おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

216_原仏13ー5

前回 ( 215_原仏13ー4 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
二 「ダンマパダ」のことば

になります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。

ー 花にちなんで ー

(A) ダンマパダの中では色々なテーマで詩の文句がまとめられていますが、第四章は花にちなんだ詩が集められており、漢訳の法句経では華香品(けこうぼん)となっています。

その花にちなんだ詩句の若干を味わってみましょう(段落分けなどの改変あり)。

学びつとめる人こそ、
この大地を征服し、
閻魔の世界と神々とともになる
この世界とを征服するであろう。

(四五)

(A) 死後の審判者が閻魔です。

これはリグ・ヴェーダの宗教においては、死後の世界の王をヤマといい、それが仏教に取り入れられ、死後の世界の審判者となります。

これを閻魔という漢字で写しました。

日本で拝(おが)まれている閻魔の姿は、インドで伝えられているイメージの他に、中国の道教で色々と考え出されたその姿が混じっています。

ともかく、偉い神様です。こわい神様です。この他に色々の神々がまします。

その世界にありながら、本当に学びつとめている人は、大地を征服します。

大地を征服するというのは、武器を持ち殺戮によって人を征服することではありません。

人間の道を追及し、自己に打ち克(か)って実践する人が、本当の意味の勝利者であるというのです。

(B) また、神々云々と出てきた。

皆様、何のとりあえずの概念規定もなく、当たり前の大前提のように、霊だ、神々だ、悪魔だと文章でお使いになっているけれど、いざ、霊魂は何だ?のような話になると、とたんに唯物論者になり、お釈迦さんの無記まで持ち出して、こうした存在を否定する。

こうしたことがあるから、お釈迦様には、軽く、とりあえずでもいいから、霊魂や神々や悪魔とは何ぞやについて、答えておいてほしかったんです。

お釈迦様に帰依し、拠り所とする人には、お釈迦様が、こうだ、としてしまえば誰も逆らおうとはしないでしょうから。

それと、ここで征服の意味について書かれている言い訳は、私のような力不足の者から見ると、言い訳になっていない、説明にすらなっていないように感じます。

中村さんも、西欧的な、自然はあくまでも征服しつつ、利用するためのものだ、人間様がご主人だ、と当たり前のように資源が乱開発されるのを、おそらく苦々しく思われていたのでしょう。

あとから、環境保護だの何だのといっても、乱開発のほうが甚大で、経済にもかかわる(=金儲けにもかかわる)ので、どうにもなりません。

西欧的なやり方では、覇権主義的な経済制覇のやり方と相まって、自然への感謝と調和が、破られ放題になってしまうからです。

これを読むと、中村さんは、仏教徒だと思いますが、神道的な考え方も無意識にしていたのではないかな、と思いますね。

中村さんが言わんとしているのは、悟りを得たような人々、すなわち、自然に心からの感謝ができて、自然との調和を重視できるような人々が、本来なら政治の中枢にあり、資源の開発にあたるべきだ、とお考えになっていたのではないでしょうか。

紙面の制約があり、あのような書き方になったのだとは思いますが、中村さんはそのようにお考えになっていたように思います。

(A) ここで次のようなたとえを述べています。

わざに巧みな人が
花を摘(つ)むように、
学びつとめる人々こそ
善(よ)く説かれた真理のことばを
摘み集めるであろう。

(四五)

(A) ただ漠然と言葉を聞いているだけでは、その人にとって何の意味もありません。

本当によく説かれた真理の言葉を、花を摘むように集めて聞くがよい、というのです。

(B) 大切な真理をあらわす言葉を、厳選しなさい、ということでしょうか。

そのためには、普段からの精進が大切だよ、と暗に示されているのでしょう。

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①追記: 2024/04/16 11:45
②追記: 2024/04/16 11:47
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。