おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

267_原仏17ー6

266_原仏17ー5 の続きです。

Ⅱ 人生の指針 の
第二部 後世における発展 の
第六章 アショーカ王のことば ー 「岩石詔勅」の
アショーカ王のことば です。

なお、便宜上、本でなされている内容及び解説を(A)として、私の文を(B)と記します。内容は本の小見出しに従って、見ていく形にします。

ー 遍(あまね)きものへの慈悲 ー 

(A)(一部、改変・省略・訂正あり。以下、すべて同様)やがて、人々のための病院のみならず、家畜のための病院がつくられ、さらに薬草を栽培するようになりました。これらのことが「岩石詔勅」第二章に説かれています。

(B)こんな昔に家畜のためとはいえ、動物の病院をつくるとは驚きです。すごい福利厚生です。

続きです。

神々に愛せられた温容ある王の領土のうちでは至るところに、またチョーダ人、パンディヤ人、サーティヤプタ王、ケーララプタ王、タンバパンニに至るまで、アンティヤカと称せられるヨーナ王、およびそのアンティヤカ王に隣接している他の諸王の国内の至るところに、神々に愛せられた温容ある王の二種の療病院が建てられた。すなわち、人々のための療病院と家畜のための療病院とである。

(A)チョーダ人、パンディヤ人、サーティヤプタ王、ケーララプタ王、これらはみんな南インドの氏族か、王の名前であり、厳密な意味ではアショーカ王の領土には入っていなかったようですが、アショーカ王の支配の影響は受けていました。
二種の療病院がこのように制度かしてつくられたことは、人類史上、画期的なことです。
西洋では、社会的な意味をもつ奉仕的な病院がつくられたといわれていますが、その起こりは非常に遅く、5世紀頃に、西洋のキリスト教教会の付属物として、人々のためにつくられました。しかし、それ以前にはなかったと西洋の学者は書いています。これは、キリスト教以前のギリシャ・ローマ社会は奴隷経済制で、奴隷が病気になっても、看病するなどということはなかったからです。
そうした時代に、インドにおいては、アショーカ王が病院をつくり、広く人々をはじめとして病気治療を確立しようとしたのです。おそらく、人類の歴史においては最初ではないかと思います。
あるいは、貴族のための治療施設はあったかもしれませんが、いかなる人々に対しても慈悲を及ぼすという精神で病院がつくられたのは、アショーカ王が最初であると思います。
この、人間のみならず家畜のための病院は、その後インドでは伝統として続いています。つまり、中国から法顕三蔵や玄奘三蔵がインドへ行った時の旅行記に、それ(人々のみならず獣の病院があったこと)が記してあるのです。
今日でも、獣のための病院があります。例えば、霊場であるリシケーシには、役に立たなくなった牛を収用する病院があります。また、デリー中央にレッド・フォート(赤い城)がありますが、その正面にジャイナ教の寺院であるレッド・テンプル(赤い寺)があり、その中には小鳥の病院があるのです。これらの例を見てもわかるように、アショーカ王以来の伝統なのです。

(B)なし。

続きです。

そうして、人々に効(ききめ)があり、獣に効があるいかなる薬草もすべて、それの存在しないところは、どこであろうとも、そこへそれらを輸送し栽培させた。また路の傍らには井戸を掘らせ、樹木を植えさせた。ーそれは家畜や人々が愛用するためである。

(以上、岩石詔勅 第二章)

(A)この精神が、わが国では聖徳太子以来、実現されています。
特に、インドは日本よりも土地が荒れているため樹木が少ないのです。だから、樹木を植えさせることが、よけいに意味を持つのです。

(B)なし。

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・温容~おんよう~おだやかでやさしい顔つき・ようす。温顔。
(用例)師の温容に接する。

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追記: 2021/02/07 11:23 〜訂正内容〜

誤記を訂正して、注釈を追加しました。