おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

164_原仏9ー5

これまで、Ⅰ 釈尊の生涯 を、
序章 原始仏典へのいとぐち
第一章 誕生と求道ー「スッタニパータ」 (1)
第二章 悪魔の誘惑ー「サンユッタ・ニカーヤ」 (1)
と見てきました。

中村さんの本では、この締めくくりに、サンユッタ・ニカーヤにある、様々な教えの中の一つが紹介されています。
第七篇第二章・第四節の話です。
本では、子のかたちをした悪鬼と題して、紹介されています。
以下です。

昔、ある富んだバラモンがいました。
ところが、この人がみすぼらしい格好で粗衣をまとい、お釈迦さんのところに来ました。(*1)

そして、挨拶をして、傍(かたわ)らに座ります。

お釈迦様さんは、驚いて尋ねました。

「あなたは、昔裕福で、お金持ちだったのに、どうしてそんなみすぼらしい格好で、そんな粗衣を着ているのですか」と(お釈迦さんはそもそも神通力があるのだからわざわざ訊かなくてもわかりそうだと思うのだが・・・)。

バラモンは答えました。

「お釈迦さま!私には四人の息子がいますが、彼らは妻たちと相謀(あいはか)って、私を家から追い出したのです」

お釈迦さんは、びっくりして、

「ああ、そうなのか。それなら昔から伝わっている詩の文句を、公会堂に大勢の人が集まる時に、そこに座っている息子たちに唱えてあげなさい」

と言いました。

内容は以下の通りです。

「われはかれら(子ら)の生まれるのを喜び、またかれらの成長も願ったが、
いまやかれらは妻と謀ってわれを豚のように追い出した。
よからぬしれ者!
かつてはわれを「父よ、父よ」と呼ばわったが、
実は子のかたちをした悪鬼だったのだ。
かれらは老いぼれたわたしを捨て去った。
老いぼれて役に立たぬ馬が食を与えられないように、
この子らの父なる老人は、他人の家に食を乞う。
不従順な子らをもつよりも、われには杖のほうがましだ。
猛き牛をも追い払い、また猛き犬をも追い払ってくれる。
暗闇ではわが前にあり、深い処では足場を作ってくれる。
杖の力により、倒れてもまた起き上る」(*2)

(以上、第一巻 一七六 ページ)

悪鬼は漢訳では羅刹と表現されます。(*3)

同じく、漢訳では、食を乞うを乞食という文字を当てます。

托鉢する僧侶は、威張って食を乞うけれども、この老人は異なり、食べる物にも困っていたのです。(*4)

そこで、お釈迦さんにこの詩句を与えられた彼(老いぼれたバラモン)は、大勢の人が集まっている公会堂へ行きました。(*5)

そこに息子たちもきていたので、知らん顔をしてこの詩句を唱えました。

息子たちは大変に恥じて、昔は大いに富んでいたこのバラモンを家に連れ戻して、水浴をさせ、一重(ひとかさね)の衣を着せた、となっています。(*6)

中村さんによると、インドでは総じて今日(中村さんがこの本を著した今から約 33 年前です)まで大家族主義の生活を続けていて、先進諸国のように、子供達が結婚すると親から離れて住むのは稀だとされています。

とはいえ、別居して親を捨て去る行状も、このように古来(今から約 2500 年ほど前)からあった訳で、いろいろと教えられるところが多い、と中村さんはお書きになっています。

こうした家族の問題は、古くて新しいものだということでしょうね。

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(*1)ここでも、お釈迦さんのことを、いちいち、お釈迦さま、釈尊と書きわけています(本当に煩わしい)が、以下、できる限り、お釈迦さんで統一して書きます。

・粗衣~そい~粗末な衣服。

・粗末~そまつ~①品質や作りなどが劣っていること。また、そのさま。
(用例)粗末な衣服。
②大事にすべきものなどをおろそかに扱うこと。むだに、使うこと。また、そのさま。
(用例)お金を粗末にしてはいけない。

(*2)息子は、原文では子息となっていますが、子息は、多くの場合、他人の息子をいうので、この文脈では息子が、ふさわしいと考え差し替えています。

他人の男の子供のことを子息と呼びます。あなたの、ご子息というように。しかし、自分の男の子供のことを子息とは呼ばないのが一般的だと思われます。

よって、ここでは元の、

私には四人の子息がいますが

私には四人の息子がいますが

に訂正すべきだと思われます。

このために、差し替えました。

・しれ者~痴れ者~しれもの~①ばか者。おろか者。
②一つのことに心を打ち込んで夢中になっている人。
(用例)風流の痴れ者。
ここでは、①の意。

・挨拶~あいさつ~挨はおす、拶はせまるの意。
①人に会った時や別れる時にかわす社交的な言葉や動作。
(用例)初対面の挨拶。時候の挨拶。
②儀式・就任・離任などの時、敬意・祝意・謝意などを述べること。また、その言葉。
(用例)来賓の挨拶。
③他人の言動への応対や返事。うけこたえ。
(用例)何の挨拶もない。
④(ごあいさつの形で)相手の失礼な言動を皮肉っていう語。あきれた言いよう。
(用例)これはご挨拶だね。
(参考)もと、門下の僧に禅問答をして悟りの程度を確かめることをいった。

・来賓~らいひん~式・会などに招待を受けて来た客。

・傍ら~かたわら~①そば。わき。
②(副詞的に用いて)・・・と同時に。
ここでは①の意。

・謀る~はかる~企てる。だます。あざむく。

・悪鬼~あっき~人にたたりや害をする鬼。

・乞う~こう~求める。

・暗闇~くらやみ~①暗い所。暗いこと。
②(比喩的に)人目につかない所。心が分別を失っていること。また、前途に明るい見通しのないこと。

・猛き→猛し~たけし~①力が強い。
②勢いが盛んだ。勢いが激しい。
③気が強い。勇ましい。
④すぐれてよい。えらい。
ここでは、①の意。

(*3)・羅刹~らせつ~仏教語で、大力で足が速く、人間を魅惑し、あるいは食うという悪鬼の名。のちに仏教の守護神となる。

(*4)・托鉢~たくはつ~僧が修行のため鉢(はち)を持って家々を回り、米や銭の喜捨などを受けること。

喜捨~きしゃ~仏教語で、喜んで寺社や僧に財物を寄進し、また、貧者に施すこと。

(*5)中村さんによると、当時のインドには公会堂があり、人々が集まり大事なことを決めていたとのことです。

(*6)・水浴~すいよく~水をあびること。水あび。

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①追記: 2020/11/10 05:55
②追記: 2024/04/13 06:51
③追記: 2024/04/13 06:59
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。