おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

253_原仏15ー7

252_原仏15ー6 の続きです。

Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第四章 人間関係 ー シンガーラへの教え で、前回までで、一 個別的な人間関係 を終えたので、今回は、二 まもるべき教え からになります。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を、(A)と記します。また、私の文を(B)と記します。あらかじめ、ご了承頂きますよう、お願い申し上げます。
また、ここでも、中村さんのつけた小見出しに従って、見ていく形にしたいと思います。

二 まもるべき教え で、
ー 十四の罪悪からの離脱 ー
ー 悪い行いをしない四つのしかた ー
ー 財を散ずる六つの門戸 ー
と見てきましたが、さらに、友人関係などについていくつかの内容が続きます。

ー 四種の敵 ー

(A)(一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)さらに友人関係についても、色々と面白いことを説いています。

(B)なし。

続きです。

「次の四種は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。
すなわち、
(一)何ものでも取っていく人、
(二)ことばだけの人、
(三)甘言を語る人、
(四)遊蕩の仲間
は敵であって、友に似たものにすぎない、と知るべきである。」

(A)本当の友ではないものを四種あげていますが、さらに聖典は、これを細かに説いています。後代の学者ブッダゴーサが詳しく説いていますが、すなわち(一)は次の四つの仕方によります。
(1)何でも品物を選ばずに取っていく。
(2)僅かの物を与えて多くの物を得ようと願う。
(3)ただ恐怖のために義務(仕事)をなす。
(4)自分の利益のみを追求する。
「ただ恐怖のために義務(仕事)をなす」をブッダゴーサは重ねて説明しています。それは「常に仕事をしないが、恐怖が起こった時にするのであって、真心をもってするのではない」ということです。
(二)は、次の四つの仕方によります。
(1)過去の事に関して友情を装う。
(2)未来の事に関して友情を装う。
(3)利益になることを言って取り入る。
(4)なすべき事が眼前に迫ると都合が悪いと言って逃げてしまう。
最後の(4)は、こうも説明されています。例えば「私は車が入用である」と言うと、「その車の輪が壊れている、軸が壊れている」などと言って言い逃れることである、ーと。これは現代にも非常によく当てはまりますね。
(三)は、次の四つの仕方によります。
(1)相手の悪事に同意する。
(2)善事には同意しない。
(3)その人の面前では讚美し、
(4)その人の背後では悪く言う。
(四)は、次の四つの仕方によります。
(1)諸々のお酒など怠惰の原因にふける時の仲間。
(2)時ならぬのに街路をぶらつきまわる仲間。
(3)祭礼、舞踏など賑やかな集まりがある時に入り込んでくる仲間。
(4)賭博など遊情なことにふける仲間。
では、本当の友というのは、どういう人なのでしょうか。

(B)五井先生は、敵を認めないんだけど・・・。

次です。

ー 親友 ー

「これら四種類の友人は親友であると知るべきである。
すなわち、
(一)助けてくれる友、
(二)苦しいときも楽しいときも一様に友である人、
(三)ためを思って話してくれる友、
(四)同情してくれる友
は親友であると知るべきである。」

(二一)

(A)これが、本当の親友です。以下でさらに詳しく説明しています。すなわち(一)は、次の四つの仕方によります。
(1)友が無気力な時に護(まも)ってくれる。
(2)友が無気力な時に、その財産を護ってくれる。
(3)友が恐れおののいている時に、その庇護者となって庇(かば)ってやる。
(4)為すべき事が起こった時に、必要とする二倍の財を寄付してくれる。
この(4)は、ブッダゴーサによると、何か仕事がある時、友が自分の近くにやって来て、「なぜ君はここに来たんだい?」「王様の家に仕事があるんだよ」「どれだけ貰(もら)えるんだい?」「一両さ」「町の仕事は一両じゃすまん。二両貰え」。そう言って、どれだけ貰えるかを話してやる、そういう訳で二倍の収入があるようにしてやる、というのです。
(二)は、次の四つの仕方によります。
(1)彼に秘密を告げてくれる。
(2)彼の秘密を守ってくれる。
(3)彼が困窮に陥った時にも彼を捨てない。
(4)彼のためには生命をも捨てる。
(三)は、次の四つの仕方によります。
(1)悪を防ぐ。
(2)善に入らしめる。
(3)まだ聞かないことを聞かせてくれる。
(4)天に至る道を説いてくれる。
(四)は、次の四つの仕方によります。
(1)その人の衰微を喜ばない。
(2)繁栄を喜ぶ。
(3)他の人が彼を謗(そし)るのを弁護してくれる。
(4)他の人がその人を賞讃するのを広めてくれる。
この(3)は、ブッダゴーサによると、「あの人はどうも醜いし、愛想は悪いし、生まれは悪いし、品行も悪い」と誰かが言った時に、「まあ、そう言うな。彼は端麗だし、愛想もいいし、生まれもいいし、品行方正だ」などと言って、他人が自分の友人をけなして言うのを防いでくれることだ、といった具合に事細かに述べています。
そして、根本にある心持ちとしては、「あたかも母がおのが子をいつくしむがごとく」というような気持ちでもって対してくれる、と言っています。

(B)やっぱり、行雲流水、自然法爾がいいような・・・。

次です。

ー 蓄財 ー

(A)以下に詩が続きます。

(B)なし。

続きです。

「戒めをたもっている賢者は、
(山頂に)燃える火のように輝く。
蜂が食物を集めるように働くならば、
(かれの)財はおのずから集積する。」

(A)一生懸命努力し、精励であること、それを仏典では勧めているのです。財はおのずから集積するということ、それを尊んでいるのです。

(B)現代よりも、それだけ物が貴重であった、ありがたみがあった、ということでしょうね。

本来なら、現代においても、あらゆる身の回りのものに感謝ができることが理想ですが・・・。

続きです。

「あたかも蟻の塚の高められるようなものである。
このように財を集めては、
かれは家族に実に良く利益をもたらす家長となる。」

(A)家族を守る訳です。
そうして集めた財産をどうするか。それを四つに分けろ、と言っています。

(B)なし。

続きです。

「その財を四分すべし。
(そうすれば)かれは実に朋友を結束する。
一分の財をみずから享受すべし。
四分の二の財をもって(農耕・商業などの)仕事を営むべし。
また(残りの)第四分を蓄積すべし。
しからば窮乏の備えとなるであろう。」

(以上、二六)

(A)四分の一を自分で使って楽しみ、四分に二を仕事に使い、残りの四分の一を万一の場合に備えて蓄える。こうすれば朋友を結束する、すなわち友情を増すことができるというのです。
このようにして財を蓄積するということ、これを仏教では願わしいこととして、世俗人のためには説いていたのです。つまり財を尊(たっと)んでいたということが言えるのです。決して捨ててしまえ、ということを言ったのではありません。
出家者は何もかも捨て去って、共同の生活を実現したのですが、世俗の人はそうではありませんから、それぞれ一応家を単位にして、生活の方針を立てるという訳です。

(B)やっぱり、財を、物を尊んでいた、ありがたみがあった、ということですね。

次です。

ー 四つの愛護 ー

(A)さらに詩は続きます。

(B)なし。

「学識あり、戒めを身にそなえ、
柔和で、才智あり、謙譲で、ひかえめの人、
ーかくのごとき人は名声を得る。
勇敢で怠ることなく、
逆境に陥ってもたじろがず、
行いを乱さず、聡明である人、
ーかくのごとき人は名声を得る。
人々をよくまとめ、友をつくり、
寛大で、もの惜しみせず、
導き者(て)、指導者、順応して導く人、
ーかくのごとき人は名声を得る。」

(A)その基本的な態度として、四つあげています。

(B)なし。

続きです。

「(一)施し与えることと、
(二)親愛のことばを語ることと、
(三)この世でひとのためにつくすことと、
(四)あれこれの事がらについて適当に協同すること、
ーこれらが世の中における愛護である。
あたかも回転する車の轄(くさび)のごとくである。」

(A)(一)から(四)はそれぞれ、布施・愛語・利行・同事ですが、これらが世の中を滑らかにする基(もと)だ、というのです。

(B)なし。

続きです。

「もしも右の四つの愛護を行わないならば、
母も父も、母たり父たるが故に子から受けるべき尊敬も扶養も得られぬであろう。
もろもろの賢者はこれらの愛護をよく観察するが故に、
かれらは偉大となり、
称讃を博するに至るのである。」
このように説かれたときに、資産者の子シンガーラは世尊に向かって次のように言った、
「みごとです。尊師よ。みごとです。尊師よ。
あたかも倒れたものを起こし、
あるいは隠されたものを顕(あらわ)し、
あるいは迷える者に道を示し、
あるいは「眼ある者は色を見るであろう」と言って暗黒の中に油の灯をかかげるように、
そのように世尊は種々のしかたで法を説き示されました。
尊師よ。わたくしは世尊に帰依し、また法と比丘のつどいとに帰依しまつる。願わくは、世尊がわたくしを、今日より以後、いのちある限り、帰依する信徒として受けたまえ」と。

(A)最後のシンガーラの言葉は、経典にたびたび出てくる決まり文句です。その中に「世尊に帰依し、また法と比丘のつどいに帰依しまつる」とありますが、仏と法と修行者のつどい(=僧)、この三つ、すなわち三宝に帰依するのが仏教徒のしるしです。
こうして、この経典は終わっていますが、今日の私達が読んでみても、色々と教えられることの多い経典です。

(B)世尊と尊師は、釈迦のことです。しかし、美辞麗句の多いこと。やはり、昔の時代背景もあり、素直なシンガーラさんには、釈迦の教えが感動的だったんでしょうね。

~~~~~

・遊蕩~ゆうとう~生活がだらしなくて、酒や女遊びなどにふけること。放蕩。
(用例)遊蕩児。

・入り用~いりよう~目的があって必要とすること。また、そのさま。
(用例)入り用の品。

・困窮~こんきゅう~①こまって、お手あげの状態になること。
②ひどく貧しくて苦しむこと。
(用例)生活に困窮する。

・端麗~たんれい~姿や形がきちんと整っていて美しいこと。また、そのさま。
(用例)容姿端麗。

・行雲流水~こううんりゅうすい~(空を飛ぶ雲と流れる水の意から)物事にこだわらず、なりゆきにまかせて行動すること。

自然法爾~字引載っておらず~じねんほうに~仏教用語。おのずから,ということ。 特に,親鸞により重んじられた言葉で,自己のはからいを捨てて,阿弥陀如来様にすべてをお任せして生ききること。

・精励~せいれい~学業や仕事などに熱心に励み努めること。

・愛護~あいご~かわいがり、たいせつに保護すること。
(用例)目の愛護デー。動物愛護週間。

・布施~ふせ~仏教語~①人に施し与えること。
②僧に金品を与えること。また、その金品。お布施。

・愛語~字引載っておらず。

・利行~字引載っておらず。

・同事~字引載っておらず。

・帰依~きえ~神仏を信じその教えに従うこと。

三宝~さんぼう~仏教語~①仏教徒が尊敬すべき三つの宝、仏・法・僧のこと。
②仏の異称。
ここでは、①の意。

以上で、Ⅱ 人生の指針 第一部 人生の指針
第四章 人間関係 までを終わります。
次回、息抜きを挟んだ後は、第五章 ジャータカ物語 になります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①追記: 2021/01/24 04:58
②追記: 2022/09/25 10:15
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。