おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

365_法話50-48

48 千のことばより一つの実行

美しくてあでやかな花でも、
香りのないものがあるように、
よく説かれた言葉も、
実践しない人には実りをもたらさない。

(五一) (第4章 花にちなんで より)

(お断り)経文の一部を改変(漢字化)しています。ご了承願います。

何か、奇しくも前回(364_法話50-47)の(注2) の後半で書いた内容と重なりますね、これは。

前回は、八正道などの教学から話がそれて、お釈迦さんの実質的な教えの話から、教学と実際の私達の想いや行いの関係について、少し言及しました。

その小難しい教学(ごめんなさい)に、ある意味で刺すような内容じゃないですかね、今回のお話は。

あくまでも、人としての実際の想いと行いのあらわれが何よりも大事なんだ。

尤(もっと)もらしく能書きばかり言っていても、どんなに美しい美辞麗句を並べ立てても、いかなる精緻な理論を組み立てても、飾りものでは意味がないんだ、というような内容ですからね、これは。

とりあえず、また S さんのお話をまとめたいと思います(要約・意訳・改変・省略などあり)。

インドの人にとって花はとても大切だ。食事と同様に日常生活で重要な役割を持っている。単に観賞だけではなく、神様に捧げたり、健康に用いられたりするからだ。

花は見た目だけではなく、香りも大切とされる。ジャスミンの花は香りもよく、様々な儀式に使われる。また、体調が悪い時には花を体につけて治すこともある。花をお茶にしたり、ベッドにしいたりすることで、悪いエネルギーを体の外に出したりするのだ。

ジャスミンの花で作ったレイを首にかけると目の疲れがとれるし、花の香りは心身をリラックスさせる働きがある。柔らかく自然な香りは、心を穏やかにして怒りを鎮めるのだ。

このように、花の美しさは香りと相まって、心身を癒(いや)してくれるのである。もしも、美しい花が、見た目の美しさだけでよいのならば、造花でもいいことになる。

これと同様に、どんなに美しい言葉も、どんなに素晴らしい真理の言葉も、日常生活に役立たなければ、香りのない花のようなものだ。

お釈迦さんは、「学びに努める者は、巧(たく)みに花を摘(つ)むように、真理の言葉を摘み集める」と説いた。

花びらの一つ一つを糸で通したレイや、美しくアレンジされた生け花を見るのは喜びだ。それと同じように、お釈迦さんの真理の言葉が、日常生活の一つ一つに実践されて、生き方となるならば、これは素晴らしいことだ。これは彼の次の言葉にあらわれている。

美しくとても洗練された言葉を厳選して、
人が感動する言葉を千以上も話しても、
それはただの無駄話です。
それに対して、たった一言でも、
心に気づく言葉があれば、
それだけで充分です。

(一〇一) (第8章 千という数にちなんで より)

真理の言葉を自ら実践することによって、生活の中での気づきを深めるーお釈迦さんはその大切さを繰り返し説いている。

しかし。

こうした話を読むと、花はやはり生きているし、紛れもなく神様の創作作品ですね、これは。

人に寄り添い、病気の治しや、癒しをしてくれるお花さんは、どんな気持ちなんだろう。

その、はかない命を捧げてくれるのだから、人生を贅沢三昧や遊興三昧に使う訳にはいかなくなってしまうだろうな。

花をよく観察するとわかるけど、本当にきれいだし、不思議だ。肉体人間には、まったくのゼロ(何もないところ)から創作することはできないもんね。

せいぜい、遺伝子操作(これだって良いのかどうかあやしい。よくわからない)するくらいしかできない。

花が生きているのも、不思議な力。造形、色彩、香りも不思議。そのお作り、設計はどうなっているのだろう。育っていくのも不思議な力。

やはり、神様がなさしめている、命の設計図と、命の存続と成長の力をお与えになっているとしか考えられない(このように考えてくると、やたらに摘むのも気が引けてくる)。

従って、摘むにしても、何かに使うにしても、それなりの感謝を伴うことが、本来ならば必須であるという考えに行き着いてしまう。

私達としては、使わせてもらいながら、世界平和の祈りとともに、お花さんの天命がまっとうされますように、と祈るくらいしか、できることはないでしょうね。

これと同じように、私達肉体人間も、生かされていることを、心にとどめておくことが、大事なように思いますね。

なお、形式よりも、内容だよ、という話に関連して、五井先生の本にこのようなお話がありました。

百知不及一実真行
誠実真行勝万理識

百知は一実真行に及ばず
誠実真行万理を識(し)るに勝(まさ)る

神様は肉体人間を故(ゆえ)あって、この世にわざわざ送り出している。

お産みになっている。

成長していくのも、生きているのも、神様によっている。

ならば、神様のみ心に沿うように、生きていくのが、最善と考えられる。

従って、その肉体人間の想いと行いが鍵となる。

すべてと言える。

だから、実際の(結果として出される)想いと行いが大事。

過去世からの輪廻転生を通した想いや行いの集積がその人の今の人生をつくり、今、この世の想いや行いが来世以降のこれからのその人の人生をつくり、そのさらなる集積が世の中全体の動向となるものならば、整えて良きものとしていくことを、私達としては目指していかざるを得ない。

そうでないと、なかなか神様の世界はあらわれないし、神様のみ心にそぐわない想いや行いのために、いろいろと苦労を味わうはめになるから。

だから、想いや行いが出るまでの過程が大事であり、良きものとして整えていくことも大事。

だから、真理の想いと行いが、できること、これに尽きる。

従って、過去世からの想いを浄め、現在の想いも整えることが、大事。

そのように考えます。

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・尤も~もっとも~①道理にかなう(適う)さま。
(用例)尤もな意見。
②(接続詞として)そうはいうものの。ただし。

・尤もらしい~①いかにも道理にかなっているようなさま。いかにも本当らしい。
(用例)尤もらしい話。
②いかにも真面目であるようなさま。
(用例)尤もらしい顔つき。
ここでは、①の意。

・適う・叶う~かなう~①求められた内容を満たす。当てはまる。うまく合う。
(用例)理に適③。時宜に適う。
②思い通りになる。望みが実現する。
(用例)念願が叶う。叶わぬ恋。
③力が及ぶ。匹敵(ひってき)する。
(用例)彼に適う者はいない。
(参考)適うは思うようになる、叶うは力を和合する意。③は、敵うとも書く。

・美辞麗句~ひじれいく~たくみに飾って表現した言葉・句。暗に内容や誠意がないことをいう。
(用例)美辞麗句を並べる。

・レイ~ハワイで客の首にかけて歓迎の意を表す花輪。

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①追記: 2021/05/09 04:10
②追記: 2021/05/09 08:51
③追記: 2021/05/10 00:01

〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、内容を加筆・訂正しました。