おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

251_原仏15ー5

250_原仏15ー4 の続きです。

Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第四章 人間関係 ー シンガーラへの教え で、前回までで、一 個別的な人間関係 を終えたので、今回は、二 まもるべき教え からになります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A)と記します。また、私の文を(B)と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。
また、ここでも、中村さんのつけた小見出しに従って、見ていく形にしたいと思います。

二 まもるべき教え

ー 十四の罪悪からの離脱 ー

(A)(一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)前節(一 個別的な人間関係のこと)では限られた人間関係における、人間の生きていく道についての教えの言葉を味わってみました。本節では、人間一般が心がけねばならない教え、すなわち個別的な人間関係を離れて、人間であるならば必ず守らなければならない教えが、この経典の中に説かれていますので、それを味わってみましょう。

(B)以下で、世尊とされているのは、釈迦のことです。念のため。

続きです。

(世尊は次のように説かれた。)
「資産者の子よ。立派な弟子が四つの行為の汚れを捨て、四つのしかたで悪い行為をなさず、また財を散ずる六つの門戸になずまないならば、かれはこのようにして十四の罪悪から離脱し、六つの方角を護る。かれはこの世およびかの世にうち勝つために実践しているのであり、この世とかの世はかれに征服されている。かれは肉体が滅びたのち、死後に、良いところ、天の世界に生まれる。」

(A)十四の罪悪は、今ここにあげられ、そしてこれから説明されるところの
四つの行為の汚れ、
四つのしかたの悪い行為、
財を散ずる六つの門戸、
これらを合わせると十四になることからきています。
六つの方角を護ることは、限られた個別的な人間関係を前節で六つに分けて読みましたが、そのようにいかなる人間関係においても人々を護ることになるのです。
この世で正しいことを行い、来世のためにも功徳を積むために実践しているのであり、かれはこの世でも、来世でも勝利者になるのです。
また、良いところも、天の世界も同じことで、良いところとは願わしい世界のことです。具体的な連想を伴って、天の世界と呼びました。ここに当時の信仰が生かされているのです。
では、具体的に十四として挙げられたものは、どういうものか、それをこれから検討することに致しましょう。

(B)何だか、わかりにくい文章です。なので、少し変えましたけど。

原語の問題なのか、訳の問題なのか、はたまた、違うのか、はわかりませんが。

要は、
①4つの汚れた行為
②その汚れた行為の原因になる4つの要因
③散財の6つの要因
を合わせて、14の罪悪といっているように読めます。

前にも書きましたけど、かの世は、あの世のこと、想いの世界、幽界のことで、来世云々が出てくるのは、輪廻転生を暗黙の前提としています。

しかし、天の世界と当時の信仰(バラモン教とひとくくりにされるヴェーダに説かれる祭祀を行う人々の宗教か?、ヒンドゥー教のことなのか?何なのか?・・・後述を見ると、ジャイナ教バラモン教のようですが。まあ、わかりませんね)については、中村さんは、まったく説明をしないので、わかりません。

何か、妙に中途半端な気がしないでもないような・・・。

次です。

ー 四つの行為の汚れ ー

「では、かれの捨て去った四つの行為の汚れとは何であるか?
資産者の子よ、
生きものを殺すこと、
与えられないものを取ること、
欲望に関する邪(よこしま)な行い、
虚言
 ー は、行為の汚れである。
これら四つの行為の汚れを(冒さないようにして)、かれは捨て去っているのである」と。
世尊はこのように説いた。

(以上、三)

(A)まず四つの汚れですが、第一の生きものを殺すことを、仏典では殺生といいます。人間を殺すことが、最も良くないことですが、さらに我々に近い生き物にも慈しみの心をもって、殺さないようにつとめねばなりません。
第二の与えられないものを取ることは、すなわち盗みのことです。では与えられないものを取るとは何であるかは、これを検討する必要がありますが、物の所有者が承認しないのに、勝手に取ることです。さらに、法律にはひっかからなくとも、人に害を与えて、その財を奪うのはよくないことです。いわんや、法律にひっかかること(奪取)はいうまでもありません。
これは今日の時代になると、大きな地球的規模において考えねばならないことではないでしょうか。地球というのは、我々人間が気持ちよく暮らしていけるようにと、眼に見えぬ力によって与えられたものです。それを、一部の人々が富を専有するとか、強国が弱い国を圧迫して利権を取るとか、領土も隔てを設けすぎるというようなことは、やはり与えられないものを取るということになっているのではないでしょうか。現在の我々としては、新しい文明の時代に即して、色々考えなければならないことがあると思います。
第三の、欲望に関する邪な行いの具体的な意味は、男女関係を乱さないということです。
第四の虚言とは、嘘をいうことです。嘘をいうのは行為の汚れなのです。では具体的に嘘をいうとはどういうことかというと、人は真実を語るべきであって、それを語らない時に偽り、虚言になるのです。ただ、現実の世界においては、例えば、悪人に脅された場合に、事実をそのまま告げていいかどうか、また病の重い人に聞かれた時、病状をどう答えたらよいかなど、色々と難しい問題にぶつかります。しかし相手に対して真心をもっていれば、事実をありのままに語る場合と、言わない場合があってもいいと思います。
経典の他の箇所にも、「ほんとうの真理に達した人は、もしも相手のためにならないことならば、語らない。しかし相手のためになることならば、たとえ相手の人が不愉快に思うことでもあえていうことがある」と説かれています。根本は真心に由来するのです。真心をもっていれば、人に対して嘘をつくということもありません。だから仏典でも、あるいは他のジャイナ教バラモン教の経典でも、「嘘をつかない」ということを「真心」や「真実」という言葉で表現していることがあります。

(B)世尊は釈迦のことです。
第一の殺生については、前に修行者が歩いて虫を踏み潰して殺すことがないように、裸足でいる話がありましたね。
あそこでも、いけない理由は深く触れられることなく、その後のダンマパダの悪や暴力についてのところで、「すべてのものは暴力におびえる。すべてのものは死を恐れる。わが身にひき比べて殺してはならない。人を殺させてはならない」 (一二九)がありましたが、中村さんはこのことにも、ここではまったく触れていません。
この時のご自身の論理展開も一切何も触れずに、ただ、私達人間と我々に近い生き物を殺さないようにつとめねばならないと書いてあるだけです。
虫のことがあるのに、なぜ、ここではそのことにまったく触れず、しかも、人間に近い生き物に限って話をしているのか、これだけでは、全然わかりませんよ。
あの時の中村さんの理屈は自分がやられたくないものを云々というもので、霊性の視点から、私はあれだけでは足りないのではないか、と書きましたけど。
もっと詳しく書いて頂かないと、これだけでは、あまりにも不明な点が多すぎます。
第二の盗みについては、中村さんは、これをかなり拡大解釈して、世界支配にまで話を及ぼそうとされているようです。
眼に見えぬ力とは、神様のことですね。中村さんははっきりとは書いていませんが、神様はすべての人間が極端な隔たりなく、調和が取れる、これが新しい不明のあり方だ、と言いたげに見えます。
まあ、これはあまり深入りしても仕方がないのでこのままとします。
第三は、何ですかね。セックスのことみたいですが、学者様は上品なのでああした書き方なのでしょうかね。
第四の嘘は、嘘をつかないことを杓子定規には取らず、相手の立場や状態もよくよく考えて、痛めることのないように、愛に照らし合わせて考えて、嘘も方便でアリなんだよ、と言ってるみたいですね。
「嘘をつくな」の建前だけでは、この因縁因果が複雑に絡み合った、厳しいこの世には苦しいと認めているみたいですね。

続きです。

幸ある人、師はこのように説いたあとで、さらにまた次のように言った、 ー 
「殺生(生き物を殺すこと)と
盗みと
虚言と言われるものと、
他人の妻に近づくことを、
聖者は称賛しない。」

(四)

(A)先ほど読んだところと同じことですが、男女関係を乱すことのうちでも、他人の妻に近づくことは一番悪いことですから、ここでは特に挙げているのです。

(B)一夫一婦制を暗黙の前提としているみたいですね。
だから、これを破壊する不倫はよくない、としているんでしょうね。
禁止をすすめずに、称賛しない、と弱い書き方になっているのはなぜでしょうか。
過去、あまたの権力者や王様が、一夫多妻であったり、側室(?)を抱える状況にかんがみてですかね。
よくわかりませんが。

次です。

ー 悪い行いをしない四つのしかた ー

(A)次に、悪いことをするのはなぜか、ということを考えています。

(B)なし。

続きです。

「いかなる四つのしかたによって人は悪い行いをしないのであるか?
貪欲により、
怒りにより、
迷いにより、
恐怖によって
非道を行くが故に、
ひとは悪い行いをなすのである。
それ故に立派な弟子は、決して、
貪欲により、
怒りにより、
迷いにより、
恐怖によって
非道に行くことがない。
これら四つのしかたによって、かれは悪い行いをしないのである」と。

(A)これは先に挙げた四つの悪い行いに陥るための心理的な根拠をあげて、ここでまとめている訳です。第一の貪欲は、むさぼる、執著して欲しがることです。
また第四の恐怖は、恐ろしく思ったり、人に脅かされたりして、悪いことを行うことを言っています。
特に、貪欲・怒り・迷いを仏教では三毒といいますが、ここではさらに恐怖をも加えて四つとしています。

(B)人、ひと、そして、挙げた、あげて・・・。

途中ですが、長くなりましたので、ここで区切らせて頂きます。