おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

434_非モテコミット異論5

前回( 433_非モテコミット異論4 )の補足です。

もし、あれをお読みになった方がいらしたら、一体、何をバカなことを言っているんだ、コイツは? とお感じになった人がおられるかもしれません。

世界平和の祈りと霊性の開発を推奨(すいしょう)している人間が、何で人類が滅亡しても構わない、ととれるような愚かしいことを言うのか、と。

仮に、地球上にたった一人の女性しか残っていなくても、その女性が霊性がダメダメで救い難い場合には、すっぱりと未練を捨て去り、かかわらない(ただし、彼女の天命がまっとうされますように、とだけは祈る)。

そうなると、以降の人類の世代の引き継ぎは、なしになってしまいますからね。

つまり、人類は途絶えてしまうことになる。

これが、何を意味しているかというと。

神様のみ心をまったくあらわすことができない、唯物論に縛(しば)られまくったような自分勝手(エゴイズム)きわまる生き方、すなわち、具体的には(極端な例を挙げます)、絶対権力の恐怖支配を目論(もくろ)む独善的・独占的な生き方、そして、神性からかけ離れまくったヤリチン、ヤリマンなどの生き方しかできない人類(肉体人間)しか残っていないのであれば、神様の子供として存在している意義が疑われてしまう、という意味合いです。

神様のみ心をあらわそうと努力しても、世界の全体としての趨勢(すうせい)が、上記のようになって、とことんまで行き着いて、絶体絶命にまで行き着いてしまったならば、これも神様のみ心だと、とらえることができるからです。

神様の世界を、この世にあらわすために、地球さんを始めとする、ありとあらゆる環境を整えられて、お与えになり、もちろん、肉体人間に神様の分霊として命もお与えになって、そしてご慈愛から、人類が相争い自滅してしまわないように、わざわざ、守護の神霊様を遣(つか)わして、あらゆる手立てを尽くしても・・・。

そして、おそらく、時宜(じぎ)を見計らって、お釈迦さんのような聖者をこの世にあらわして、人としての良き生き方、良き指針を教えるように働きかけても・・・。

それでも、どうしようもないほどに世の中が、世界が荒廃していまい、手がつけられないほどになってしまったら、地上天国化は取りやめとするか、または、次の機会を考えて、一旦、すべてを御破算(リセット)するとお考えになるかもしれない、と思えるからです。

そのようになってしまったら、これも神様のみ心ではないか、と。

霊性の向上に働きかけるお釈迦さんのような人がいて、そのご遺志を引き継ぐ人々が、できるだけ、するだけの努力をしたら、あとは成り行きに任せるしかないんですね、残されている私達人類としては。

人事を尽くして天命を待つ、ということで。

いや、神様はそんな無慈悲なことはなさらない、今度(現在は 7 回目の試みらしい)こそ、地上天国化はなされるはずだ。

神様が私達肉体人間をこの世にあらわした、産んで下さったのは、それぞれに期待されるそれなりの役割があり、だからこそ、この世に生まれてきている、と信じるべきだと。

これまで見てきた仏教の話でも、「人身得難し」がありましたよね。

この世に(肉体)人間として生まれてくることは、(この世は苦だから大変ではあるけれども)きわめて稀なことなのだ、ありがたいことなのだ、と。

だから、この世に肉体人間として生まれてくることは、神様から天命を授けられているのと同時に、ありがたいお計らいでもある訳ですね。

このように考えてくると、五井先生が書かれていたように、「天命を信じて人事を尽くせ」で、結果はどうなろうと、神様のみ心に沿うように生きて行けば、あとの結果は神様にお任せするしかない、と思うんですよね。

ただし、良きと思える方向に、生き方に、できる限りの努力だけはしておくべきだ、となります。

あの唐突と思われるかもしれない書き方は、以上のように考えた上で書いたものです。

彼女のような霊性の低い人間が、女性が、この世に、この地球上に(女性としては)たった一人しか残されていない状況。

ああ、ここまでの悲惨な状況にまで至ってしまったのは、神様のご意志なんだな、と思える訳です。

そこから、どのように成り行きが展開しようとも、すべては神様のみ心次第で、私達肉体人間の預かり知らないことである、と。

つまり、全託であり、肉体人間としてなすべきことをしたら、あとはすべてを神様にお任せするしかない、ということです。

そのまま、人類の存続が望めないことになったとしても、一縷(いちる)の望みからの大逆転劇が展開されて、人類が存続することになったとしても、すべては神様のみ心次第。

お任せするしかないという意味です。

そのように解釈した訳です。

やるべきことをやらないで滅びてしまうのなら致し方のないこと。

神様のみ心から外れまくったように、自由奔放にデタラメの限りを尽くしてばかりいれば、多分、誰しも納得がいくのではないでしょうか。

やるべきことをやって、それでも、滅びてしまうのならば、これもまた致し方のないこと。

神様のみ心に沿うように生きても、そのような結果がもたらされるなら、それもまた神様のみ心。

肉体人間としての利害得失を超えて、神様の子供としてあるべき形を体現することだけがすべて、それこそが大事であるとすれば、これもまた、一つの行き方。

どちらを選ぶのかは、その人次第。

まあ、霊性を開発して頂きたい側からすれば、ただただ、全体の状況の改善を願って祈るしか、やりようがない(批判や非難や説教は業想念を巻き起こすだけで、因縁因果を悪くすることにしかならないのがほとんどなため)訳ですけれども。

五井先生のようなお考えならば、神様は愛だから、神様のみ心に沿うように生きた人類を滅ぼすはずがない、だから、「天命を信じて人事を尽くせ」と書かれていたのだと思います。

以上、かなり長くなりましたが、前回の補足です。

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・推奨~すいしょう~物や人のすぐれた点をほめて、人にすすめること。
(用例)推奨品。

・エゴイズム~自分の利益だけを追求し、他人や集団の利害をかえりみない考え方。利己主義。

・目論む~もくろむ~心の中に考えを立てる。計画する。
(用例)一攫千金を目論む。

(参考)
・目論見~もくろみ~計画すること。企(くわだ)て。
(用例)目論見がはずれる。

・趨勢~すうせい~物事の移りゆく勢いや世の中の動き。時のなりゆき。動向。趨向。
(用例)時代の趨勢。

・遣わす~つかわす~①(目下の者を)行かせる。派遣する。
(用例)使者を遣わす。
②目下の者に与える。
(用例)ほうびを遣わす。
ここでは、①の意。

・時宜~じぎ~時期が適当であること。ちょうどよいころあい。
(用例)時宜を得た処置。時宜にかなう。

・御破算~ごはさん~①ソロバンに置いた数を崩して零にすること。
(用例)御破算で願いましては。
②はじめの状態に戻すこと。白紙に戻すこと。
(用例)この話は御破算にする。
ここでは、②の意。

・一縷~いちる~(ひとすじの細い糸の意から)今にも絶えそうなわずかなつながり。かすか。
(用例)一縷の望みをかける。

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①追記: 2021/07/14 05:00
②追記: 2021/07/14 05:22
③追記: 2021/07/14 12:49
〜訂正内容~

上記複数回にわたり、本文を加筆・訂正しました。