おぶなより

世界平和の祈りに寄せて

473_仏言葉ー007 ー 大事に生きよう

第 1 章 世間のルールになじめない

7.愚かしいこと

「私は雨期にはここに住もう。
冬と夏にはあそこに住もう」と
愚か者はこうしたことに気を奪われ
迫り来る死に気がつかない。

(二八六) (第20章 道 より)

この経文を訳された今枝さんは、この 1 行目に注釈をつけている。

以下の通り。

初期の仏教教団は、雨期の間だけ一ヵ所に留まったが、その他の季節は各地を巡り歩いた。

この経文からすると、おそらく当時の人にとっては、現代よりも死がはるかに身近なことだったのだろう。

何しろ、今から 2,500 年以上も前のことだから(とはいえ、お釈迦さんは 80 才まで生きて、法然さんも 80 才、親鸞さんに至っては 90 才まで生きている)。

例えば、盲腸炎は現代ならまずは治りますが、近代までならば腹膜炎をおこして亡くなってしまうというように。

そんな時に、日常茶飯事や目先の喜びや享楽的なことばかりに目を奪われていると、死があっという間に身近に迫ることもあった可能性がある。

だから、お釈迦さんは、当時の人達に命のはかなさを、よくよく意識して、有意義に大事に生きなさいよ、とおっしゃっりたかったのだろう。

なお、この雨期については、中村さんのお話が参考になると思うので、以下に引用しておく。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

145_原仏3(中村さん関連。改変あり)

二 経典のなりたち(注1)

釈迦はネパールのシャカ族の中心であるカピラ城に、国王スッドーダナ王(浄飯王~じょうぼんのう)の長子(ちょうし~その夫婦の最初の子。特に、長男)として生まれました。

釈迦というのは、彼の属していた種族の名で、姓をゴータマ、名をシッダッタといいます。

カピラヴァットゥ郊外のルンビニー園で、生まれは紀元前463年の4月8日で、日本や中国では、灌仏会(かんぶつえ)などを行います。(注2)

釈迦を出産した後、7日で母マーヤー夫人は亡くなり、その妹のマハー・パジャーパティーが後妻となって、彼を育てました。

釈迦は母を早くに亡くしたこと以外は、恵まれた境遇に育ち、16才で結婚しました。釈迦は物思いにふける面があったらしく、それもかんがみてか、父のスッドーダナ王は、早くに結婚させたようです。妃(きさき)にヤソーダラー(誉れある淑女の意)を迎え、一子(いっし~一人の子供)ラーフラも生まれました。

それでも、深く人生の問題に悩んでいた釈迦は、29才の時に出家、道を求める者の慣例にならって遍歴修行者となります。

6年間、肋骨が見えるまでになるほどの苦行をしましたが、悟りを得ることはできませんでした。

苦行は、無意味であると感じた釈迦は、ネーランジャラー河に浴して、村の少女の捧げる、牛乳を混ぜて炊いたお粥(かゆ)を飲ませてもらい元気を回復したそうです。

その後、ガンジス河中流の南方、のちにブッダガヤーと呼ばれる菩提樹の下で、瞑想して悟りを開き、35才で覚者となりました。

それから、彼は古来からのヒンドゥー教の聖地ベナレスに赴(おもむ)きました。そのベナレス郊外の「鹿の園」(鹿野苑~ろくやおん)で旧友の修行者5人を教化して、初の仏教教団が成立しました。

当時は雨期には旅行ができないために、一ヶ所にとどまって定住生活(雨安吾~うあんご)をしましたが、それ以外の時期は、常に各地を遊歴(ゆうれき~各地をめぐり歩くこと)して教化をしました。

教化活動の中心地は、当時最大の強国マガダの首都王舎城と、彼の生まれ故郷近くのサーヴァッティー市です。王舎城では、郊外の竹林園をマガダ王ビンビザーラが、また、サーヴァッティー市では一富豪が買った土地を、それぞれ教団に寄進しました。そこに建てられたのが、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。

釈迦の晩年の姿は、「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」(「大パリニッバーナ経」)のなかに生き生きと描かれています。釈迦は、王舎城の東北方にある「鷲の山」(霊鷲山~りょうじゅせん)を出て、弟子を連れて自らの故郷に向かって旅立ちます。

釈迦は、途中、大病にかかりながらもひるまずに旅を続け、ネパールの国境近くのクシナーラーへ来て亡くなりました。

彼は、弟子や信者に見守られながら、安らかに息を引き取りました。それは少しも曇りや汚れを残さない、しめやかな愛情と親和感に満ちた臨終でした。

彼の亡くなった年月は不明ですが、中国や日本では、2月15日を入滅の日としています。(注3)

仏教の経典のお経は、元々は、釈迦が説いたことがらを、弟子達がずっと口伝で伝えてきて、後の人が短い詩や決まり文句の形にしてまとめたものです。

やがて、弟子達がインド全般およびアジア諸国へと教えを広めるにつれて、多数の聖典がつくられました。(注4)

その経典が尊(たっと)ばれるようになると、やがて、読誦(どくじゅ)がなされます。(注5)

そして、お経を読むことが、今日まで続いてきました。

~~~~~

(注1)中村さんは、南方の伝説に従う云々といちいち断りを入れていくつか書かれていますが、以下、勝手ながらこれらはすべて省きます。ご了承下さい。

(注2)釈迦誕生の4月8日に、その誕生仏に甘茶を注ぎかける行事。仏生会(ぶっしょうえ)。降誕会(ごうたんえ)。

(参考)
降誕~こうたん~帝王・聖人・偉人などが、この世に生まれ出ること。
用例)キリストの降誕

降誕祭~こうたんさい~①聖人・偉人などの誕生日を記念する祭典。②クリスマス。

降誕~ごうたん~仏が生まれること。特に、釈迦が生まれること。

降誕会~①陰暦4月8日、釈迦の誕生を祝う祭り。灌仏会花祭り
②宗祖や開祖の降誕の日を祝うこと。

(注3)入滅~にゅうめつ~仏教語で、聖者や僧が死ぬこと。特に、釈迦の死をいう。入寂。入定(にゅうじょう)。

(注4)聖典~せいてん~①その宗教で最も神聖とされる、教義の根本が記された書物。
②聖人の書いた書物。
ここでは、①の意。

(注5)読誦~どくじゅ~声を出して経文を読むこと。読経(どきょう)。