前回 ( 227_原仏13ー16 - おぶなより ) の続きです。
Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
二 「ダンマパダ」のことば
になります。
なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。
ー めざめた人 ー の続きになります。
( 227_原仏13ー16 - おぶなより ) のダンマバダの(一八二)の人間として生をうけることはむずかしい。以下略。
は、三帰依文(さんきえもん)の経文に引き継がれているものと思われますが、個人的にちょっと引っ掛かっている問題があって書けないところがあるので、とりあえずは、これについては、あのまま通過で、ご了承願います。
次です(段落分けなどの改変あり)。
すべての悪をなさず、
善いことを実現し、
自分の心を清らかにすること。
これがめざめた人たちの教えである。
(一八三)
(A) (一部省略改変あり。以下同様)これは漢訳では
「諸悪莫作、
衆善奉行、
自浄其意、
是諸仏教」
といわれ
「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」
ということで知られています。
お釈迦様を含めて過去七人の仏様がすべてこの教えを説かれた。
仏教の実践の根本はここにあるというのです。
よく引かれている言葉です。
それから面白いことには「これが目ざめた人たちの教えである」という、この言葉がジャイナ教の聖典にも舎利弗の言葉として引かれているのです。
考えてみると、これは人間の真理を伝えている訳なのです。
ここで心を清めるといいますが、この場合の心は、実践の主体というほどの意味だろうと思います。
後代に仏教哲学が発達すると、自性清浄心(じしょうしょうじょうしん)を説くようになります。
人間のもっている本来の心、それは本性がそれ自身において清らかである。それが究極の原理であると説くようになるのですが、しかし、ここはまだそうした哲学的思索は展開していない時代でしたから、日常の生活において、生きている人間の自分自身の心、これを清らかにする、それが仏教の実践の要のところである、ーと、そういっている訳です。
非常に素直な教えだと思います。
先に述べた、自己を整えることについて、特に納得できる詩も出ています。
たとえ貨幣の雨を降らすとも、
欲望の満足されることはない。
「快楽の味は短くて苦痛である」
と知るのが賢者である。
(一八六)
(A) お互いに人間の欲望を完全に充足させることはない訳ですから、誰でも、もう少しお金があればいいなあと思いますが、「貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」は至言だと思います。
(B) 時代もあるのでしょうが、これは完全に自力ですよね。
自力で修養や修行をして悟りを開くことを目指す。
悪いことをするな、良いことだけをせよ、自分の想いを清めて整えよ、と。
今まで中村さんの本を、ゆっくりめに見てきた限りでは、輪廻転生は暗黙の前提となっているように感じます。
となると、各人にあまたの過去世からたまっている真善美に悖る業想念はある訳で、これを現世内で、消失させるのは、他力でも容易ではないはずです。
他力でも悟りを得るのはかなりの精進が必要なはずです。精進を始めても今生内では悟れないことがほとんどなんじゃないですか。
にもかかわらず、当時は悟る人や阿羅漢が多数出ていたようなので、厳しい修行と戒律生活によって、業想念を浄めて消失させて、悟りを得たと考えられます。
というか、それ以外に考えられないし、方法もないですからね。
あるべき修行姿勢や生活態度や心の持ち方を指し示して、こうあるべき、としているんですよね。
人間のもっている本来の心、本性が清らかなのが原理云々は、現代的にみれば、当然ですよね。
真善美に悖らない神様の分霊(わけみたま)を本体とするのが肉体人間なのだから。
憎い、欲しい、と迷っているのは、すべて、真善美に悖る、想念と行為の業想念。
これらの想いとそのあらわれは、人間の本来的にあるべきものではない、本質ではないから、輪廻転生を通して、すべて消えてゆく姿となって消失していくものですからね。
いくら輪廻転生を通してしみついているからといっても、自己保存の本能や生殖を含めた動物的な本能は、この物質界の地球さんを開発するために、便宜上付与されたもので、本質ではないですからね。
後の文言は、いくら金があっても、人間、特に悟りからほど遠い肉体人間には、欲望にキリがないことのたとえですね。
快楽の味は短くて苦痛。
この苦痛とは、何を意味しているのでしょうか?
快楽が一時は満たされても、数限りなく反芻したくなるから、これが叶わないので苦しむことになるから?
それとも、快楽に浮き身をやつしたことを激しく後悔して、自らを責めるから?
あまりにも簡潔過ぎて、ちょっと意味がわからないんですけど。
中村さんの解説もまったくありませんし。
これ以外に何かあるのでしょうか?
~~~~~
・阿羅漢~あらかん~仏教語~小乗仏教の修行者の最高の地位。すべての煩悩を断ち、悟りを開いた人。羅漢(らかん)。
・反芻~はんすう~①牛・羊・ラクダなどが、いったん飲み込んだ食物を再び口に戻し、さらにかんで飲み込むこと。
(用例)反芻動物。
②(転じて)繰り返しよく考えたり味わったりすること。
(用例)言われたことを反芻する。
ここでは、②の意。ちょっと合わなかったかもしれない・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追記: 2024/04/17 22:15
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。