前回 ( 229_原仏13ー18 - おぶなより ) の続きです。
Ⅱ 人生の指針
第一部 人生の指針
第二章 真理のことば ー ダンマパダ
二 「ダンマパダ」のことば
になります。
なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。
ー 人生の真実相 ー
ー 「無常」と「苦」ー
つくられたもろもろのものは
無常であると智慧をもって見る時には、
もろもろの苦悩を離れる。
これは清浄に至る道である。
つくられたもろもろのものは
苦悩であると智慧をもって見る時には、
もろもろの苦悩を離れる。
これは清浄に至る道である。
そしてもろもろのものには
実体がないと智慧をもって見る時には、
もろもろの苦悩を離れる。
これは清浄に至る道である。
(二七七 ー 二七九)
(A) (一部改変省略訂正あり)ここに説かれていることは、漢訳で言うならば、「諸行無常、
諸法無我、
一切皆苦」
といわれているものです。
結局突き詰めて考えると、やはり人間にとっての事柄なのです。
最初の「つくられたもろもろのものは無常である」と訳された文章ですが、この言葉は日本では昔から諸行無常と伝えられています。
これはただ客観的にあるものが移り変わるというだけのことではなくて、実は人間と関わりをもっている色々のもの、そのどんなものでも人間と関わりをもっている訳ですが、それが決して元通りではない、移り変わる、やがて消え去る、そのことをいっている訳です。
だから、やはり人間に対する真理だろうと思うのです。
それからまた「一切皆苦」といいます。
ここでは、つくられたものは苦である。この「苦」という意味は、思い通りにならないことなのです。
元の言葉で「ドゥッカ」といいますが、世の中のことは、人間の思い通りには中々いきません。その真理をついている訳です。ここでは、私どもの生活に即した、これも人生の在りよう、人間そのものをついています。
それから最後の「もろもろのものには実体がない」ですが、これはよく「無我」という言葉を用いて無我説として表現されるのですが、これも客観的なものに実体がないという意味をさらに超えて、我々は周囲の色々な事物、事柄がいつまでもそのまま存続するものだと思って、つい気を許して安心しきっているが、しかしこれは実は人間にとっての大きな陥(おと)し穴である、と気をつけなければいけないことをいっているのです。例えば、来年は今年と同じだろうというつもりで事を運んでも、決して世の中はそうはいきません。
(B) つくられた、としているからには、そのつくり手がいるはずですよね。
自然にあるものにしろ、人手によるものにしろ。
人手によるものも加工の過程も含めて元はすべて自然に帰着します。
ということは、つまるところは肉体人間も含めて、神様がすべてをおつくりになったと言えるんじゃないですか。
よって、神様がおつくりになったものも、すべて万物流転して、消え去る、となりますね。
残るのは神様と神様のみ心だけ。
あとは、全部、この世で時を経て消えてゆく姿。
神様と神様のみ心以外は、すべて万物流転。
中村さんは、ここ (二七八) での「苦」は、思い通りにならない意味合いだ、としていますから、万物流転して消えてゆくあらゆるものに対して、何かしらの執着を起こしても、必ず消え去ってしまうのだから、結局、苦しむことになるだけだ、となりますね。
諸々のものには、実体はありますよ。
これはきわめて誤解をまねく表現だと思うのです。
実体はあります。ただし、必ず消えてゆくので、永遠にあるとは言えない。
区間を区切れば、実体はある。
この世に仮に姿をあらわしていても、長いにしろ、短いにしろ、いくばくかの時間を経て、必ず消え去る。
そういうことでしょう?
現に自分の肉体がある、目の前に端末がある、これが自らの五感で認識できている。
一時的に間違いなくあらわれているんです。
これが、ない、とされたら何を言っているのかわからない。
訳がわかりませんよ。
いつかは消え去るから、結果としては無くなる。
だからといって、あらわれている途中の過程まで、無い、とするのは、乱暴で荒っぽいんじゃないですか?
結果としては、消えてゆくから、今、この世ではあらわれていても、今はないとー看做す(みなす)ーことができる。
それに、量子よりも細かいものが解明されたら、それこそ、本当に説明がつくことになるかもしれませんよ。
遠い、遠い、将来かもしれませんけどね。
いわゆる、量子力学による解明です。
で。
一切皆苦は、詳しく見ると、肉体人間がその固有の制約から、生老病死が避けられないこと、そしてあまたの過去世からの因縁により、病争貧苦のあがないがあること、そして、何かしらの執着をするとあらゆるものは、消えてゆくから、思い通りにならずに苦しむだけになる、ということでしょうね。
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・看做す~みなす~見てそれと判断して取り扱う。また、仮にそれであるとする。
(用例)一人前の大人と看做す。
・量子~りょうし~原子・原子核などの微視的世界でみられる、不連続な量的変化を行う物理量の最小単位。エネルギー量子・光量子など。
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追記: 2024/04/17 22:47
〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。