おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

248_原仏15ー2

前回 ( 247_原仏15ー1 - おぶなより ) の続きです。

Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第四章 人間関係 ー シンガーラへの教え

一 個別的な人間関係 からになります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A) と記します。また、私の文を (B) と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます(段落分けなどの改変あり)。

前回 ( 247_原仏15ー1 - おぶなより ) と重なりますが、終わりの部分を引用します。

(前略)

「資産者の子よ、
立派な弟子は六つの方角をどのように護(まも)るのであるか?
六つの方角とは次のものであると知るべきである。
東方は父母であると知るべきである。
南方はもろもろの師であると知るべきである。
西方は妻子であると知るべきである。
北方は友人・朋輩であると知るべきである。
下方は奴僕(ぬぼく)・傭人(ようにん)であると知るべきである。
上方は修行者・バラモンたちであると知るべきである。」

(二七)

(A) そして、ここであげた六つの方角の一つ一つについて釈尊の教えが次に出ています。

続きです。

ー 父母と子の関係 ー

(A) まずはじめに、父母と子の関係が出ています。

(B) なし。

続きです。

「実に次の五つの仕方によって、
子は、
東方に相当する父母に対して奉仕すべきである。
「われは両親に養われたから、彼らを養おう。
彼らのために為(な)すべきことをしよう。
家系を存続しよう。
財産相続をしよう。
そうしてまた祖霊に対して適当な時々に供物を捧げよう」と。
実にこれらの五つの仕方によって子は、
東方に相当する父母に奉仕すべきである。」

(A) (一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)彼らを養おうとは、親の恩を知ろう、ということです。

また、為すべきことをしようとは、親に恩返しをしようということです。

家系を存続しようとは、家柄を継続することが大事であるということで、中国から朝鮮、日本へと来ると、仏教は祖先崇拝と緊密に結びつくようになりました。その理論的な根拠を経典の中に求めると、こういうところに見られるのです。

財産相続をしようというのは、跡継ぎがいないと、財産が国王に没収されてしまうので、それを避けようというところからきています。

そして祖先の霊に対して、それぞれ適当な時にお供え物をすることは、今日、日本でも仏壇に供え物をしますが、その習俗はすでに原始仏教の時代からあったのです。

またここでは一応父母と訳しましたが、インドの原典では母と父となっています。それはインドの原住民は母系家族制だったので、母の方を重んじたことに由来します。

(B) なし。

続きです。

「また父母は次の五つの仕方で子を愛するのである。
すなわち、
(一)悪から遠ざけ、
(二)善に入らしめ、
(三)技能を習学させ、
(四)適当な妻を迎え、
(五)適当な時期に相続させる。
実に子は、
このような五つの仕方によって、
東方に相当する父母に奉仕し、
また父母はこれらの五つのしかたによって子を愛するのである。
このようにしたならば、
かれらの東方は護(まも)られ、
安全であり、心配がない。」

(以上、二八)

(A) 現代でも親が子のことを色々と気遣(きづか)います、その気持ちがここにも表明されています。

ただ、
(四)の適当な妻を迎えには、今日では異論を唱える人がいるかもしれません。親が結婚を決めるのではなく、本人の問題ですから。ただ、文明が進んでも親は子供のことを考えるのです。例えば近代化が最も進んでいるアメリカでも、結婚は自由なはずなのですが、親は子供達の良き縁が結ばれるように、ひそかに願っています。いつの世でも親は子のことを考えています。

(五)の適当な時期に相続をさせることについては、インドではある時期になると、地位があり資力のある親は、子供に譲り、自分は引退して森の中に住んだり、あるいは遍歴の生活を送ることになっています。

社会学者のマックス・ウェーバーは、「これは西洋にはみられない習俗である。強いて類例を求めるならば、日本の INKYO(隠居)がこれに当たる」とドイツ語の書物の中にローマ字で書いています。こういう事情は、我々には思い当たることがある倫理です。

(B) なし。

次です。

ー 師と弟子の関係 ー

(A) 次に師と弟子の関係について述べています。

(B) なし。

続きです。

「実に弟子は次の五つの仕方しで、
南方に相当する師に奉仕すべきである。
すなわち、
(一)座席から立って礼をする。
(二)近くに侍(じ)する。
(三)熱心に聞こうとする。
(四)給仕する。
(五)うやうやしい態度で学芸を受ける。
実にこれらの五つの仕方によって弟子は、
南方に相当する師に対して奉仕すべきである。

(A) (一)の座席から立って礼をするのは、アジアの国々では現在なお行われています。西洋人はしないと思われるかも知れませんが、イタリアでは座席から立って学生が礼をするそうです。その通りに必ずしもしなくてもいいのでしょうが、そういう気持ちで師・先生に対するということは緒民族に共通していえることでしょう。

(二)近くに侍するということ、これはこの時代は主として師匠の家に住み込んで、色々の教えを受けたので、特に重要視されています、
(四)給仕することも強調されました。また、
(三)熱心に聞こうとするは熱意がなければだめだということです。

(B) なし。

続きです。

「また師は次の五つのしかたで弟子を愛する。
すなわち、
(一)善く訓育し指導する。
(二)善く習得したことを受持させる。
(三)すべての学芸の知識を説明する。
(四)友人朋輩の間にかれのことを吹聴する。
(五)諸方において庇護してやる。
実に南方に相当する師は、
これらの五つの仕方によって弟子から奉仕される。
また師はこれらの五つの仕方によって弟子を愛するのである。
このようにしたならば、彼の南方は護られ、安全であり、心配がない。」

(以上、二九)

(A) (三)のすべての学芸の知識を説明するとは、師が知っている限りのことを弟子に伝えてやることです。

仏教以前には、奥深い教えは自分の信頼できる弟子にのみ伝えるのが、ウパニシャッドの慣わしでした。

ところが、仏教では知識はすべての人に教え伝える、すなわち、「釈尊の教えは日月の如(ごと)く輝く」というのです。あらゆる人に教えを伝えるのが仏教の一つの特徴です。

(四)は、友人、朋輩にほめてやることで、
(五)は弟子がどこへ行っても、師は陰の方から、それを護(まも)ってやることです。

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・侍~じ~そばづき。身分の高い人に仕える者。

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①追記: 2021/01/20 00:20
②追記: 2021/01/20 06:21
③追記: 2024/04/20 13:47
④追記: 2024/04/20 13:50
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。