9 心を具体的にとらえるには_その3
あらゆるもののなかで、先立つものは心である。
あらゆるものは、心を主とし、
心によってつくりだされる。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、
苦しみはその人につきまとう。
荷車を引く牛に車輪がついていくように。
(一) (第1章 対句 より)
以下、スリランカ仏教界の長老のアルボムッレ・スマナサーラさんを、S さんと略します。ご了承下さい。
前回(314_法話50-9-2)の続きになります。
前回と同様に、心とされるものを想いと読み替えて話を進めて行きます。
あらかじめ、ご了承願います。
そして、S さんは、(今現在の)想いがすべてを決めるのだとして、法句経(ダンマパダ)の、さらに、別の一節を紹介しています。
以下は、前回までに書いた霊性の視点とは違った話になりますが、とにかく、S さんのお話は、仏教界の先達者のお話としてご紹介します。
おそらく、この方が仏教に親しまれている方としては、一般的な話になると思います。
なお、想いの解釈についてどのようにお考えになるかは、お読みになる方のお考え次第です。
何をどう選ばれて、どうお考えになるかは、あくまでも読まれる方のご判断次第です。
では、以下に S さんのお話を見ていきます(改変・省略などあり)。
心はとらえ難く、軽々とざわつき、欲するがままにおもむく。
その心は制御した方がよい。
よく制御した心は、安らぎをもたらす。
(三五) (第3章 心 より)
S さんは、想いはとても動きが速いと言います。
瞬時に笑いが起き、時には怒り出す、と。あまりにも速いので、怒った時にはその想いの動きに気づかず、取り返しがつかない後になってから、まずいことをしたと気づくとしています。
そして、お釈迦さんが、心(想い)をおさめたら、安楽をもたらす、としているとし、心(想い)を清らかに向上させることが仏道だとします。
そのためには、想いを具体的にとらえなければならない、と言います。
そして、日常生活の中で想いをとらえるための方法として、各種の所作をゆっくとさせて、時間をかけて観察することによってとらえることにより、想いをおさめることができるとしています。
こうして、日常の些細なことから、落ち着きを体得して行けば、想いをおさめ、人生を落ち着いたものにできるとしている。
S さんは、心をおさめるには、自らの体の動き、呼吸、歩き方、動作、そして、感情などの具体的な動きから、心をとらえていくとしています。
今起きている心の動きをつかまえた時、はじめて心をおさめることができるとします。
このように心をおさめる方法を、誰でも具体的に実践できる道として説いたのが、仏教だとしています。
そして、日常生活の中で、心をつかむ(観る)訓練の仕方を紹介しています。
1日に1回でもゆっくりと時間をかけて食事をする。食事に要する動作の一つ一つを丁寧に確認していく。
「座ります、
食べます、
見ます、
箸(はし)をとります、
運びます、
口に入れます、
噛(か)みます、
味わいます、
飲み込みます」
としていきます。
そして、同時に食べる時の感触をよく味わうこととされます。
食べ過ぎの人は、ストレスによるイライラを解消したいと無意識に食べてしまうので、ゆっくり時間をかけて食べるようにするのがよい、とのこと。
そうすれば、体には必要なものが入っただけで、満足感が得られるようになり、痩(や)せすぎの人も太りすぎの人も、ちょうどよくなっていくとしています。
こうして体自体が必要なものかわかるようになると、不必要なものは、自然に食べたくなくなる、とされています。
このように、S さんは、ストレスを生じさせないことが、適切な食事の摂取につながるとお考えのようで、その観点から、菜食主義への固執も避けるように、としています。
菜食主義への固執は、ストレスを招くから、と。
以下の通りです。
「私は菜食主義で肉は絶対に食べない」などと思う必要はありません。主義に固執していると、それがストレスになって、頑固で落ち着きがなくなってしまうからです。頭では菜食でいこうと思っていても、心は肉や魚を欲しているので、無意識にストレスがたまってしまうのです、と。
この食事の瞑想をすると、今まで発見できなかった味がわかってくるそうです。高級グルメを探し求めなくても、ニンジンをそのまま食べてみればびっくりするほど美味しくかんじられるでしょう、としています。野菜そのものの味がして、とても美味しい、と。
S さんは、野菜の青臭さとか、苦味とか、素材そのものの本来の味を味わうことをすすめています。
ゆっくりと丁寧に食事をしていると、最初は苛立(いらだ)ちがでるかもしれませんがら、それでも実践してみるように、と。
それができるようになれば、人生の苛立ちまでもが解消されてゆくそうです。
そして、このような日常の些細なことから、落ち着きを体得していけば、いつでも人生を落ち着いたものとすることができる、としています。
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・仏道~ぶつどう~仏教語~仏の説いた道。仏教。また、仏果。
・仏果~ぶっか~仏教語~仏道修行によって得られるよい報い。成仏という結果。
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①追記: 2021/04/10 11:18
②追記: 2021/04/26 12:45
〜訂正内容〜
上記 2 回にわたり、本文を加筆・訂正しました。