おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

324_法話50-14

14 ありのままの自分を明確に観る

もろもろの心の汚れを落としたいのなら、
昼も夜も目覚めて(気づいて)
涅槃(永遠の安らぎ)を目指しなさい。

(二二六) (第17章 怒り より)

個人的な独断と偏見ですみませんが、また内容を S さんのものと変えます。

S さんは、どちらかと言うと、呼吸法やお釈迦さんの教えのヴィパサナーという心の訓練法に重きを置いた話になっていますが、これが元々は、ある状況で説かれた教えとされ、こちらの方が、わかりやすい気がしたからです。

訳文もだいぶ変わりますが、見て見ます。

つねに目覚めて怠らず、
昼にも夜にも学びつつ、
涅槃に向かう者達の、
諸煩悩は消え失せる。

あるところにいた身分の低い女性が夜遅くまで働いていた時、山を歩いている比丘(びく)達を見かけて、自分は仕事に終われて未だに眠れないが、彼らは夜通し寝られない事情があるのか、と思った。翌日の朝に托鉢に出ているお釈迦さんを見かけた彼女は、自分でもできるお布施をしようと、米の粕で作った粗末なお菓子を差し出した。お釈迦さんは喜び、彼女の比丘達への心配を取り除くために、昨夜の比丘の行動の理由を教えた。私の弟子達は、修行のために覚醒して眠ることがない、と。

そして、上記の言葉(詩のこと。仏教の経文だから偈(げ)のこと)を告げられると、彼女はその最後に聖者の境地に達した、というお話のようです。

それだけで、見た経験を踏まえていただけで、聞いただけで、そんなパッと悟れるのかな、とも素人目には思いますが、まあ、そうされているから、そうなのでしょう。

ただ、霊性の観点から考えることができるのは、彼女はその時点で低い身分に生まれついていても、あと一歩で悟りに至ることができるほどの、あまたの過去世の積み重ね、霊的な研鑽があり、それで、悟りに至ることができたと考えることはできますけど。

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①追記: 2021/04/15 22:38
②追記: 2021/04/27 06:07
〜訂正内容〜

上記 2 回にわたり、本文を加筆・訂正しました。