だいぶ前に、世の女性様方にあらゆる意味で無駄とは知りつつも、私的な説教を書いたことがあります( 270_説教 )。
それからすれば、これは一般向け(?)になるのかな。
わからないけど。
そんな訳で、説教2 です。
親子。
それも、そこそこ仲のいい親子やきわめて仲のいい親子はとても貴重な存在だ。
お人によっては、親子でも尊属殺人まで起きる厳しい因縁の下に生まれ合わせる場合もあるのかもしれないが、こうした深刻な因縁の生まれ合わせは、とりあえず、例外的なものと見なしていいだろう(それから、毒親も、育児放棄(ネグレクト)も)。
夫婦だって元々は赤の他人。
しかし、場合によっては、親子より仲のいい夫婦さえある。
やっぱり、輪廻転生を通した因縁因果の織り成すあやですね。
形式的な霊魂魄(れいこんぱく)の入れ物のしての肉体の関係と、因縁因果を反映した中身の霊魂魄の関係は、やはり、違うんですね。
あくまでも、中身の霊魂魄の織り成す因縁因果の関係が主軸で、意味を持っているから。
話を戻すと。
そんな中で、そこそこ仲のいい親子や、きわめて仲のいい親子は、貴重だし、大事にした方がいいな、と感じるからです。
実は、かなり仲のいい親子でさえも、すべての面で完全に一致することはなく、やはり、それなりに考え方が違い、衝突することもある。
しかし、長年の付き合い(?)だから、許せることも多々あるし、修復もやり易いことが多い。
しかし、これが、赤の他人となるとそうはいかない。
一度、亀裂が生じると、表面上は修復したかのように見えても、中々、許せないことがあったりするのです。
また、親身になることにも限界があり、中々、親のようにまでは親身になれないのがほとんどなのです。
いや、すべてと言っていいでしょう。
極端なことを言えば、自らの子供のためには命を投げ出す親もいるくらいです(古くは戦争の空襲でわが子をかばってともに焼死した母子の事例があります)。
あれは、見栄も、体裁も何もない。
ただただ、とっさにわが子をかばった行為としか解釈できません。
理屈も、感情も何もない。
とっさの行動です。
無償の母親の愛です。
これは、かなり究極で、特別な例なのかもしれませんが、赤の他人では、親ほどには親身になってくれることはないんですよ。
あまり書くと人様の悪口になるので書けませんが、私はそう思わされる経験をいくつもしています。
そうすると。
親がどれだけありがたいか、地球上でこの人達以外に、本当に心の底から自分を思ってくれる人はいないんだな、とつくづく思わされるのですよ。
私は、超のつく人格者さんは知りませんが、普通のかなりいい人でも、到底、親には及ばないんです。
何度もそう思わされてきているんですよ。
やっぱり、違うんだな、と。
近しい親戚でも、他人様でもこれはまったく変わりません。
親とはまったくの別物(ちょっと失礼ですがお許し下さい)です。
絶対に違うのです。
唯物論者の人は、親子でも所詮は別の人格、必ず何かしらの見返りを期待する打算があり、そんな純粋なものはないのさ、という人もいるかもしれない。
しかし、こと自分に関してだけでも、これは絶対に打算なんかじゃない、という経験を何度もしているのですよ。
やっぱり、親子として生まれ合わせるのは、特別です。
いい因縁でも、たとえ、悪い因縁でも。
やはり、それなりの因縁がないと、親子として生まれ合わせることはないからです。
以前出てきましたが、仏教で人身得難し、肉体人間として、この世に生まれてくることは、ありがたいこと、類い稀(たぐいまれ)なこと、そして、さらに因縁因果の織り成すあやとしての、仲のいい親子として巡り合いの身を結ぶのも、もっと貴重なこと。
ましてや、これも前に仏教で見たように、(神様以外は)諸行無常、万物流転で、この世で人身は刻々と変化していて、やがては肉体人間としては、誰しもがいずれは死を迎えざるを得ない宿命にある。
だから、大切にするに越したことはないのですよ。
類い稀な貴重なことの、相乗以上の巡り合わせなのだから。
わかる人には、わかりきったことかもしれませんが、ちょっと一言書かせて頂きました。
もしも、この文章をお読みになった方がいらしたら、まあ、何だかわからないけど、こんなことを言ってたのがいたよ、と記憶の片隅に引っかけて頂ければ幸いです。
大変、失礼致しました。
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追記: 2021/07/25 23:46 〜訂正内容〜
本文を加筆・訂正しました。