おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

177_願い

釈尊の生涯 を、
序章 原始仏典へのいとぐち
第一章 誕生と求道ー「スッタニパータ」(1)
第二章 悪魔の誘惑ー「サンユッタ・ニカーヤ」(1)
と、見てきて、今は、
第三章 最後の旅ー 「大パリニッバーナ経」
この大詰めの前ですが、勝手ながら、また、息抜きをさせて頂きます。

少し前に、男女関係のことを書籍とネットでそこそこ調べた時の雑感も交えて書いてみたいと思います。

最近見つけたサイトですが、note というところにあった、美人の生きる道、のカンナさんという人が書いていたことには、実体験も交えてあり、ある程度の説得力があった。

ご本人のお顔も小さな横顔だけですが、確かに美人そうです。

彼女は、美人や彼女の兄弟のイケメンの心の闇や寂寥感といった孤独にきちんと触れていて、普通の男女関連のサイトとは一味も二味も違うな、と感じたからです。

普通のサイトは、どちらかというと、ガールズちゃんねるのように、ミーハー系(ごめんなさい)で、イケメンなら、ただ、嬉しい、ドキドキ、とキャーキャー騒ぐ(ごめんなさい)か、その延長のように感じるものが多かったからです。

私のような因縁因果肯定派から言わせてもらうと、イケメンならくっついてからが勝負なんです。

お付き合いしてから、結婚してから、セックスしてからが、です。

本番はそこから。

ここから修行がはじまる。

嬉しいことばかりにして、楽しいことばかりにして、お姫様扱いして、では、そうは問屋が卸さない。

相手の気にいらないところ、嫌なところ、が見えてから、それでもその人の人間性(神様の愛をどれだけあらわせているか)を見いだし、すり合わせ、場合によっては育てていく。

その覚悟がないと、信仰も何もなければ、本当に過去世からの因縁に振り回され、おそらく、(よほど過去世で徳を積んでいない限りは)苦労することが、多いと思うんですよ。

そりゃあ、イケメンや美人なら、癒し効果があるのは確かでしょう(私には縁がないのでわかりませんが)。私達は真善美に悖らない神様を本体に頂く者だし、本来、美しいものが好ましいし、元々はみんな誰しも美しかったのだから。

外見は、あくまでも、過去世からの因縁が何かしらの形で反映された、一つのあらわれに過ぎないものである、との考えには、まだまだ、いたっていませんからね。

人類皆兄弟などといってみても、この現界、あらわれの世界だけを見ていては、到底、理解はできない。

お釈迦さんが、相手が人間である以上、一切の差別をしなかったのはなぜか?

神様の分霊の受ける器としては、皆平等だからですよ、おそらく。

相手の本体が神様の分霊、すなわち、神様であること、そして、あらわれの世界である現界、この世があまたの過去世の因縁を反映させたものに過ぎず、神様のみ心以外は、すべて万物流転、消えてゆく姿としてのものであることをわかっていたからではないでしょうか?

いいものも、悪いものも、みんな現界(この世)で、時を経て消えてゆく。

だから、いずれ消えて無くなるものに、執着を持つといやが上にも、苦しまざるを得なくなる。

ただ、玄奘三蔵さんのことを調べた時も感じましたが、本当に神の道を求める人のあり方としては、まさに超人ですね、彼らは。

玄奘三蔵さんは、その生涯を仏教、ひいては、経典翻訳を通して人のために捧げ尽くした。

お釈迦さんは、悟りを得てから亡くなるまで、45年間も、人のために捧げ尽くした。

その生き方を、ほんのわずかでも、億分の一でも、兆分の一でも、生きているうちに、できることならば、活かせるように、心がけたいと願います。

おこがましいですが、無限億万年の最底辺の信仰者の端くれにもいたらない者としての、感想です。

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・寂寥~せきりょう~ものさびしく、わびしいさま。
(用例)寂寥感がただよう。

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①追記: 2020/11/24 05:32
②追記: 2021/07/08 20:35
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、表題と本文を加筆・訂正し、注釈を追加しました。