おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

406_法悟28-19-2

第 3 週 賢者の道を歩む

5 「好き・嫌い」という重荷を捨てる

自分の道を外れることに親しみ、
自分の道を歩むことに親しまない。
人生の目的を捨てて楽しみにしがみつく人は、
自分の道を歩む人を羨(うらや)むようになる。

(二〇九) (第16章 愛しきもの より)

勝手にやります。

S さんの話は、何だか、いとも簡単に、良いだの悪いだのとなっているけど、何がそうなのかを、とりあえずは規定したい。

まずは、前提として私達肉体人間は、最終的にこの世に神様のみ心をあらわした、安寧と調和に満ちた世界をあらわすべく、その世代を引き継ぎながら生きていく存在である。

そのために、適切な想いと行いが「良いこと」、これから外れるものが「悪いこと」と、とりあえずは規定できる。

神様の分け命である霊なる人間は、肉体をまとい肉体人間となると、自己保存の本能と五感にまつわる各種の欲望を満たすべく、生きていくようになる。

このような生き方では、どうしても、その想いと行いは、上記の「良いこと」から外れがちになる。

端的に言えば、快楽追求、刹那(せつな)的な追求、虚栄心追求などになりやすい。

S さんの言う人間が「悪いことしか好まない」としているのは、実はこうした意味にとらえるべきだ。

人間=肉体人間観と自己保存の本能から、本来の「良いこと」をおろそかにしがちになり、「悪いこと」に走りがちなことを指している、と解釈すべきである。

決して、肉体人間それ自体が「悪いこと」しか好まないのではありませんよ。本質は神様なのだから、神性(仏性)があるのだから悪い訳がないでしょう。

第一、大先生のお釈迦さんは、肉体人間の誰もが悟れることを明言していたじゃないですか。

そもそも、本質が神様(仏様)でなければ悟りは開けないではありませんか。

S さんの見方は、荀子性悪説を唱えながら、肉体人間は悟りを開けるといった、肉体人間に対する見方に食い違ったものが同居しているように見えるんですよ。

神様の分け命たる霊なる人間は肉体をまとって肉体人間となると、その想いと行いが「良いこと」から外れがちになるから、本来なすべき「良いこと」を意識的に行うべきだ、ということになる。

この本来すべき「良いこと」が、S さんの言う、「やるべきこと」に相当する訳です。

この「良いこと」をすることにより、ひいては人類が、最終的な神様のみ心をあらわした世の中を目指して、協力し合って生きていくことに最終的にはつながっていく。

S さんは、何の断りもなく、たた漠然(ばくぜん)と「やるべきこと」としているが(何故に「やるべきこと」なのかの根拠が書かれていないから)、その根底にはこれがあると考えられる。

この「良いこと」が、「やるべきこと」に相当するのです。

場合によっては、享楽的・刹那的にまでなる可能性のある「悪いこと」は、ちょっとした慰めや息抜きになる場合はあるかもしれないが、基本的には「良いこと」を遂行していくにあたっては邪魔になる。

妨げとなるのだ。

好き嫌いで「やるべきこと」を決めるということは、この「悪いこと」ができるか、できないかを、判断基準としていると読み替えることができる。

従って、私達肉体人間は、「悪いこと」=好きなこと、に流されがちではあるが、あくまでも、「良いこと」=最終的に神様のみ心をあらわした世の中につながるために有益となる、世代を引き継ぐための生き方をしていくべきだ、ということになる。

世代を滞りなく何世代も引き継ぎ、最終的な神様の目指す世界に向けて世の中を良いものにしていくためには、勉学が必要にもなるだろうし、仕事も必要にもなるだろうし、家事・育児も必要にもなるだろう。

だから、好き嫌いで判断すること、特に「悪いこと」に引きずられがちな私達肉体人間は、「良いこと」をするようにしていくべきである、という結論になります。

あそこに書いてあるように、ただ人生の成功者になるための生き方だけを重視しているかのように見える書き方では、人類が全体として次々と世代を引き継いでいくことに向けての意義が、あまりはっきりしていないんですよ。

人生の成功者になること自体のうちに、人類の世代のバトンを引き継いでいく意味も含まれているとはいえ、あれでは一個人、一代限りの生き方にとれなくもないんです。

私達肉体人間が、「良いこと」をして生きていくことは、最終的に何につながっているからか、「良いこと」をして生きていくことの根本的な理由は何か、の視点がわかりにくいのです。

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・安寧~あんねい~世の中が穏(おだ)やかなこと。

・刹那~せつな~仏教語~きわめて短い時間。←→刧(こう)。
梵語クシャナの音訳。倶舎(くしゃ)論によれば、一度指をはじく時間の 65 分の 1 というきわめて短い時間。

・刹那的~目の前の快楽だけを追い求めるさま。

性悪説~中国の荀子(じゅんし)が唱えた、人の本性はもともと悪であるという説。後天的な修養により善を実現することを説いた。

・漠然~ばくぜん~ぼんやりとしてとりとめのないさま。はっきりしないさま。

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①追記: 2021/06/08 06:05
②追記: 2021/06/19 10:03
③追記: 2021/06/19 10:05
〜訂正内容〜

上記複数回にわたり、内容を加筆・訂正しました。