おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

225_原仏13ー14

前回 ( 224_原仏13ー13 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
二 「ダンマパダ」のことば

になります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。

ー 老いについて ー の続きになります。

この容色は衰えはてた。
病いの巣であり、脆(もろ)くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまう。
生命は死に帰着する。

秋に投げすてられた瓢箪(ひょうたん)のような、鳩の色のようなこの白い骨を見ては、なんの快(こころよ)さがあろうか?

骨で城がつくられ、それに血と肉が塗ってあり、老いと死と高ぶりとごまかしとがおさめられている。

(一四八 ー 一五〇)

(A) 人間というのはこんなものではないのでしょうか。

(B) 中村さんのこの超簡潔な批評はともかく。

ちょっと、ひどいんじゃないのかなあ。いくら脱ぎ捨てた肉体の果てをいうにしても、腐るだの、快さが微塵もないなんて、言い過ぎじゃないですか?

現代でも高齢者との同居や親類縁者などの会葬を重ねることで、人間の死とはどういうものかは、多少、実感は出てくるものだと思います。

ただ、何もあそこまで、言わなくても・・・。

経典の作者さんは、何をお考えになってあれを書かれたのでしょうか。

遠い将来のことと楽観している人々に、キツ~イ一発をかまして、みんなの目を覚まさせるためでしょうか。

それにしても、高ぶる、すなわち、生前は高ぶっていた、偉そうにしていたなんて決めつけていますけど、謙虚な人だったかもしれないじゃありませんか。

なぜ、あんな断定調で決めつけるのでしょうか。

なんか、いろいろにあった、讃歌調のものとは、反対のものを感じる気がしないでもないんですけど。

私個人の偏見かもしれませんけど。

次です。

いとも麗しき国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。
しかし善い立派な人々の徳は老いることがない。
善い立派な人々は互いにことわりを説き聞かせる。

(一五一)

(A) 身体は老いぼれてしまう。

これは避けることのできない運命です。

しかし本当に老いることなく生きている、その違いはどこにあるのでしょうか。

これを教えてくれる詩の文句があります。

学ぶことの少ない人は、
牛のように老いる。
かれの肉は増えるが。
かれの智慧は増えない。

(A) 痛烈な言葉です。

(B) インドでは、ヒンドゥー教徒が大半を占めていて、牛を大事に扱うのではなかったのでしょうか。

この経典が書かれた当時はヒンドゥー教は関係がなかったのでしょうか。

浅学の無い私にはまったくわからないことですけど。

普通の動物の牛さんにしても、何もあそこまでいわなくても・・・。

また、これも、人生の道を求めず、向上心のない人に対する強いお叱りとしておっしゃってのことなのでしょうか。

道を求めよ、徳を積め、向上心を持て、と。

ただ、悟ったような人や妙好人のような人に、会ったことがないので、わかりませんが、肉体人間である以上、老いに対する抗い感(?)は誰にでもあるのではないでしょうか。

そんな気がするんですけれど。

~~~~~

・会葬~かいそう~葬式に参列すること。

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①追記: 2020/12/20 20:07
②追記: 2024/04/16 21:57
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。