181_原仏11ー 3 の続きです。
次は、アッダカーシーさんの告白です。
彼女は元遊女です。
遊女とは、何がしかの対価(この場合はお金)と引き換えに、自らを求めてきた射精欲求を満たしたい男性に身体を提供し、生殖にも結びつくセックスをさせる、性交を許す女性のことをいいます。
(遊女としての)わたくしの収入(みいり)は、カーシー(ベナレス)国(全体)の収入ほどもありました。
町の人々は、それをわたくしの値段と定めて、値段に関しては、わたくしを、値のつけられぬ(高価な)ものであると定めました。
そこで、わたくしはわたくしの容色に嫌悪を感じました。
そうして嫌悪を感じたものですから、(容色について)欲を離れてしまいました。
もはや、生死の輪廻の道を繰り返し走ることがありませんように!
三種の明知を現にさとりました。
ブッダの教え(の実行)を、なしとげました。
(二五ー二六)
中村さんによると、三種の明知とは、自分の過去世を見通す働き、すべてを見極める知恵の働き、自分が汚(けが)れを離れ悟ったという自覚の知恵の働き(何だかまどろっこしい表現ですね、これ)、だそうです。
私は教養がないので、当時のインドの様子は知りません。
ただ、彼女はなぜ遊女をしていたのかが、まず、わかりません。
それは。
家庭や自らが貧しく生活していけないために、やむを得ずに遊女となったのか。
それとも、他に働き口がなくて仕方なしに遊女になったのか。
はたまた、文面から推定すると、ものすごい稼ぎになったようですから、自らすすんで自発的に遊女になったのか。そして、そうした自発的な選択が許される時代状況だったのか。
これらが、まず、わからないのです。
彼女は、後に嫌悪を感じたとしている以上、遊女となった動機は重要だからです。
すなわち。
やむを得ず遊女になっていたのであれば、生活に十分な余裕ができて、いつでも辞めることができる訳ですから、もう、相手にしたくもない男性とセックスする義理はないはずです。
セックスから快感が得られていて、これだけは何かあっても手放したくない、というなら別ですが。
他に働き口がなくて仕方なしに遊女になっていた場合もこれと同様ですね。
で。
自らのたくさんの男性とセックスしたことで稼いだお金の額の高さを評価されてから、嫌悪を感じたとはどういうことなのか。
それまでには、嫌悪を感じなかったということなのでしょうか。
私はひねくれ者なので、こうした裏の裏まで読んで疑ってしまうんですよ。
だから、こういっては失礼かも知れませんが、大した重要度もないから、おおざっぱでいいや、と雑に書かれていると、わからないし、上記のようにあらぬ疑いを抱いてしまうんですよ。
原典も含めてですが、もう少し丁寧に書いて表現して頂かないと、わからないのですよ。
私は、セックスは、本来なら、男女の愛情の交歓表現の一形態であり、その結果として、生殖に結びつくもの、と考えています。(注1)
従って、男女ともに、ただ自らの性欲を充足・発散させるためだけの、乱れた性交渉はだめだ、と考えています。
神様の分霊(わけみたま)を本体とする者と考えたら、本来あるべき肉体人間のあり方を考えたら、この結論にしかならないんですよ。
相手も一人としか考えられません。
これから外れたものは、すべて、真善美に悖ると考えざるを得ないんですよ。
しかし、この世では、性格の相性がよくても、体やセックスの相性がどうにも悪くて離婚してしまうことがあったり、と一筋縄ではいかない。
だから、やはり、絶対他力の信仰で、神様におまかせしてやっていくしか、次善の策というか、より良い方法はないのかな、と思うんです。
ただ、今時、セックスの相手がたった一人、しかも、生涯たった一人なんて、何を言ってるんだ、と思われる人もたくさんおられるかもしれませんね。
笑われてしまうかもしれません。
何をバカなこと言ってるんだ、と。
ただ、理屈の上で考えると、どうしても、この結論にならざるを得ないんですよ。(注2)(注3)
だから、できるならば一人の相手でも満足できる方法や、相性が悪くても何とか歩みよりすりあわせていく方法が、確立されるようになればいいのに、と思うんですよね。
そうしないと、巷(ちまた)に言われているように、一人の相手には数年で飽きるのが普通だ、などとされてしまい、際限がなくなるおそれもないとは言えないし。
かといって、貞操帯のように、強制的に相手を縛りつけるような形で、相手の自由を奪うようなやり方は、強圧的で不自然だし、到底、好ましい夫婦や恋人のあり方とは思えませんからね。(注4)
ただ、現実の世界では、性器の形から大きさから相性から何から、実に千差万別で、実際に相対してみないとわからないところもあります。
ふたを開けてみないとわからない、というように。
みんな、誰しもが満足が得られるように、そなえるもの(性器、生殖器のことです)が一律ならば、問題が生じないんでしょうけれど、おそらく、因縁も含めて、そんな機械的な標準化のような、この世でのあらわれかたはないものなのでしょう。
それやこれやも考えると、少しでも性格と相性のいい、しかも、因縁の合う相手と出会えることを考えると、また、過去の行いを少しでも浄めることも併せて考えると、やはり、世界平和の祈り一念の生活を基底においた、霊性の開発を検討して頂きたいんですよね。
で、先のアッダカーシーさんの話に戻るのですが、容色に嫌悪を感じて欲を離れた、というのは・・・。
これは、上記のように考えてくると、本来愛すべき人と交わすべきセックスをお金で提供してきたことに気がついて、今までのことは済んでしまったから、仕方ないにしても、これからはセックスさえも一切しない、と決意して、性欲を滅却した、という意味でしょうか。
だいたい、そのあたりだと思うのですが。
ただ、嫌悪を感じるのが遅いのではないかなと思えても、気持ちを切り替えることさえできれば、そんなに簡単に宿命通(過去世を見通す力)などの力が備わるものなんだ、とちょっと意外でしたね。
なぜなら、これらの能力は、こうした力を得たいと、意識的にそれなりの修行を積んでも、そう簡単には獲得できないものだ、と考えられるからです。
修験道の修行にしても、それはそれは大変なものでしょう?(注5)
現代では、ほとんど実行不可能でしょうし。
古(いにしえ)の時代でも、難儀をきわめたはずですよ。
そんな大変な思いをして、やっと獲得できる能力です。
人によって(過去世からの研鑽が臨界点に足りない人)は、一生かかっても獲得できないかもしれないんです。
悟りを得ようとしても、志した者が、誰しも悟ることができないように。
やはり、その時点までの、よほどのあまたの過去世のそれなりの積み重ねに加えての、現世、この世でのそれなりの大変な苦労や修行がないと、一足飛びにこれらの能力を獲得することは、考え難いんですよ。(注6)
散々、いやいやながら、つらい思いを強いられながら、心で泣きなから遊女をしてきて、やっと解放された人ならば、このように宿命通などを得ることができたとしても、納得しやすいんですけどね。
例えば、この前の、一 仏弟子の告白 で出てきた、低い身分で蔑(さげす)まれて、苦労に苦労を重ねてきたスニータ長老が、悟りを得た、というのは納得しやすい、というように。
それとも、女性の場合は、遊女であること、すなわち、不特定多数の男性の相手に性交をしたこと、それ自体が、このスニータ長老の苦労に匹敵(ひってき)することに相当することになるのでしょうか?
よくわかりませんが。
ともかく。
そこがちょっとわかりにくいし、納得できなかった。だから、そこのところに関しても、もう少し、詳しい説明が欲しいと思いました。
重箱の隅を楊子(ようじ)でほじくるように、うるさいな、と思われる方もおられるかもしれませんが、疑い深い点は、ご了承願います。(注7)
これでも、元々は、はずぼらで、陽気で、のんきだったんですけどね。
ご容赦下さい。
~~~~~
(注1)交歓~こうかん~互いにうちとけて楽しむこと。
(注2)こうした状態が、当たり前になる、一般的になる、しかもごく自然に、となると、やはり、すべての人々の霊性が開発され尽くした、そういった地上天国に近い世界にしか、実現しないのかもしれませんね。
(注3)もしも、私の考え方が当たっているのならば・・・。
こうした意味合いからすると、童貞や処女といった人達は、何ら引け目を感じることもないし、一切恥じることなどない、という結論を導き出すことが可能です。
堂々としていることができます。
そりゃあ、まわりの人達が、次々に性交体験を重ねていく姿を見れば焦るでしょうし、何かとつらいこともあるかもしれません。
しかし、童貞や処女を卒業するためのお相手を慎重に選ぶということ、できることならば、精神的な繋がりを重視してからにすることは、霊的な意味合い、輪廻転生上には、確実に意味を持たせることができるからです。
だから、私は言葉というのは、実に不思議だなあ、と思うんですよ。
童貞を捨てる、処女を捨てる。
捨てる・・・。
なるほど、確かにそれなりの意味が出てくるのだな、と。
これは、現世(今生)の中だけでの話になりますが、ずっと前に、恋愛遍歴を次々と重ねた、恋多き女性と呼ばれた、ある有名な女性作家について触れたことがあります。
たまたま、彼女の作品の中に、彼女の初体験のことが出ていたのですが、その思いを寄せていた、そのお相手の男性の彼女への対応の仕方が、かなり昔の時代状況のためか、きわめて雑というか自分本位の、彼女へのいたわりや思いやりに欠けたものでした。
当時の一般的な男性としては、ありがちなことだったのかもしれませんが、感性の優れた彼女にとっては、かなりのショックだったのではないでしょうか。
彼女は、まるで笑い飛ばしたかのように書いていましたが、かなり不自然な感じがして、とてもそれが彼女の素直な感情表現とは読めなかったんです。
なので、私は、彼女のその後の生き方は、華麗な、と肯定的な言われ方をされることが多かったようですが、本当なのかな?と疑いを抱きました。
彼女は、次々と男性を変えていきながら、心の奥底では、別の声をあげていたのではないのかな、と。
こうしたことから考えても、童貞や処女の卒業の仕方を大事にすることには、やはり、それなりの意味があると思いましたね。
(注4)貞操帯~ていそうたい~貞操帯とは、狭義には被装着者の性交や自慰を防ぐ施錠装置つきの下着である。主に、妻・夫あるいは恋人・愛人・性的パートナーの純潔を求めて、性交渉を不可能にするために用いられる。女性用の物が有名だが男性用の物もある。貞操帯は強制的に装着させられる場合と、自発的に装着する場合がある。
ウィキペディアより
貞操~ていそう~配偶者以外の異性と性的関係を持たないこと。古くは、女性の行動にだけ言った。
(用例)貞操観念。
配偶者~はいぐうしゃ~夫婦の一方から他方を言う語。つれあい。
(注5)修験道~しゅげんどう~山林静寂の地で修行して、呪法を修め、霊験を得る仏教の一派。
呪法~じゅほう~じゅもんを唱えてのろう法。呪術。
霊験~れいげん~神仏の不思議な力のあらわれ。神仏の不思議な感応(かんのう)。祈りの効き目。ご利益(ごりやく)。
(用例)霊験あらたか。
(注6)一足飛び~いっそくとび~①両足をそろえて跳ぶこと。
②一定の順序をふまないで一気にとびこえること。
ここでは、②の意。
(用例)一足飛びに出世する。
(注7)重箱の隅を楊子でほじくる~細かいところまで取り上げて、うるさく言うことのたとえ。重箱の隅をつつく。
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①追記: 2020/11/27 12:00 〜訂正内容〜
一旦書いた記事を削除して、書き直しました。
本文・注釈ともに既存のものも含めて、大幅に追加・変更・訂正しました。
②追記: 2020/11/30 07:02 〜訂正内容〜
一部、誤記を訂正して、注釈を追加しました。
③追記: 2020/12/01 12:22 〜訂正内容〜
本文・注釈ともに、意味が通りにくい箇所をいくつか書き足して、書き直しました。