これからいよいよミリンダ王の問いに入るんですが、私にとっては、難関というか厄介だな、と元から仏教に感じているところにもかかわる問題を含みます。
なので、もう一回、息抜きをはさむことにします。
( 270_説教 - おぶなより ) で、女性についてあれこれ私(わたくし)的な説教を書いたのですが、読み返してみたら、春雨サラダさんなら難なく意味を全部汲み取れると思いますが、女性が読んだ場合に、具体性に欠けて意味が読み取れない、わからないところがあるような気がしてきました。
なので、さらにやさしく(こっちの易しいの意味です)書いておこうと思います。
まあ、恋愛好きな女性が私の文章を読む可能性は、まずない(巷の恋愛記事とはまったく毛色が違う内容なので)のかもしれませんが、万が一ということもありますしね。
まずは、女性とやることしか考えていない男性のあり方です。
私は、男性は特別に素養を持って生まれついた人を除き、ほとんどの男性が、女性の好む表面的なやさしさや、エスコートの能力を備えていない、と考えています。
特に日本人は。
だから、女性の機嫌をとるために優位に働くこうした技量は、それなりの修練を持って身に付けなければならないのです。
そうした技量を備えている男性は、極論すれば、いわば従来からの日本人の男性としては不自然な存在です。
そんな普通の一般的な男性が本来持っていないような技量を、当たり前のように備えている。
これは、本人が意図的に習得したからこそ、持っている、備えた能力となるんです。
それは、そうすることで、女性にうまく取り入ることができて、より深い付き合いに入る突破口になることを彼らは熟知しているからです。
本丸にたどり着くためには、何だってやるんですよ、彼らは。
彼らの考えていることを同じ男として想像してみると・・・。
彼らの意識(顕在意識)にあるのは、ただ、一人でも多くの新たな女性とセックスをすることか、もうすでにそれをなし終えてセフレ状態となった女性と好きな時にそれをやることだけでしょうね。
従って、彼らのやさしさは、あくまでも、セックスをするためだけの方便としてのものであり、女性に対する敬意や慈しみから生じたものではない、と言えるのではないでしょうか。
女性は大変ですよ。
これは私の独断と偏見ですが、女性は輪廻転生を通して償うべき想いや行為に深く重いものがある、業が深いから女性として生まれると思われます。
生理、妊娠、出産は大変ですよね。これは男には、到底、理解することはできません。
生理も重い人は本当につらくてしんどいらしいし、出産も、自然分娩でも場合によっては会陰切開、胎児の状態によっては帝王切開です。
出血多量ならば、重篤になり、命にかかわることになるかもしれない。
お釈迦さんも、どういう理由かはわかりませんが、母親を早くに亡くしている。
古来は産後の肥立ち(ひだち)が思わしくなくて、亡くなられる場合も多々あったようですし。
業が深くても、これだけの重責を担って生まれてくる。
大変だなあ、と。
それに、無条件にわが子を慈しむ母親の姿は美しいですよね。
なにものにも例えようがありません。
彼らが、女性のこうした特有の事情に深く想いを致して、そのわが子に対する無償の愛に、敬意や慈しみを抱いてやさしくしている、エスコートしているのではないことだけは確かだと思いますよ。
なので、考えてみて下さい。
セックスをすることだけが本当の目的で、その後は用なしのように離れたり、疎遠になったり、それまでの対応とはうって変わって雑な扱いをするような男性が、果たして、お相手の女性を人として、一個人として尊重していると言えますか?
それが、本当にお相手の女性を大切にしている、やさしい男性と言えるのでしょうか?
たとえ、こうした表面的なやさしさやエスコートの能力を備えていなくても、お相手の女性との将来や生活設計を真剣に考えている男性の方が、はるかに思いやりがあり、やさしい男性だとは思いませんか?
こうした男性の足りないところを教育(?)して、育て上げる方がはるかにいいのではありませんか?
私には、これがわからない女性が多いから、大抵の女性があの手のチャラい男性の対応に拒絶感を抱いていないと思うんですよ。
あのやり口に簡単にのせられてしまうんですよね。
また、女性によっては、私を楽しませてくれない男性なんてつまらないのよ、チャラい男性の方が性(しょう)に合うわ、という人もいますよね。
しかし、チャラいのが楽しくても、遊んでしまったらそれまで。その想いと行為は、想いの体である幽体にすべて記録されてしまいます。
そうして、それは過去世の因縁のあらわれでない限り、輪廻転生を通して、もれなく修復しなければならないものになってしまうんですよ。
なぜならば、私達肉体人間は、真善美に悖らない(=反しない)神様の分霊(わけみたま)を本体とするものであるから。
神様の子供としてふさわしくない想いと行為は、すべてもれなくお直し頂くことになっているんですよ。
輪廻転生を通して。
厳しいですよね。
でも、仕方ないんです。
この世の中に病・争・貧・苦がなぜあるのか?
神様を善なる存在と信じて、いろいろと突き詰めて考えていくと、こうしたことがわかってくるんですよ。
あるいは、納得できなくても、こう考えていかないと、辻褄が合わない、整合性がとれないんです。
まあ、あとは信じるか、信じないかは、女性次第なんですけどね。
まあ、今はいろいろなお付き合いの指南をする人がたくさんいて、かなり女性の機嫌をとることができる男性も増えて、女性のおもてなしの水準はかなり上昇したのでしょうが。
結論としては、表面的なやさしさやエスコートの能力を十二分に備えた人がいても、その男性当人の本質ではないことが多いので、女性の方は十分に警戒して注意した方が無難ですよ、ということです。
あともうひとつは、お付き合いや結婚に、苦楽を共にする相手(男性)を選ぶことと、結婚して子供を授かりたいなら産みたいと思える相手(男性)にすることですね。
女性は、高収入、高身長、高学歴の三高をはじめとする様々な(今は三平とか言ってますが実質は同じ)条件を求めるのはなぜですか?
ご自分にふさわしい高い人間水準(?)のお相手でないと満足できないから?
じゃあ、満足って、何を満足させるの?
本当は、快適で楽な生活を得ることと、見栄を張りたいだけなんじゃないの?
潤沢な生活資金で、余裕のある生活をして、ダンナ(配偶者)自慢、子供自慢、生活自慢がしたい(=マウントをとりたい)だけなんじゃないの?
数々の難要求を満たした愛し合った男性と幸せな家庭を築き、良いことづくめしかないのを、当たり前のように考えているんじゃないの?
しかしさ。
良いことだけしかない生活、楽しいことだけしかない生活なんて、夢物語じゃないですか?
その夢物語、夢生活のための前提条件が欲しいんですよね。
だから、各種の高い条件を求める。
しかし、私達はこの世に楽しみに来ているんじゃなくて、修行に来ているんですよ。
だから、親子として生まれ合わせ、兄弟として生まれ合わせ、知己(ちき)として生まれ合わせ、夫婦として生まれ合わせる(巡り合い夫婦になる)ことで、様々な軋轢を生じながらも生きていかざるを得なくなっている。
万事みんな仲良く良いことばかりなら、楽しくていいですよね。
しかし、ほとんどの場合は違うんじゃないですか?
例えば、親子でこんな話があります。
男性一人で、あとは女性姉妹ばかりの兄弟姉妹の場合。
親は、唯一の男の子だからと幼少時からとても可愛がり大切に育ててきた。
ところが、その子は姉妹にもちっともよくしないし、親と同居したのはいいが、嫁さんの尻に敷かれて、親をまったく大事にしない。
あまりの状況に見かねた姉妹の一人が勝手に引きとって(しかも取り戻しに来なかった)最期まで面倒を見たなんて例があります。
期待して大切に育てた子供が、実質的に親孝行をしなかったんですよ。
皮肉な結末です。
ことほど左様に、ああしたい、こうしたい、うまくいくだろう、と目論んでもそうはいかないことがあるんですよ。
(過去世の)因縁がどうなって、どのように未来が展開していくのかは、普通の人にはわからないからです。
因縁を果たすために、家族のような形で生まれ合わせて、砥石のように擦り合わせて、修行をしていかなければならない場合がたくさんあると思うんですよ。
だから、良いことばかりを期待して、夢ばかり見ても、この世は修行である以上、そんなに楽じゃないのが実際じゃないかと思うんです。
そこで、ある程度の修行が用意されているものと仮定したならば、この世に生まれて、限りある生命を生きていく時に、楽しいことはもちろん、苦労を共にしながら、それなりの信頼関係を築いた人と共に生きていくことは、幸せなんじゃないかな、と思うんですよ。
同時代を苦楽を共にしながら、生きていける。
それだけでも、たぐいまれな、奇跡的な巡り合わせであることに気づいて感謝していけるようになれば幸せだ、と。
だから、苦労をも共にできると思える惚れ抜いた男性を選びなさい、と書いたんです。
子供に関しても、器量のいい子を産みたいからと、イケメンの遺伝子が欲しいだの云々言ってる人もいますが、そんな簡単にいきますかね?
ある程度の傾向は反映される可能性はありますが、結局は因縁次第ですよ。
因縁がよくなければ、どうなるかは保証の限りではない。
人間の遺伝子情報は、数十億以上の膨大なものですよ。
あらゆる因縁に対応できるように、設計図の幅を持たせているように思うんですけどね。
仮に、器量が良さげな子供が首尾よく授かったとしても、その子の人生が順風満帆になる保証なんかどこにもないのではありませんか?
すべては因縁次第なのですから。
例えば、美人に生まれつけば、生涯年収云々だのと、学者さんの話(?)かなんかがありましたね。
あれは、美人が何のトラブルもなく、つつがない人生を送れた時にその可能性もあるという程度の話でしょう?
美人だから、何でもいいことばかりとは限らないんですよ。
例えば、こんな話がありました。
ある美人とされる女性がとある繁華街を歩いていた時のこと。
彼女はいきなり腕を捕まれて連れていかれそうになったそうです。
怖いですよね。
美人に生まれついたばかりに、よからぬ人間に目をつけられて、どんな目に遭わされるかわからない恐怖を味わったのですから。
彼女はそれ以来、その繁華街には絶対に行かないようにしているそうです。
前に超絶美人に生まれつきながらも、一切の恋愛が成就せずに、孤独に亡くなった女性の話を書きましたが、外見だけでその人の人生を断定するのが、いかに浅いかがわかろうというものではないですか?
だから、外見、外見と言ってばかりいないで、まずは、信頼関係を築いた大切な人生の伴侶の子供を授かって、さらに容姿が良ければ、なおのことありがたいぐらいでいいんじゃないですか?
だから、結婚はこの人の子供を産みたい、この人の子孫を私(女性)と共に、この世を一生懸命に生きた証として、命をつなぐ絆として残していくことができれば、これを幸せだと考えていいのではないですか?
それで、あのように書きました。
ちょっと長くなりましたが、(女性の方にとっては)いくぶん説明不足だったかなという点を補足してみました。
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①追記: 2021/02/15 08:52
②追記: 2021/02/15 12:58
③追記: 2021/07/09 12:23
④追記: 2024/04/21 18:15
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題および文章を加筆・訂正しました。