、平仮名で書いたりと、引用そのままの状態で、書き写すことにしたので、かなりバラツキのある状態になっています。
それ以外の、内容から考えて、私の書き方で書いてしまっても支障がないと判断したものに限り、省略したり、短く書いたり、書き換えたり、としています。
まあ、私自身も、元々、漢字で書いていたものを、見やすさといった見た目や、誤解を生じさせないことと、内容のわかりやすさためと考えて、あえて平仮名にしたものが、かなりありますから、人様のことをとやかく言えないのかもしれませんが。
もし、お読み頂いている方で、何で同じ言葉を、漢字だったり、平仮名だったりと、煩わしいな、チグハグだな、とお感じになった場合、こうした事情によることをご理解下さい(これらについては、2024 年以降、なるべく統一化するようにこまめに訂正していくつもりです)。
3.ブログの更新について
細かな訂正などで、些細と思えるものは、追記にはせずに、すぐに直して更新する場合があります。
本来なら、訂正は少ない方がいいのですが、書いた見直し直後に気づくことも多く、私の不徳の致すところで、申し訳ありませんが、ご容赦下さい。
以後、もっと推敲に努めるようにしますので、ご容赦をお願い致します。
以上、とりあえず、3 点のご理解をよろしくお願い申し上げます。
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①追記: 2020/11/10 08:10
②追記: 2024/04/13 05:33
③追記: 2024/04/13 05:35
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正しました。