前回( 285_因果律 )に書いた因縁因果や過去世の話を再度します。
自分としては、できるだけわかりやすく、平易に、と考えて書いているつもりなのですが、あとから読み返して見ると、どうもモヤモヤとした書き方だなあ、と感じるところがあったりするので、補足をします。
あれでも、少しは推敲をして書いているんですけどね。やっぱり、あらゆる方面で基本的に力不足なんだな、と痛感しております。
で、前回( 285_因果律 )の中で、わかりにくいと思われる箇所を追記します。
現世での不条理な出来事、苦しみの原因、因縁の大半は過去世にあり、これは特別な人を除いて、一般的な私達にはわからないものとなっている、と書きました。
まずは、特別な人を除いて、一般的な私達にはわからない、という意味についてです。
特別な人というのは、仏教でいうところの宿命通(しゅくみょうつう)を備えた人のことを指します。
宿命通とは、自らや人様の過去世のすべて、輪廻転生を読み取ることのできる能力のことです。
なお、過去世とは、その人(当該の霊魂魄)が何回も輪廻転生を繰り返したその全体像を言います。
宿命通は、神様のおはからいで特別な使命を帯びてこの世に遣わされた人や、個人的にかなりの修行を積んで獲得する(これも結局は過去世の因縁からそのように守護の神霊さんに導かれた人である可能性が高い)ものです。
だから、それ以外の一般的な私達には、縁がない、備わっていない能力なので、あのように書きました(ただ、私達は霊性が開発され尽くして神様の子供そのままのようになることができれば、誰しもが仏教でいうところの六神通(ろくじんつう。宿命通はその中の一つ)を備えることになるんでしょうけど)。
一個人の過去世のすべてを俯瞰(ふかん)することができれば、原因たる過去世の因縁から導かれた今現在あらわれている結果としての因果の関連の、一部始終をすべて理解することができることになります。
そして、これをただ知ることができるだけでなく、その当人が高い霊性を備えて、適切に人を指導して導ける人格者であることが必須となります。
従って、今現在あらわれている結果としての因果から、一般的な私達がわかることは、できることは、逆算と類推しかありません。
今現在の因果から、過去世であったことを逆算類推することしかできないのです。
今までに、何回か私達は神様の分霊が本体であり、その本質は神様である、と書いてきました。
神様は、全知全能、真善美に悖らない、完全円満な存在です。
ならば、自己保存の本能を付与されたとはいえ、私達肉体人間も、本来であるならば、神様であり、真善美に悖る想いや行いをすることはあり得ない、あってはならないことになります。
従って、肉体人間を使って、神様の世界をあらわすためとはいえ、その過程において生じた真善美に悖る想念や行為は、すべて消し去り、その想いや行いで生じた霊魂魄の汚れは浄めなければなりません。
そうして、最終的には、肉体身を持ったままで、神様のみ心をあらわし得る、神様の想いや行いをそのままあらわすことのできる肉体人間ができれば、悟りを得たということになります。
世界がこうした人で構成されるようになれば、神様の世界が地球の物質世界に映し出された、地上天国が出来上がる、となるのだと思われます。
とにかく、このような完全円満を欠いた部分を、穴埋めして修復するために、様々な因果があらわれてくると考えられるのです。
だから、今生で神様の想いや行いとしてはふさわしくない想いや行いがあれば、そこから逆算して、真善美が損なわれた想いや行いが過去世であったんだな、と推定できる訳です。
原則としてほとんどすべての人は過去世の記憶を持たない(あっても幼少時までに消えるか、記憶を持ったま夭折(ようせつ)するかなどしかない)から、これしか原因である因縁を知る術(すべ)がないんですよね。
ただ、それが、何代前の過去世での出来事か、相手方をはじめ、詳しい状況はどうだったのかまでは、宿命通を備えた人でなければわからない、ということになります。
以前、ごく簡単な事例として、傲岸に殴ることや身勝手な浮気などを挙げました。神様ならば、神様が本質であるならば、こうした想いや行いは、絶対にあってはならないことです。
なので、今生で何の思い当たる節がないのに、こうしたことが起きてくるというのは、自らが過去世でこうした想いや行いをしてしまっていた可能性がきわめて高い、ということになる訳です。
もちろん、過去世の因縁を原因とせずに、今生で新たに起こされた想いと行いの可能性もある訳ですが、大半(8割以上?)は、過去世を原因とするものであるらしいのです。
よって、何があっても、常識的な対処のほかは、とりあえず過去世の因縁が現世(この世、今生)で時を経て消えてゆく姿だとしておいて、祈りと感謝行で何とかおさめていくしかないように思うんですよね。
とにかく、できるだけ、あらゆる場合において、愛を行じる、そして、祈りと感謝行で神様にすがって、何とかやっていくしかないのかな、と。
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①追記: 2021/03/08 02:43
②追記: 2021/03/08 03:49
③追記: 2021/07/09 23:38
④追記: 2021/07/09 23:46
⑤追記: 2021/07/11 17:30
〜訂正内容〜
上記複数回にわたり、表題および本文を加筆・訂正しました。