おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

329_法話50-18

18 一旦停止する

心はとても見難く、
きわめて微妙であり、
欲するがままに飛び回る。
智慧ある人は心を守る。
守られた心は安らぎをもたらす。

(三六) (第3章 心 より)

これは 9 心を具体的にとらえるには で引用されていた以下の (三五) (第3章 心 より)に酷似していますね。

心はとらえ難く、軽々とざわつき、欲するがままにおもむく。
その心は制御した方がよい。
よく制御した心は、安らぎをもたらす。

これについては、S さんのお話をまとめてあります( 315_法話50-9-3 )ので、ここては省略させて頂きます。

で、今回の (三六) なんですが。

S さんによると(なお筆者による改変・省略などあり)、(物事などに、あるいは無意識に)自動的に(言動などで)反応してしまうところの心(この場合はやはり想いの方が適切に思える)をおさめることによって守るためには、一旦停止をすると良い、とされます。

これを体得することで、人生はかなり上手くいくようになるとのこと。

そうすれば、不用意な言動(発言や行動)を未然に防ぐことにつながるからと。

それには、感情がわき上がり、言動化する前に、一旦停止、ひとまず立ち止まって、呼吸をしてこれを意識する、気づくようにするとのこと。

そうすれば、外部から自分を観察できるようになり、わき上がった感情をおさめ、心をおさめることになるとのこと。

なお。

霊性の面からは。

どなたでもおわかりになるとは思いますが、精神を集中あるいは統一して心を、つまり、想いを無にするのはきわめて難しい。

まず、不可能と言える。

常に、何らかの想いが頭の中を駆け巡り、まず、無にはできないからです。

これが、おそらく五井先生の本にあった、過去世からの想いや現世の想いの転回過程によって、様々な想いが次々と潜在意識から押し出されて、わき上がってくることなんでしょうね。

過去世からの意識が深く関わっているということは、肉体人間の想いの世界の幽界を、耕して浄めておくことが望ましい、となりますね。

あまたの過去世からの真善美に悖る様々な業想念が、想いの世界に溜められているであろうことに鑑みれば、やはり、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして、可能な限り、想いの世界をきれいにしておくことが、転ばぬ先の杖になりますね。

そうすることで、業想念の具現化、この世でのあらわれ、ひいては、来世以降でのあらわれを減らすことができるから。

そうなると考えられます。

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追記: 2021/04/27 06:16 〜訂正内容〜

本文を加筆・訂正しました。