おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

317_法話50-11

11 過去を思い悩むのは不幸になる訓練である

この道を実践するあなたたちは、
苦しみを終わらせるだろう。
私は苦しみの矢を抜いて
癒(いや)す方法を知っているので、
この道を説いているのだ。

(二七五) (第20章 道 より)

ちょっと、この経文が、どのような前後関係から出てきているのかわかりませんが、とりあえずは、S さんのお書きになっている内容をまとめて、これを霊性の別の視点からも見ていきたいと思います。

人は嫌なことほど鮮明に覚えているもので、そうしたことを何度も思い出しては、悩み、怒り、悲しむものであるという。

しかし、こうした自分を苦しめた相手は、罪悪感もないばかりか、忘れているかもしれない。これは、あれですね。悪いことに関しては、やった方は忘れても、やられた方は忘れないということですね(表層意識、顕在意識の上では)。

S さんは、これは終わったことを心に持ち続けていることで、矢が刺さったまま抜くことをせずに、痛い痛いと嘆いているようなものだ、としています。

S さんによると、お釈迦さんがこれを「遺体を背負って運んでいるようなものだ」としていた、と言っています。

矢を抜かずにいれば痛く苦しいだけだし、重たい遺体を背負っていては、いたずらに疲れるだけだから、過去のことを思い悩む人は、不幸になる訓練をしながら、生きているようなものだ、としています。

ここから、S さんは、自分の幸せを壊しているのは、自分を害した人々ではなく、その悪いことをいつまでも忘れずに怨み続けている自分の心だと言っています。

そして、人は真理に目覚めていないと、色々な間違いを繰り返すので、自分に害をなした人間も、やりたかったからやったのではなくて、真理がわからないためにこのような過ちを犯したとしています。

これを、子供の例でこう説明しています。子供が何か過ちをしでかしても、「まだ、この子にはわからないことだから」と許してあげるように、自分を害した人を怨むのではなく、許す方が賢い生き方だとしています。相手に仕返しをすることでは、決して幸福を得ることはできないとも。

S さんの言われた概要を、霊性の観点からとらえ直してみたいと思います。

あくまでも、私個人の勝手な独断と偏見ですので、色々、異論があるかもしれませんが、お許し願います。

まずは、この世(現界)も神様のおつくりになった、神様の世界です。

従って、真善美に悖る事柄の存在は、基本的に許されないと考えられます。もしも、あらわれてしまったら、時間をかけてでも、必ず消し去られてしまうことになります。

この世で起きてくる悪い事柄は、二通りある。

一つは、今現在から単独で新たに起きるもの。

今一つは、あまたの過去世の因縁から、神様の世界では基本的に存在が許されないと思われる、その真善美に悖る、悪い事柄の清算のために、起きるもの。

で、この世で起きてくる悪い事柄は、後者、すなわち、過去世の因縁の清算として起きてくることが多い。

おまけに、私達肉体人間は、ごく一部の例外的な人を除いて、あまたの過去世の記憶は消されまたままで生きている。

従って、原則としてほとんどの人は自分が過去世において何かしら人様を害したような悪いことをしていたという記憶はないのです。

これまで、宿命通のことを何回か書きましたが、この宿命通がないと、こうしたことはわからない訳です。

自分が過去世で、人様をいわれもなく、身勝手に苦しめたり、害したり、という悪いことは忘れ去ってしまって、今、生きているんです。

そんな時、多分、守護の神霊さんのおはからいやお考えもあるとは思いますが、自分がその過去世において害をなしていた相手から、その清算として逆に害されたらどうなるか。

ただ、今現在、いきなり自分を害してきた相手が悪いだけだとしか思えないのです。

なぜならば、過去世の自分の相手に対する過ちの記憶がないのだから、理由もわからずに悪くやられたら、到底、承服できない。

許せない。

これを、承服できないで、新たに怨んだり、怒ったりしてしまうと、さらに、悪い因縁をつくり、輪廻転生を通して、その清算の過程が折り重なって増えてしまう。

清算できないどころか、新たな悪い因縁を増やしてしまうからです。

こうしたことが考えられるので、あまり悪因縁が増えすぎないように、守護の神霊さんが、ある程度、輪廻転生の上での清算の時期を見はからって下さるのではないか、と考えられるんですよね。

例えば、輪廻転生のこの時点なら、この人間は、悪因縁の清算を受け入れる、悪因縁を解消できる、とわかる時点に配分するといった形で。

でなければ、別の形での因縁のお振り替えか、霊性の開発による、因縁の解消につながる縁にお導きになるとか、などが考えられます。

そうした、様々な形で、因縁を因果として解消させるなりして、因縁、特に悪因縁は、必ず消失させるように、お考えになっていると思うんですよね。

こうした仕組みの概要を素直に理解して、あらゆることに感謝をしていた人達、特に悪いことも、神様のおはからいとして、感謝していた信仰者が、妙好人だと思うんですよね。

どんな嫌なことが起きても、すべては阿弥陀如来様(神様)が、自分を仏の子供として救いとって下さるためのおはからいだ、として。

自分を罪悪深重の凡夫として、低く低く置いて、自分が過去世でなしてしまっていた悪いことをこうした形で浄めて下さることで、自分の至らないところを直して、仏の子として磨いて下さっている、救って下さっている、と。

これが、霊性的な見方で、特に浄土門や世界平和の祈りに、共通する考え方だと思っています。

S さんのお書きになっている内容は、現世内での解決方法なのかもしれませんが、私は勉強不足なので、これを上手く理解することが未だにできていません。

学んでいきたいと思います。

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追記: 2021/04/26 12:46 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。