おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

299_多様4

神様のみ心においてみんなを崇(あが)める。

これは老若男女、あらゆる人を問わない訳です。

肉体人間の本体が神様の分霊(わけみたま)、分け命であるならば、どの人にも神様の命が宿っていることになる。

赤ちゃんからはじまって、おじいさんからおばあさんまで、すべての人に宿っている。

どんな善人にも、そしてこれを信じたくもないようなひどい人にも。

何回も書きましたが、人間は肉体だけでは生きることができません。

なぜならば、心臓をはじめとする五臓六腑が、眠りについているときでさえ、絶え間なく働いてくれていることの説明がつかないからです。

何らかの働きかけがあって、この肉体は有機的な組織として機能している。

そして、その働きかけがなくなってしまえば、肉体はまったく動かなくなり、干からびていき、物質に帰してしまう。

これは、動物、例えばペットなどを見ればわかります。

肉体人間の場合には、その働きかけが、神様の分霊になる訳です。

そのように理解できるはずです、宗教を、神様を信じている人ならば。

祈りは、命を宣言すること、宣(の)りだすこと。

従って、肉体人間にとって祈りとは、私は神様の分け命を、神様の命を生きている者です、と宣言すること。

これに照らして見る時、世界平和の祈りは、ちゃんと理屈に合っています。

神様の世界を現界である物質世界にあらわすためとはいえ、肉体人間に自己保存の本能が与えられたことで、真善美に悖(もと)る想いと行いをたくさん重ねてしまったために、これを矯正するべく、病争貧苦を招く数多くのつらい修行を伴う大変な世の中になっていますけど。

世界平和の祈りは、こうした大変な浮き世ではあるけれど、みんな本来の神様のみ心をあらわして、調和の取れた世界が実現しますように、という意味を持つから、神様の命を宣言していると言えます。

で、神様がその写し身としての人類を、陰陽に、男女に、肉体人間としては有性生殖の形で世代を引き継がせていく形をお取りになったということは、男性と女性が、お互いに置かれた立場と固有の働きを活かしながら、尊重し合い、協力し合っていくことを基本に据えている、と考えることができる訳です。

それなのに、ああ、それなのに、因縁因果のなせる業か、いまだにああでもない、こうでもないと互いの属性の正当化を巡って論争している方々がいらっしゃる。

動物の行動や遺伝子の行動の功利的な面を取り出し、これを人間に援用したり、本質としたがるのは、もっと厄介です。

人間は動物そのものじゃない。

人間は遺伝子の乗り物じゃない。

因縁因果次第なんでしょうけど、いずれはご理解頂いて、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして下さることを望みます。

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崇める~尊(たっと)び敬(うやま)う。

すみません。ボタンを押し間違えて、注釈を加えないままの文章を出したので、一旦、削除し、文章を出し直しました。失礼致しました。

表題を入れ忘れて、再度訂正更新しました。申し訳ございません。

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追記: 2021/03/30 23:17 〜訂正内容〜

本文を再度加筆・部分削除・訂正しました。