前々回 ( 176_原仏10ー7 - おぶなより ) の続きです。
第三章 最後の旅 ー 「大パリニッバーナ経」の締めくくりです。
三 臨終
お釈迦さんは苦しみながらも、なおも旅を続け、当時は大河であったヒラニヤヴァティー河を渡ろうとします(以下、段落分けなどの改変あり)。
尊師(お釈迦さん。以下、同様)は若き人アーナンダに告げた。
「さあ、アーナンダよ。
ヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウパヴァッタナに赴(おもむ)こう」と。
「かしこまりました。尊い方よ」と若き人アーナンダは尊師に答えた。
そこで尊師は多くの修行僧たちとともにヒラニヤヴァティー河の彼岸にあるクシナーラーのマッラ族のウパヴァッタナに赴いた。
そこに赴いて、アーナンダに告げて言った(この向かう先のマッラ族もヴァッジ族と同様に貴族の共和政治を行っていました)。
「さあ、アーナンダよ。
わたしのために、二本並んだサーラ樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を用意してくれ。
アーナンダよ。
わたしは疲れた。
横になりたい」と。
「かしこまりました」
と、尊師に答えて、アーナンダはサーラ双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いた。
中村さんは、この床は、おそらく竹などや小さな木片で作ったベッドのようなものであろうとされています。
そこで修行者は、そこで坐(ざ)したり、臥(ふ)したりするもので、ある時はベッドにもなり、またある時はその上で足を組んで座ることができます。
そこで尊師は右脇を下につけて、足の上に足を重ね、獅子座をしつらえて、正しく念(おも)い、正しくこころをとどめていた。
(以上、五・一)
獅子座は、左脇を上にして心臓を上にして圧迫をさせない楽な姿勢で、見事な寝姿だそうです。心臓は体の中心から見て左側のほうが大きいからなんでしょうね。
インドの教養ある立派な人は、このような寝姿をするとされているそうです。
そして、いよいよ最期が近づくと、アーナンダが泣きます。
お釈迦さんは静かに泣くなと諭したそうです。
「やめよ、アーナンダよ。
悲しむなかれ、歎くなかれ。
アーナンダよ。
わたしはかつてこのように説いたではないか、
ー すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。」(*1)
勝手に意訳をさせてもらうと。
心中でも無茶なことをしない限り、必ず愛する者との別れはやってくる。どんなに愛していても、いとおしくても、仕方がないのだ。どうしようもないのだ。
各自の与えられた定命は別々だ。どうしたって、別れは避けられないものなのだ。(*2)
神様の命、み心以外は、すべて万物流転。すべて、この世で時を経て消えてゆく姿なのだ。定めなのだ。諸行無常である、と。(*3)
「アーナンダよ。
長い間、
お前は慈愛ある、
ためをはかる、
安楽な、
純一なる、
無量の、
身とことばとこころの行為によって、
私に仕えてくれた。
アーナンダよ、
お前は善いことをしてくれた。」
しかし、お釈迦さんがこんな瀕死の状態にもかかわらず、議論をけしかける、とんでもない入門志願者がいたのです。
スパッダというバラモンの修行遍歴者です。(*4)
何でも 120 才のとかいう長老で、人々が苦しみ、大地が怒り狂う恐ろしい夢を見たとかで、夢から目覚めると、お釈迦さまが今夜半に入滅されるという話を耳にしたとか。
アーナンダは、当然断ります。
当たり前でしょう、そんなこと。
いくら人々のために、命を捧げ尽くす偉い人だからと言って、死ぬ間際に負荷をかけて、死を早める真似をする愚か者がどこにいますか。
どんなに、自分の中での苦しみの疑問の決着をつけたくても、お釈迦さんが亡くなり教えを聞く機会を逃しても、涙を飲んで我慢するのが、人の道のはずです。
尊敬して止まない人ならば、なぜ自分の欲を退け、崇める人の体をいたわらないのか。
会うだけで、顔を見るだけで、十分ではないか。
そんな、聞き分けのない長老って、何なんですか。
こんな人が、それが長老ですか。
私にはまったく理解できません。
しかし。
アーナンダさんも偉いから、静かに落ち着いて対応したんでしょうね。
すごく、優しい人だったらしいから。
アーナンダは、お釈迦さんの容態をかんがみて、断ります。
で、スパッダがまた引き下がらない。詰め寄る。三度押し問答が繰り返されたそうです。
そこで、瀕死の重病の宗教家であるお釈迦さんは、会いましょう、と中に入れたそうです。
そして、自らの生涯を語りはじめました。
「スパッダよ。
わたしは二十九歳で、何かしらの善を求めて出家した。
スパッダよ。
わたしは、出家してから五十余年となった」
以前書きましたが、釈迦の出家当時は、六師などで思想的な混乱がありました。
中村さんは、お釈迦さんは本当の善とはどういうものなのかと思い、出家したかのように書いていますが、私には意味がよくわかりません。
続きです。
「(自分は)正理と法の領域のみを歩んで来た。
これ以外には(道の人)なるものは存在しない。」
正理は正しい道理、正しい筋道で、法は、ダルマで、人の依(よ)るべき決まり、筋道だそうです。
中村さんは、お釈迦さんがこれらを求めて、その道理に従った生活をしてきた、としています。(*5)
道の人は、漢訳仏典で沙門(しゃもん)で、道を求める、実践する人という意味とされます。
道を求めるとは、勝手に解釈させてもらえば、人としてのあるべき生き方を求める、ということでしょうね。
中村さんは、それまでにいろいろな宗教があり、様々な儀式をしていたが、そのような形式的なことにはこだわらず、人間の本当の道を追求することが、お釈迦さんの一生の努めであり、課題であり、形而上学的なわずらわしい議論はしないで、本当の道を求めた、その感懐がズバッと出ているとしていますが、私にはよく意味がわかりません。
要は、お釈迦さんはその生き方によって、人のために 45 年間、人としてのあるべき生き方を、教え続けて、その人生を捧げ尽くしたことによって、法を示した、ということではないでしょうか。
それから、お釈迦さんはそこにいた修行者達にも声をかけました。
「さあ、修行僧たちよ。
お前たちに告げよう、
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい』と。」
これが、最後の言葉とされます。
このあと、お釈迦さんは安らかに息を引き取りました。中村さんは、臨終は、彼を慕う弟子達に囲まれた、愛情のこもったしめやかな暖かいものであった、とされています。
ここには、お釈迦さんの最後の旅が、ごく普通の人々と同じように、老いて、死に至る形で淡々としていることが、記(しる)されている。
中村さんは、
「平凡な一人の老人の、平和で静かな安らかな死の様子が、逆に今の私達の心を感動させてくれるのはなぜでしょうか。
それは我々もこのように親しい人々に囲まれて、静かに人生を終えられたらという、一つの解答があるとそう考えるのは、私一人だけではないと思います」
とされています。
次回から、第四章 仏弟子の告白・尼僧の告白ー「テーラガーター」「テーリーガーター」になります。
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(*1)・歎~たん、なげ~①歌声を長くのばす。
(用例)一唱三歎。
②感心する。ほめたたえる。
(用例)称歎。
③なげく。
ここでは、③の意。
(参考)嘆がかきかえ字。
(*2)・定命~じょうみょう~仏教語で、持って生まれた寿命。
(*3)・諸行無常~しょぎょうむじょう~仏教語で、万物はつねに移り変わり生滅してとどまることのないこと。仏教の根本思想。
(*4)この場面については、中村さんの本だけではなく、他の本も参照して書きました。
120 才というのは、ヨガや呼吸法や瞑想の達人ならば、あり得る年齢なのかもしれませんが、釈迦の最後の弟子にしてもらったような人が、いまだ、わからない真理をお釈迦さんに訪ねにくるような人が、それも状況をまったくわきまえない、自分の欲を優先するような人が、果たして、そんな達人の境地にあったのでしょうか?
そんな人が、達人と呼ぶに値するのでしょうか?
疑り深い私は、お釈迦さんの偉さを強調するための逸話なのではないか、とさえ考えましたよ。
多分、事実なんでしょうけど。
(*5)・筋道~すじみち~①物事の道理。条理。
(用例)筋道を通す。
②物事を行うときの手続き。順序。
(用例)一定の筋道を踏む。
・道理~どうり~物事の正しい筋道。正しい論理。条理。わけ。
(用例)ものの道理。道理を説く。負ける道理がない。
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①追記: 2020/11/24 06:05
②追記: 2024/04/13 16:20
③追記: 2024/04/13 16:25
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。