おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

169_原仏10ー1

これまで、 Ⅰ 釈尊の生涯 を、

序章 原始仏典へのいとぐち

第一章 誕生と求道ー「スッタニパータ」 (1)

第二章 悪魔の誘惑ー「サンユッタ・ニカーヤ」 (1)

と、見てきました。 これからは、

第三章 最後の旅ー 「大パリニッバーナ経」

に入ります。

一 旅立ちまで

まず、大パリニッバーナ、の意味です。

要は、パーリ語からすると、大いなる、偉大なるところの(お釈迦さんの)死の経典、といった意味になります。

で。

この経典は、お釈迦さんの死に直面した場面やその直近の経緯からではなく、まったく違った話から始まっています。

で、また、きわめて、おおざっぱになり、申し訳ありませんが、これは、マガダ国の国王、アジャータサットゥ(阿闍世ーあじゃせ)が、ヴァッジ族を制覇するための権威づけ、いわば、お墨付きをお釈迦さんからもらいたくて、配下の大臣をお釈迦さんの下(もと)に寄越して、お釈迦さんにお伺いを立てる場面から始まるものになっています。

以下です。

マガダ国王アジャータサットゥ・・・は、マガダの大臣であるヴァッサカーラというバラモンに告げていった。

アジャータサットゥ(阿闍世)は、敵として比べる者がいない大王という個人名ではない称号です。バラモンは、祭祀を行う司祭僧ですが、時には王室の顧問や大臣もしていました(以下、段落分けなどの改変あり)。

「さあ、バラモンよ、尊師(お釈迦さんのこと)のいますところへ行け。
そこへ行って、尊師の両足に頭をつけて礼拝せよ。
そうしてわがことばとして、釈尊が健勝であられ、障りなく、軽快で気力があり、ご機嫌がよいかどうかを問え。
そうして、このように言え、
尊いお方様。
マガダ国王アジャータサットゥはヴァッジ族を征服しようとしています」

ヴァッジ族は、当時非常に豊かで栄えていた北の方面の大都市の氏族のことです。

「彼はこのように申しました。
ー (このヴァッジ族はこのように繁栄し、このように勢力があるけれども、わたしは、かれらを征服しよう。
ヴァッジ族を根絶しよう。
ヴァッジ族を滅ぼそう。
ヴァッジ族を無理にでも破滅に陥れよう)」

「そうして尊師が断定されたとおりに、それをよくおぼえて、わたしに告げよ。
けだし完全な人(如来)(←お釈迦さんのこと)は虚言を語られないからである」

(以上、一・二)

で、これまた、おおざっぱですみませんが、概要はこうです。

お釈迦さんは直接には問いには答えません。

ヴァッジ族を制服してよいのか否かに関しては、直接の返答を避けます。

その代わりに、ヴァッジ族の美点をいくつも取り上げて、こうした国こそ、繁栄するにふさわしい、素晴らしい国だ、と説き聞かせる訳です。

これは、現代風に考えると、真善美に悖る(=反する)業想念を避ける形で説得した、と捉えることができます。

お釈迦さんは、こう考えたかどうかわかりませんが、仮に推察すると。

どんなに議論を闘わせようと、仮に、論駁したところで、何も良いことはない。
理屈の上で、いかなる正当さがあろうとも、敵対する者があれば、必ず自己の利害得失にもとづく正当化をはかるし、やられたら捲土重来を期して復讐することさえも、あり得るのがこの世だからだ。(*1)

しかも、闘いの業想念を抱けば、必ず争いの元になる。(*2)

理屈での正当さの判定も、お墨付きも、争いを巻き起こす以上、有害でしかない。戦争を起こし、後に世を平定して落ち着きを取り戻したかのように見えたとしても、それまでにどれほどの戦禍での犠牲と悲劇が巻き起こされるかは言わずもがな、だ。

だから、他人(他国)へのお墨付きは、しない、その願い(=お墨付きを与えること)は受けない、と。

その代わりに、この際だから、マガダ国の国としてのあり方や、そもそも、国とはこうあるべきだ、集団とはこうあるべきだ、人としてはこうあるべきだ、とのあり方を指し示した、ということではないですかね?

で、こうした経緯は以下のようになります。

まず、大臣のヴァッサカーラが、マガダ国王の遣いにふさわしく、心身と装飾を整え、マガダ国の首都の王舎城から出立します。

目指したのは、鷲の峰という山です。漢訳仏典で霊鷲山(りょうじゅせん)です。

乗物に乗って行き得る地点までは乗物で行き、そこで乗物から下りて、徒歩で尊き師(←お釈迦さんのこと)の在(いま)すところに近づいた。

この鷲の峰付近の地形は現代までそのままのようです。

近づいてから尊師(お釈迦さん)に挨拶のことば、喜びのことばを取り交わして、傍らに坐した。

(一・三)

そして、直接マガダ国王の問いに答えずに、傍らの弟子、アーナンダ(漢訳仏典では阿難尊者)に、語りかける形で話します。

それを、一緒にいたマガダ国王の遣いの大臣、ヴァッサカーラも、ともに聞く訳です。

アーナンダよ。
ヴァッジ人が、しばしば会議を開き、会議には多くの人々が参集する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。(*3)

アーナンダよ。
ヴァッジ人が、協同して集合し、協同して行動し、協同してヴァッジ族として為すべきことを為す間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

アーナンダよ。
ヴァッジ人が、未来の世にも、未だ定められていないことを定めず、すでに定められたことを破らず、往昔に定められたヴァッジ人の旧来の法に従って行動する間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。(*4)

アーナンダよ。
ヴァッジ人が、ヴァッジ族のうちの古老を敬い、尊び、崇め、もてなし、そうして彼らの言を聴くべきものと思っている間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

アーナンダよ。
ヴァッジ人が、良家の婦女・童女を暴力で連れ出し拘(とら)え留めることを為さない間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

アーナンダよ。
ヴァッジ人が都市の内外のヴァッジ人のヴァッジ霊域を敬い、尊び、崇め、支持し、そうして以前に与えられ、以前に為されたる、法に適(かな)った彼らの供物を廃することがない間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

これは、当時のインドでは、大樹の下に、神様をまつって、偉人の遺骨を納める習わしがあったので、このような精神的な拠り所となっている霊域を大事にしなさい、としています。

アーナンダよ。
ヴァッジ人が真人たちに、正当の保護と防禦と支持とを与えてよく備え、未だ来らざる真人たちが、この領土に到来するであろうことを、また、すでに来た真人たちが、領土のうちに安からに住まうであろうことを願う間は、ヴァッジ人には繁栄が期待され、衰亡は無いであろう。

ここでの真人は、いわゆる、阿羅漢のことです。

で、お釈迦さんは、こうした事実を列挙して、これに照らして、ヴァッジ族はどうであるか?と問う訳です。

そこで、アーナンダが、その通りでございます、と答えることで、マガダ国王への間接的な返答をしました。

これも、推定ですが、おそらく、こういうことでしょう。

ヴァッジ族はせっかく良い形で繁栄しているのだ。それでも、あえて戦いを仕掛けるなどという愚かな真似はするな。
少なくとも、人のあり方、組織のあり方、国のあり方に見所があるのだから、ヴァッジ族はそのままにして、戦いはやめて、良い点を参考にしてあなたの国に取り入れなさい、と。

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ここでの、私の概要把握は、かなり信憑性に不安を持つ方もおられるかもしれませんので、中村さんの見方を、多少の簡潔化をして記しておきます。

だいたい、7 つほどの項目をあげ、これが守られ続ければ、ヴァッジ族は繁栄するので、決して攻め滅ぼすことはできないと暗に含めて説いたとされます。

すなわち、こういう立派な国だから、そこを滅ぼすのは無意味だから、おやめなさい、と言っていると。

つまり、(征服戦争をやるかやらないかの裁可は与えないで)いきなり判断を表明しないで、諄々(じゅんじゅん)と説ききかせて戦争を起こすのをやめさせたのが、釈尊の態度だとしています。

中村さんは、このことは要するに、お前の国もこうしなさい、そうすれば繁栄するぞ、と暗に諭(さと)したと受けとっていいと思うと書かれています。

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(*1)・論駁~ろんばく~相手から加えられた意見や説の誤りを指摘して、言い返すこと。
(用例)論駁を加える。

・捲土重来~けんどちょうらい~一度負けたり失敗したりした者が、再び力をもりかえしてくること。けんどじゅうらい。
(用例)捲土重来を期する。

こういったところにも、神様の分霊(仏教なら仏性になるのかな)に加えて、自己保存の本能や、動物的な本能が付与されていることを、お釈迦さんはよく知っていたのではないですかね?

自分こそがすべて、今ある肉体人間こそがすべて、だからこれの五感にまつわる、あらゆる欲望の拡張を求めて止まない肉体人間の性(さが)を。

(*2)で、(*1)とも関連しますが、そうした肉体人間の想い、想念が、輪廻転生を通してどのような影響をもたらすかも、よくわかっていた。

特に、真善美に悖る(もとる。反するという意味)想念である業想念(ごうそうねん)のことを。

ここで、お釈迦さんが頭ごなしにマガダ国からの使者に対して、理路整然にガツンとやってペチャンコにしたらどうなるか?

お釈迦さんに対してあそこまでの敬意を抱き、丁重な手続きを踏んで、お伺いを立てた使者、従って、この使者の知らせを受けて、マガダ国の王は、どのような気持ちになるだろうか?ということです。

お釈迦さんがとてつもなく偉く、如来様に匹敵(ひってき)するから、素直に受け入れて、ハイそうですか、お説ごもっともです。失礼致しました、となるか、っていう話です。

多分、そうはならないんじゃないですか?

マガダ国王は、おそらく面白くない。万が一、怒りでもしたら、大国です。大変なこと(=戦争)になりかねない。

しかも、こうした経緯は、現世で何とか具現化せずに収めることができたとしても、残ったわだかまりや、マガダ国王の釈迦やヴァッジ族への不穏な想念が、輪廻転生に乗ってしまうと、また、いろいろとまずいことになる。

来世以降に、禍根(かこん)を残す可能性が出てきてしまいます。

こうしたことまで、すべてひっくるめて、何とか穏便(おんびん)に済ませる方法はないか?と考えて、お釈迦さんはあのようにした可能性があるのではないですかね?

まあ、お釈迦さんは、ウルトラ優秀な人ですから、こうしたことは瞬時に理解して、実行に、つまり、アーナンダへの語りかけの形でのわからせ?に移したのでしょう。

また、お釈迦さんのことです。マガダ国王の人柄や因縁も、よくよく踏まえ、見通した上で、あのようにした可能性があるのではないか、と。

素人的には、あの経緯を以上のように考えます。

(*3)・参集~さんしゅう~大勢の人が一ヶ所に集まってくること。
(用例)講堂に参集のこと。

・衰亡~すいぼう~おとろえほろびること。衰滅。←→興隆
(用例)国家の衰亡。

(*4)往昔~字引載っておらず。

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(追記)
・けだし~思うに。まさしく。たしかに。
(用例)けだし名言である。
(用法)文語的な語で、確信をもって推定するときに使う。

・阿羅漢~あらかん~小乗仏教の修行者の最高の地位。すべての煩悩を断ち、悟りを開いた人。羅漢。

中村さんによると、当時の敬われるべき人、尊敬されるべき人の意味で、他の宗教をも含めて、本当に立派な修行者のことのようです。

元の言葉で、アラハント arahant、音写で、阿羅漢とのことです。

一番最初の表題、「一 旅立ちまで」を抜かしてしまったので訂正します。すみません。

また、最終部分に、中村さんの釈迦のマガダ国王への答えを、できるだけ意訳に近いものを追記しました。

さらに、お釈迦さんのマガダ国王に対処について、考えられる可能性を説明不足の分をも含めて追記しました。(*1)と(*2)の部分です。また、それに伴う既存の文章にも加筆・訂正をしました。

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①追記: 2020/11/16 05:11
②追記: 2024/04/13 10:55
③追記: 2024/04/13 11:00
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。