43 仏を念ずる
仏弟子は、
いつもよく覚醒していて、
昼も夜もつねに仏を念じている。
(二九六) (第21章 さまざまなこと より)
また、以下、一通り S さんのお話を見ていくと(かなりの要約・意訳・改変などあり)。
仏を念ずる。それはお釈迦様はいかなる人かを確認することだ。お釈迦様を具体的に念じていくと、人生のアドバイスがえられ、励みを得て自分を向上させることができる。
上座(部)仏教の国は、お釈迦様の像を礼拝する。お釈迦様は、私達の偉大なる指導者、師匠であり、慈愛をたたえた母親のような存在だ。彼は雲上人ではなく、人間として人格を完成した人なのだ。どんな悩み事に対しても見事に答えている(??じゃあ無記は?)。
ゆえに、私達はお釈迦様の人格を尊敬し、生き方を学び、教えを実践するために礼拝しているのだ。彼の歩んだ道は、私達の模範になっているのだ。
お釈迦様は如来である。如来の徳の1つは、自ら実践したことのみを、人々に語っていることだ。自ら実践しないことを語ることはしない。彼に倣(なら)うならば、人にあれこれ言うよりも、まずは、自ら実践することが必要だ。もちろん、自分の子供に対してもこれは変わらない。誰に対しても、だ。
生きるのは大変苦しいことだ。逆境になれば悲しみにくれることにもなるかもしれない。しかし、お釈迦様を念じれば、自分に負けてはいけない、という気持ちになることができる。
お釈迦様は、6 年もの大変な苦行をした。これは、私達がどんな逆境に陥っても、それを乗り越えるのだ、負け犬になってはいけないのだ、というメッセージでもある。
だから、彼のことを念じれば、心が明るくなり、落ち着いてくる。困難があっても、それを克服しようとする気持ちになることができる。
また、私達は欲をかいて失敗することもある。そこで、お釈迦様を念じれば、欲から離れようという気持ちになれる。
お釈迦様には、諸々の国王をはじめ、さまざまな人々から布施があった。しかし、彼は、決してこれらにこだわり、しがみつくようなことはしなかった。
病気になった時にも、すべては移ろいゆくものである、と淡々としていた。
このように、お釈迦様の人生そのものが、生誕から死ぬまで、ずっと模範になるのだ。
彼を念じていれば、悩んだり、途方に暮れることは、決してない。熟睡して、爽やかに目覚めた時のような、あの爽快な生涯を生きることができるのだ。
だそうです。